第65話 楽園の後継者

 ユミルとの生活をはじめて、そろそろ三ヶ月が経とうとしていた。


「そう言えば、もう三ヶ月か。さすがに、うちの両親も心配……」


 両親のことを、ふと思い出す。

 さすがに心配を掛けているのではないかと思ったのだが――


「……されるどころか、気付いていない可能性があるんだよな」


 あの両親だと、俺が行方不明になっていることに気付いていなくても不思議じゃないと言う考えに至る。

 一年くらい音沙汰なしで海外を飛び回っていることとか普通にあったしな。

 そもそも俺の場合、ご近所付き合いも皆無に近い状態だったので家にいなくても誰も気付かない可能性が高い。人付き合いを避けてきたため、大学にも心配してくれる友人なんていないしな。

 そのことから両親に連絡が行く可能性も薄い。

 そもそも連絡が取れるかも怪しい両親なのだが、息子の俺ですら難しいし……。


「どうかされました?」 

「ちょっと両親のことを思い出してな」

「……やはり、日本へ戻られますか?」

「いや、ユミルの提案どおり楽園を目指そうかと思う」


 意外そうな顔をするユミルを見て、苦笑する。

 楽園に行くかどうかは保留にしていたし、こうして準備を進めているのは日本に帰還するためだと思っていたのだろう。

 実際どうするかは迷っていた。しかし、考えれば考えるほどに急いで帰る理由がないことに気付かされたのだ。

 このままだと大学は卒業できない可能性が高いが、内定も決まっている訳じゃないしな。両親には申し訳ないと思うが、退学になったとしても後悔はそれほどない。事情を説明すれば、うちの両親なら理解してくれるだろう。

 そう……理解はしてくれると思うのだが、その後の方が面倒臭いにことなりそうだと考えていた。

 あの両親のことだ。ダンジョンに興味を持つことが容易に想像が付くからだ。

 ユミルの言うように地球にダンジョンが現れているのだとすれば、今頃は狂喜乱舞してダンジョンの調査に参加していることだろう。これも俺の失踪に気付いていないであろうと考える根拠になっていた。

 ここでのことを話せば、絶対に面倒なことに巻き込まれる。

 黙っておくと言う手もあるが、鼻が利くんだよな。隠し通せる自信がない。

 だから、まずは楽園に向かうべきだと言う考えが強くなっていた。

 問題の先送りと言うのもあるが、面倒事に備えるためだ。

 なにより――


「もっと知りたいことがあると言うのが理由だが、まだユミルに恩を返していないしな」

「……マスター」


 この危険な場所で生活が出来ているのは、ユミルのお陰だと思っている。

 なのに世話になりっぱなしで、まだ何一つ恩を返せていない。いまのままでは日本に帰ってもユミルのことが気になって、モヤモヤとした気持ちのまま毎日を過ごすことになるだろう。

 だからと言って日本に連れて帰れば、間違いなく彼女を面倒事に巻き込むことになる。それだけは絶対に避けたい。

 それに彼女の力を借りなければ、どのみち日本に帰ることなど出来ないのだ。

 なら少しくらい寄り道したところで問題はないだろう。

 むしろ、彼女の力になる良い機会ではないかと考えていた。


「俺を楽園に連れて行きたい理由があるんだろう?」

「やはり、お気付きだったのですね」

「分かり易い誘導の仕方だったしな」


 ユミルが協力的だったのは、楽園に興味を持たせるためだと察していた。

 実際、俺は思惑通りに動いた訳だが、彼女の協力がなければここまで順調に調査が進むこともなかった。半年はかかると思っていた情報収集が、その半分の時間で解決したのだ。

 そこまでして、彼女にはどうしても俺を楽園に連れて行きたい理由があるのだろう。


「そうと分かっていながら、どうして?」

「だって、無理矢理に連れて行こうと思えば出来ただろう? なのに、そうしなかった」


 ドラゴンを倒せるような相手に、俺が抵抗できるはずもない。

 なのに、彼女は無理矢理に俺を楽園に連れて行こうとはしなかった。

 それが、ユミルを信じると決めた理由だ。


「そういうところまで、先代にそっくりなのですね」

「先代?」

「〈楽園の主〉です。私を創造された方でもあります」


 前に言っていた人か。

 ここの工房の持ち主で、俺が教科書に使っている魔導書を書いた人。

 凄い人だったと言うのは、この施設を見れば分かる。

 なにより、ユミルのようなホムンクルスを造れる訳だしな。

 俺なんかとは比較にならないくらい凄い錬金術師だったのだろう。

 しかし、先代?


「先代ってことは、楽園には新しい主がいるってことか?」


 もしかしてユミルが楽園に行きたがっているのは、その人に会いたいからなのだろうかと首を傾げる。

 しかし、ユミルは二万年も眠っていたんだよな?

 その人が今も生きていると仮定すると、二万歳以上と言うことに――


「はい、いらっしゃいます。私の目の前に」


 ん?

 目の前?

 …………それって、俺のこと?



