第64話 ユミル

 あれから彼女が作ってくれた料理に舌鼓を打ち、風呂に入って着替えまで用意してもらい、寝るまでベッドの傍らで書庫の本を読み聞かせてもらったりと、至れり尽くせりの一日を過ごした。

 子供扱いされているようで恥ずかしくなるが、悪い気はしなかった。

 彼女に悪意がなく、心の底から尽くしてくれていることが伝わってくるからだ。

 しかし、まさかメイドのいる生活が実現するとは思ってもいなかった。

 それも理想のメイド像とも言える美女に甲斐甲斐しく世話をしてもらえるのだ。もう、ずっとここで暮らしても良いと本気で考えるくらいには、いまの生活に満足している。


「昨日の話の続きだけど、しばらくここに滞在しようかと思う」


 それが理由と言う訳ではないが、楽園に向かうべきだという彼女の提案を一旦保留にして、当分ここに滞在することを考えていた。


「提案を保留にするようで悪いが、判断するための情報が欲しいんだ。ここには錬金術に関する書物以外にも、たくさんの本があるみたいだしな。できれば手伝ってもらえると助かるんだけど……」


 書庫には錬金術の研究資料や魔導書の他にも、様々な本が並べられていたからだ。

 幸い彼女は文字が読めるようなので、いろいろと調べるのを手伝ってもらいながら読み書きを覚えることが出来ないかと考えた訳だ。それに、ここの設備は良い意味で想像を大きく超えていた。

 長いテーブルが置かれた食堂と、機能の充実した調理室。

 他にもベッドのある寝室が四つに、トイレや浴場まで完備されていたのだ。

 彼女が眠りについて二万年も経過しているという話が本当なら、いまも当時のまま楽園が存在しているかは分からない。だとすると、ここよりも充実した生活環境が整っているという保証はない訳だ。

 なら、ここで出来る限りの準備を整えておきたい。

 それが、彼女の提案を保留にした俺の考えだった。


「分かりました。朝食を終えたら書庫に案内しますね」


 楽園に行きたがっていたようだから反対されるかとも思ったのだが、すんなりと納得してくれたようだ。

 しかし、これは俺の勝手な思い込みだと思うが、微妙に空気が重い気がする……。

 なにか他の話題はないかと考え、昨日から気になっていたことを尋ねてみる。


「昨日、聞きそびれていたんだけど、食材はどうしたんだ?」


 俺が調べた時には食べ物は疎か、調味料の類も一切見つからなかったはずなのだ。

 食事を用意してくれるのは助かるが、どこから食材を調達してきたのかと昨晩から疑問に思っていた。


「倉庫に〈魔法の袋マジックバッグ〉が置いてありました」

「……マジックバッグ?」

「見た目以上に物が収納できる袋や鞄のことです。最高級のものであれば〈時間停止〉のスキルが付与されていますので、なかのものが腐ったり劣化することもありません」


 そんなファンタジーなものがあったとは……。そういや、魔法のある世界だった。

 なるほど、そのなかに食材や調味料が保管してあったと言うことか。

 ということは、倉庫の棚に並んでいたものは、すべて魔法の道具だったのかもしれない。

 実際、施設内の設備には魔法の道具がたくさん使われていた。

 風呂もタッチパネルのようなものに触れるだけで湯がでてくるし、調理室も釜戸ではなくコンロのようなものが置かれていた。現代で言うところの科学のような感じで、高度な魔法文明が発達していたのだろう。

 しかし、彼女には頭が上がりそうにない。世話になりっぱなしだからだ。


ユミル・・・がいてくれて本当に助かった。ありがとう」


 だから、自然と感謝の言葉が口からでていた。

 彼女がいなかったら、マジックバッグの存在に気付くこともなかっただろうしな。

 それどころか、風呂の使い方すら分からなかっただろう。

 こうして温かい食事が取れるのも含めて、すべて彼女のお陰だ。


「……ユミルですか?」

「ん……ああ! 名前がないと不便だと思ってな」


 昨晩から考えていた名前を口にだしていたようだ。

 あれから様々な話をしたのだが、最初に造られたホムンクルスが彼女だと言う話を聞いて、頭に浮かんだのがこの名前ユミルだった。

 北欧神話に登場する巨人の名で女性に付けるような名前ではないと思ったのだが、いろいろと考えても最初に頭に浮かんだ名前が一番しっくりと来たのだ。

 気に入らなければ、また別の名前を考えればいいと思っていたのだが――


「ユミル、ユミル……良い名前ですね。ありがとうございます。マスター」


 ユミルの笑顔を見て、ほっと安堵するのだった。



  ◆



 ここでユミルと生活を始めてから早いもので一ヶ月が経とうとしていた。

 ユミルのお陰で調査が捗ったこともあって、いろいろと分かったことがある。

 まずダンジョンのことだが、一つ面白いことが分かった。

 どうやらダンジョンでは魔力を帯びたものは腐ったり劣化することがないらしい。だから魔法薬や魔導具などの魔力を宿したアイテムは二万年経過した今でも当時の状態のまま問題なく使用することが出来ると言う訳だ。

