第66話 王の証

 あれから一週間が経った。

 あんなことがあったのだから関係がぎこちなくなることも覚悟していたのだが、意識しているのは俺だけでユミルはいつも通りだし、特に何かが変わったと言うこともなかった。

 思っていたのと随分と違うが――


「シチューのお代わりは如何ですか?」

「ん……もらおうかな」


 これでいいのかもしれないと考えるようになっていた。


「マスター。食後のお茶です」

「ああ、ありがとう」


 前よりも通じ合えている気がするからだ。

 実際、欲しいと思ったときに飲み物が出て来たり、俺の考えていることが分かっているかのようにユミルが先んじて行動することが三ヶ月前と比較すると確実に増えていた。

 俺の方はそこまでユミルのことを理解しているかと言うと……鋭意努力中とだけ言っておく。開き直るようだが、そこまで細かいことに気を配れるようなら人間関係で苦労していないからだ。

 ただユミルのことを知りたいとは、以前よりも考えるようになった。

 だからと言う訳ではないが、 


「三日後にここを発とうかと思う」


 そろそろ、楽園へ向かおうかと考えていた。

 最低限、必要な知識は身についたと思うし、ユミルと出会って既に三ヶ月以上だ。

 食糧の備蓄も少なくなってきていることから、頃合いだと思ったのだ。 


「それで一つ確認しておきたいことがあるんだが、楽園までどのくらいの距離があるんだ?」


 肝心なことを聞き忘れていたので、ユミルに確認を取る。

 深層領域は七つのエリアに分かれていることが分かっている。

 地上に存在するダンジョンの入り口の数に対応しているのだろう。

 ただ書庫には曖昧な地図しかなく、具体的な距離が把握しにくかったのだ。

 乗り物なんてないし、向かうとなると徒歩になるだろうしな。


「ここは楽園の境界に近い場所なので〈赤き国〉のゲートに向かうのと、それほど大きな差はないと思います」


 だとすると、二千キロメートルくらいの距離はある訳か。

 一日三十キロ歩いたとして、二ヶ月ちょっと掛かる計算だな。

 かなりの長旅になりそうだと考えていると、


「大凡、三日ほどの距離ですね」


 ありえない答えが返ってきた。

 ちょっと待ってくださいよ、ユミルさん。

 三日で走破するとなると、七百キロ弱を毎日進まないと行けないのですが?


「……乗り物とかないよな?」

「はい。ですから、私がマスターを背負っていくつもりです。速度を抑えて休憩を挟みながら進むので、どうしても三日は掛かってしまいますが……」


 いや、三日でも十分過ぎるほど早いからな?

 しかも、それで速度を抑えながらってユミルの全力は一体どれほどになるんだ。

 俺の身体を気遣ってのことなんだろうけど、ユミルだけなら一日で着いたとしても驚かないな……。ドラゴンを倒せるだけの力があることは知っていたが、それでもまだ認識が甘かったようだ。


「ユミルにまた負担を掛けてしまうな」

「お気になさらないでください。それに、こんなことでお力になれるのは今だけでしょうから……。この程度のことは、いずれマスターも出来るようになるはずです」


 それはないと思うぞ。絶対に。



  ◆



 それから、五日後。荷物をまとめていたら準備に時間が掛かってしまった。

 というのも、施設内にある書物や魔導具をすべて持っていくことになったからだ。

 最初は最低限の荷物にするつもりだったのだが、


「既に施設の封印は解かれていますから、このまま放置すればモンスターに荒らされる危険があります。ここには貴重な本や魔導具も多いので、すべて運び出した方がよろしいかと」


 と、ユミルからの提案があったためだ。

 どうも本来はモンスターが建物に近付くことが出来ないように、封印を施す結界・・が張られていたそうだ。それを俺が解いてしまったことで、いま建物を守る結界は消失している状態らしい。

 そこで、いまのままではモンスターに荒らされる危険があることから、貴重なものはすべて持っていくという話になった。


「結構な量になったけど、これ全部マジックバッグに入るのか?」

「いえ、今回はこれ・・を使います」


 そう言ってユミルが右手をかざすと、大量にあった荷物が目の前から消えた。

 何が起きたのか分からず困惑する俺に、ユミルは右腕の腕輪を見せながら説明する。


「〈黄金の蔵〉と呼ばれる先代が製作された魔導具です。生き物以外であればありとあらゆるものを無限に収納でき、なかに入れたものは腐ることも劣化することもありません」


 その説明に唖然とする。

 マジックバッグでも驚いたのに容量無制限とか、とんでもない代物であることは想像が付く。

 いまの俺では逆立ちしても作れないような魔導具だ。

 本当に凄い錬金術師だったんだなと感心していると――


「どうぞ。マスターがお持ちください」


 腕輪を外し、ユミルが差し出してきた。

 その行為に驚きながらも、受け取れないと首を左右に振る。

 彼女を造った錬金術師の遺品と言うことは、思い出のある品だと分かるからだ。


「封印が施されているため、いまはまだ取り出すことは叶いませんが、このなかには先代が製作された魔導具が数多く収納されています。私はこれを楽園の後継者に相応しいと思った人物に渡すようにと、先代からお預かりしました」