  ◆



 あの機械が言っていた『王の資格』と言うのは、どうやら〈楽園の主〉のことを指していたらしい。

 まさか、本当に王様のことだとは思ってもいなかった。


「俺が王様か……がらじゃないよな」


 しかし今更、楽園に向かうのをやめますとは言い難い雰囲気だしな。

 それにどうも俺が後継者に選ばれた理由はスキルにあるらしいのだ。

 大いなる秘術アルス・マグナ。錬金術に特化したスキル。

 一応、魔法のアイテムは誰でも知識と技術を習得すれば作れるようなのだが、このスキルがあるからこそ俺のような素人でも錬金術を使うことが出来る。だからこそ、俺が後継者に選ばれた。

 ユミルを造った錬金術師と同じスキル・・・・・を持っているからだ。

 ちなみにここは深層領域の各地に点在する楽園・・の活動拠点の一つらしい。

 工房としての役割も備えているが、本来の役目はモンスターの生態分析や素材の採集。錬金術の研究に必要なデータを蒐集するために造られた施設の一つだそうだ。

 ユーラシア大陸並の広さがあるって話だしな。

 そりゃ、活動のための拠点を幾つか用意してあっても不思議じゃない。

 なんにせよ、面倒臭いことになったと言うのが俺の率直な感想だった。


「もう、なるようにしかならないし、目的地に着いてから考えればいいか……」


 少しずつ外堀を埋められている気がしなくもないのだが、ユミルの態度を見る感じでは強制するつもりはなさそうだ。

 最終的にどうするかは俺の判断に委ねてくれそうな感じだし、一先ずは成り行きに身を任せることにする。それにユミルを造った錬金術師の国だしな。興味がないと言えば嘘になる。

 どちらにせよ、いまやっていることは無駄にはならないはずだ。


「ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「ああ、別に構わない――」


 湯船に浸かりながら考えごとをしていると声をかけられ、


「って、ユミル!?」


 振り返ると、一糸纏わぬユミルの姿があった。

 慌てて湯船から上がろうとするが、ユミルに手を掴まれる。


「……ユミル?」

「少しだけ、お付き合い頂けないでしょうか?」


 上目遣いでそんな風にお願いされたら断れるはずもない。

 大人しく湯船に戻り、できるだけユミルの方を見ないようにと心掛ける。

 ユミルのためと言うよりは、俺自身の理性を保つためだ。

 彼女との生活をはじめて三ヶ月だ。最初の頃よりは慣れたと言っても、やはり面と向かって話をするのは今でも緊張する。それが風呂ともなれば尚更、意識しない方がおかしい。

 彼女は俺を立ててくれるので話をしやすいが、コミュニケーション能力が不足していることは自分が一番よく分かっているしな。小中高と彼女が出来るどころか、親友と呼べるほどの友人すらいなかった。

 大学に進学してもそれは変わることなく、大半の時間を一人で過ごした。

 俺自身が人付き合いを面倒臭がって避けていたと言うのも理由にあるが、その結果が研究室でのあの一件・・・・な訳だしな。若干、人間不信に陥っているところもあったのだろう。


(それは言い訳か……)


 結局、それも自分に言い訳しているだけだということは分かっていた。

 こんなのだから人間関係が上手く行かなかったのだろう。

 これまで俺が出会ってきたどんな相手とも、ユミルは違うと分かっているはずなんだけどな。

 人間そう簡単には変われないものなのだと思い知らされる。


「マスターは私に劣情を抱いたりはされないのでしょうか?」

「な――」


 邪な感情を抱かないどころか、いまも自分を抑えるのに精一杯な状況だと言うのに、突然なにを言いだすのかと困惑する。


「どうしたんだ? 急に……」

「先代が『男なんて裸で迫ればイチコロだ』と仰っていたので」

「……先代って、もしかして女の人だったのか?」

「はい。よく男装をされていましたが……」


 用意してくれた服が男物ぽかったので男だと勘違いしていたのだが、まさかの女性だったとは……。

 だとすれば背丈も丁度良い感じだったし、かなり背の高い人だったのだろう。

 実際、身長が百七十五センチある俺とユミルも同じくらいあるしな。


「私は魅力がないのでしょうか……」

「いや、そんなことは全然ないから!」


 むしろ、魅力がありすぎて困っているくらいだ。

 というか、なんで俺がこんな目に?

 ユミルは何がしたいんだ?


「でしたら――」


 そう言って身体を預けるように、俺の背中に胸を押しつけてくるユミル。

 想定を超えたユミルの大胆な行動に、頭の中がパニックになる。

 しかし、ここまでされて理性を保てるほど俺は聖人君子ではなかった。


「ユミル」


 気付けば振り返ってユミルを抱き寄せていた。

 互いに一糸纏わぬ姿で抱き合っていることから、体温だけでなく心臓の鼓動まで伝わってくる。

 紅潮した白い肌と桜色の唇が、俺の瞳を捉えて放さない。吐息が触れ合うほどの距離にまで互いの顔が近付き、このまま最後までと頭に過るも童貞には刺激が強すぎたのだろう。

 湯船に長く浸かりすぎていたこともあり、熱で頭がクラクラとする。

 そして、身体から力が抜けていくのを感じて――


「マスター!」


 前にもこんなことあったなと思いだしながら、俺は意識を手放すのであった。

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