 そのことから、この施設がまったく劣化していないことにも説明が付く。

 前に魔力の流れを感知した時に分かったことだが、建物自体に魔力が循環しているようなのだ。恐らくはユミルが眠っていた地下の施設に魔力を送るために、そのような構造になっているのだろう。

 ベッドなどの家具もダンジョンの素材を使って製作したもののようだしな。

 まさにダンジョンで生活するために建てられた施設と言った感じだ。

 それに、これで楽園が現在も朽ちることなく存続している可能性が高まった。

 なにしろ、ここの施設でさえ、これほどの設備が整っているのだ。

 ユミルを造った錬金術師の街であれば、ここ以上に充実した環境が整っている可能性が高い。

 なら、いまも街が存続している可能性は十分に考えられるだろう。


「もう上級の回復薬は問題なく作れるな。初級編と書いていながら上級のレシピを載せているのは解せないけど……」


 それに他にも得るものはあった。錬金術の腕が上達したことだ。

 いまのところ作れるのは回復薬だけだが、粘土細工のようなことしか出来なかった一ヶ月前と比べれば格段の進歩と言っていい。やはり独学で勉強するよりも、教科書・・・があった方が上達が早い。

 しかし、この魔導書。『初級編』と書かれている最初の方のタイトルに、上級と名の付く回復薬のレシピが何故か載っているんだよな。どうにか上級の回復薬を作れるまでにはなったが、初級と中級の回復薬の説明なんてかなり適当なものだった。

 このくらい出来て当たり前くらいのノリで書かれているからだ。


「まあ、実際に薬は作れている訳だし、他に参考にできるものもないしな」


 幸い適当なのは最初だけで、この先はレシピと素材の解説もちゃんと載っているので、どうにかなるだろうと自分を納得させる。

 ちなみに文字についてだが、ユミルに翻訳を頼むまでもなかった。

 ご丁寧に〈言語理解〉と〈鑑定〉が付与されたモノクルの魔導具・・・が書庫に置かれていたからだ。

 魔導具と言うのは、ダンジョンの素材で製作されたアイテムのことだ。俺が作ったメタルタートルの盾もスキルが付与されている訳ではないが、分類的には魔導具に当て嵌まるらしい。

 いつかスキルの付与された魔導具を作ってみたいと思うが、いまの俺では技術も知識も足りていないので難しい。やはり、少しずつ作れるものを増やして行く以外にないのだろう。

 だから、こうして地道に知識と技術を磨いている訳だが――


「そろそろ霊薬の調合を試してみるか。しかし、練習用の素材まで用意してあるとか……用意周到すぎるだろう」


 使ってくれとばかりに必要な道具が揃っていると、この工房の主には未来が見えていたのではないかと勘繰ってしまう。ユミルと出会えたことも含めて、余りに都合良く話が進み過ぎているように感じるからだ。

 見えない意志のようなものに導かれているような気がしてならない。


「まあ、考えても仕方のないことか。どのみち、やるべきことは変わらないしな」


 それでも助かっていることは事実なので、前向きに考えるようにする。

 それに必要な道具が揃っているからと言って、それだけで錬金術の腕が上達する訳では無い。結局、努力するのは俺自身なのだ。

 この一ヶ月、昼夜を問わず勉強漬けの毎日だったしな……。

 錬金術の成功率は魔力制御の技術と、素材に関する理解の深さが大きく影響しているようなのだ。

 そのため、スキルがあっても前提とする知識がなければ成功しない。

 勉強は苦ではないが、はじめてのことばかりで正直かなり苦労した。


「マスター。いま戻りました」


 ユミルが戻ってきたようだ。

 男として情けない限りだが、彼女には建物周辺の警戒をお願いしていた。

 この前のドラゴンが、まだ近くを彷徨うろついている可能性があるからだ。

 念のため、建物の中から様子を窺う程度にするようにと言っておいたのだが、


「……ユミル、それは?」

「ドラゴンのつのです。建物の周囲を飛び回っていたので駆除しておきました」


 簡単に倒せるのなら、そりゃ駆除した方が早いよな……。

 ドラゴンを羽虫扱いって、まさに原初の巨人ユミルの名に相応しい強さだ。

 この名前が最初に頭に浮かんだのは彼女の力を本質的に見抜いていたのかもしれないと自分の直感に驚きを覚えながらも、絶対にユミルを怒らせないようにしようと固く心に誓うのであった。

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