 マジッグバッグのような機能があるだけでなく魔導具が収納されているって……。

 ああ、だからなのかと納得する。

 ようするに、これ自体が〈楽園の主〉の後継者を証明するものであり、遺産でもあると言うことだ。


「以前にもお話したように、私の記憶には欠落が見られます。そのことに嘘はありませんが……マスターに話していないことがあります。私は先代の最期・・を記憶しているのです」

「それって、まさか……」

「はい。お察しの通り、ここに私を封印したのは先代ではなく私自身・・・です」


 ユミルの告白を聞いて、ストンとこれまでのことが腑に落ちた気がした。

 彼女はこの施設のことをよく知っていたからだ。

 調査が捗ったのも、ユミルが適切に本を選んでくれたお陰だ。

 食糧の入ったマジッグバッグの存在や、モノクルなどの魔導具のある場所も最初から知っているかのようだった。


「どうして、そんな真似を?」

「ここにマスターが現れることは〈星詠み〉によって予言されていたからです」

「ほしよみ?」

「〈青の国〉の巫女姫が遺した予言――未来予知のようなものだと、お考えください」


 だから出会った時に『この日をずっと待ち望んでおりました』と言っていたのか。

 実のところ、あの言葉がずっと引っ掛かっていたのだ。

 ここが二万年後の未来だとユミルが把握していたのも、最初から分かっていたからなのだろう。


「それを話したってことは、腕輪を託すに値する人物だと認められたって認識でいいのか?」

「はい。とはいえ、最初から〈楽園の主〉になることを了承して頂ければ、お譲りするつもりでいましたが……」


 ああ……俺が乗り気じゃなかったしな。

 正直、いまでも覚悟が伴っているかと言うと疑わしい。

 ん? だとすると、この前の風呂の一件って――


「ユミルが風呂で迫ってきたのは……」

「先代が『既成事実を作ってしまえば男なんてイチコロさ』と仰っていたので。マスターには見抜かれてしまいましたが……」


 危ないところだった。ハニートラップだったと言うことか。

 彼女いない歴二十二年の童貞になんてトラップを仕込むんだ。

 そもそも見抜いたんじゃなくて、意識を失っただけなんだけどな……。

 しかし、俺のなかでユミルを造った錬金術師のイメージが暴落中なのだが……。

 凄い人なのかもしれないが、私生活は物凄くだらしない雰囲気が漂っている。

 下手すると俺以上に、コミュニケーション能力に問題のある人だったんじゃないだろうか?

 随分と偏った知識でアドバイスしている節があるしな。同族のにおいがする。


「なら、それはまだユミルが持っていてくれ。俺には王様になる覚悟なんて出来ていないしな」


 ユミルの考えが理解できない訳ではない。

 しかし俺はまだ、王様になると決めた訳ではなかった。

 覚悟も出来ていないのに、軽い気持ちで受け取っていいようなものではないはずだ。

 正直いまの俺にはまだ、その資格はないと思っていた。

 

「そう仰ると思っていました。ですが、腕輪だけは受け取ってください」

「いや、でも……」

「私はマスター以外に楽園を継承できる方はいないと考えています。そして、この腕輪を誰に渡すかは私に一任されていますから、マスター以外の手に渡ることは永遠にないと言うことです」


 ですから受け取って頂いて問題ありませんと、強引に腕輪を押しつけられる。


「……腕輪だけ受け取って、俺が逃げたらどうするんだ?」

「マスターがお戻りになるまで楽園で待ち続けるだけです。それが、ホムンクルスわたしたちですから」


 ユミルを甘く見ていた。

 俺の覚悟が足りていないことなど、最初から分かっていたのだろう。

 その上で、どれだけでも俺の覚悟が固まるのを待つと言っているのだ。

 正直これでは説得することなど不可能に近い。

 この先何年でも、彼女は待ち続けるだろうと言うことが分かるからだ。


「それって、先代と同じスキルを俺が持っているからか?」

「勿論それもあります。ですが、私が最も重視しているのは魂の有り様です」

「……魂?」


 言っている意味がよく分からず、首を傾げる。


「いずれ分かります。マスターは楽園を治めるに相応しい資格をお持ちです。ですから、自信を持ってください」


 自信、自信か……。

 たぶん、いまの俺に一番足りていないものが、その自信なのだろう。

 ユミルには最初から何もかも見透かされていたのかもしれないと思うのだった。

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