第67話 楽園の危機

 遺跡を出立してから二日。順調に旅は進んでいた。

 まさか、本当に俺を背負った状態で七百キロ以上を走りきるとは……。

 途中で休憩を挟みながらとはいえ、汗一つ掻いていないのだから驚くほかない。

 というか、その休憩も俺の体調を気遣ってことなので、ユミル一人なら本当に一日で目的地に着きそうな勢いだった。

 しかし、


「ダンジョンの中とは思えない景色だな」


 目の前には大森林が広がっていて、空を見上げると満天の星空が見える。

 ここがダンジョンの中だと言っても、誰も信じないであろう壮大な景色だ。

 心が洗い流される。あれさえなければ、最高のシチュエーションだ。

 そう、あれさえなければ――


「派手にやってるな……」


 背後の森から爆音が響く。

 もう二日目なので慣れたものだ。我ながら適応力が高いと思う。

 爆音の正体はお察しの通り、ユミルだ。

 周辺のモンスターを片付けるついでに、食べられそうなものや錬金術の素材を回収してくれていた。

 一応、これでも手加減しているらしいんだよな。

 手加減しないと森が消失するみたいなことを言ってて、ちょっとドン引きしたくらいだ。


「マスター。ただいま戻りました」

「あ、おかえり」


 噂をすればなんとやら。ユミルが帰ってきた。

 あれだけ派手に暴れていながら服には土埃一つ付いていない。

 メイドの嗜みらしいけど、本当にどうなっているのやら……。


「この辺りの安全は確保できましたので、ご安心ください」

「あ、うん……ありがとう」


 もう言葉がない。

 やはりユミルだけは絶対に怒らせてはダメだと、あらためて心に誓う。

 取ってきた素材をマジックバッグからだして並べるユミル。


「見たことのない素材がたくさんあるな」

「それはベヒモスの角ですね。その横のはキングトレントの宝珠です」


 物凄く強そうなモンスターの名前がユミルの口から次々に出て来る。

 今更だけど、ユミルに敵うモンスターなんていないんじゃないか?

 例えるならレベルカンスト状態の味方がいるようなものだ。

 これがゲームの世界なら、彼女一人でも魔王を倒せるのではないかと思う。


「お、これは知ってる。メタルタートルの甲羅だ」

「そう言えば、はじめてお会いした時もメタルタートルの盾をお持ちでしたね」

「ああ、なんか偶然倒せたみたいで――」

「さすがはマスターです。このモンスターを仕留めるのは、私でも苦労すると言うのに……」


 そうなの?

 まあ、ドラゴンのブレスを防ぐくらいだしな。防御力は高そうだけど。

 しかし、本当に偶然倒せたのであって、俺の実力と言う訳ではない。

 たぶん甲羅が硬いだけで、中身は柔らかいモンスターだったのだろう。

 そうでないと、倒せた理由に説明が付かないしな。


「この調子なら予定よりも早く着きそうだな」

「はい。残り五百キロほどと言ったところですから昼過ぎには到着するかと」


 距離の感覚がおかしくなっている気がするが、ユミルが言うならそうなのだろう。

 だとすると、明日の夜は屋根のあるところでゆっくりと休めそうだ。

 ユミルがいれば安全だとは思うけど、野営が危険であることに変わりはないしな。


(でもまあ、たまにはこういうのも悪くないかな)


 不謹慎かもしれないが、キャンプみたいで楽しいと思うのだった。



  ◆



 喋ると舌を噛みそうなので黙っているが、昨日よりも速い気がする。

 いま俺はユミルに背負われて、楽園へと向かっていた。

 既に森を抜け、いまは風を切るような速さで荒野を疾走しているところだ。

 たぶん時速百キロくらいは出ているんじゃないかな?

 柔らかいとか良い匂いがするとか、考えている余裕はない。


「見えてきました」


 ユミルの声に気付き、肩越しに前を覗くと巨大な壁のようなものが見えてきた。

 まだ随分と距離があるが、かなり大きな城壁であることが窺える。

 三日前まで過ごしていた施設とは比べ物にならない大きさだ。

 国と言う話だしな。想像していたよりも、ずっと大きな街なのかもしれない。

 って、なんか土煙のようなものが街の方に見えるんだけど、なんだあれ?


「デスハウンドの群れですね。結界があるので街には近付けないはずですが……」


 大きな灰色の狼の群れが城壁に張り付いている様子が見て取れた。

 結界があるようには見えないことから、ユミルも戸惑っているようだ。


「しっかりと掴まっていてください。少し急ぎます」


 そう言って速度を上げるユミル。

 ドンと大気が震え、音を置き去りにするような衝撃が身体に伝わってくる。

 思わず悲鳴が口から漏れそうになるが、グッと我慢して耐える。


(また、あの黄金の光・・・・か)


 こちらに気付いて向かってきたヘルハウンドが、ユミルの手が光ったかと思うと消滅する。

 文字通り光の泡となってモンスターが消えるのだ。

 この二日、俺を背負って移動している時は大体この攻撃をユミルは使っていた。

 恐らくは激しく動くことで俺に負担を掛けないためなのだろう。


(〈消滅〉と言うよりは、どことなく〈分解〉に近い気がするんだよな)


 錬金術には三つの工程があることは前に話した通りだ。

 解析、分解、構築。この三工程で錬金術は成り立っている。とはいえ、素材の状態ならまだしも生きたモンスターを〈分解〉することが出来るとは思えない。だとすれば、ユミルの使っている魔法は別のスキルなのだろう。


(こう言うと不謹慎かもしれないけど、綺麗だな)


 光の泡となって消えるモンスターの姿が幻想的で、目を奪われるのだった。



  ◆



 城壁の周りのモンスターはユミルに駆除され、一匹残らず姿を消していた。

 しかし、


「街の中にもモンスターが入り込んでいるようです」


 状況は最悪のようだった。やはり街を覆う結界が消失していたらしい。

 二万年も経過していることを考えると、結界の装置に不具合が発生したのではないかと俺は考えたのだが、


「世界樹に何かあったのかもしれません」


 ユミルは他の可能性を考えているようだった。

 世界樹と聞いて、城壁の上から見える巨大な樹に視線を向ける。

 街の中央にそびえ立つ大樹。間違いなくアレのことだろう。

 凄く目立っているしな。少なくとも東京タワーくらいはありそうだ。


「まずはマスターを安全な場所へお連れしたいのですが……」

「気にしなくていい。状況の確認が先だ。俺も一緒に行こう」


 というか、置いて行かれても困る。

 錬金術の腕が上がったと言っても、俺のスキルは戦闘向きではない。

 この辺りのモンスターを相手に出来る自信は、さすがになかった。

 ユミルに再び背負われて、街の中を移動しながら世界樹を目指す。

 酷いもので街の中は随分と荒れ果てていた。

 しかし、崩れた建物の状態を見るに老朽化が原因ではないように思える。

 恐らくはモンスターの仕業と言ったところだろう。

 二万年も経過しているのに建物自体は綺麗なもので劣化が見られないからだ。

 だとすれば、確かに結界だけが老朽化で停止したとは考え難い。

 

「近付くと想像以上に大きいな」


 天を突くかのような大樹を見上げながら息を呑む。

 地球では絶対にありえない大きさの樹だ。

 

「世界樹の結界は生きています。街の結界だけが停止しているようですね。だとすれば、これは……」


 ユミルの言うように世界樹の周りには結界があるようだ。

 でも、なんか魔力の流れが弱々しい。世界樹自体も元気がないように見える。

 そうか、もしかすると――


「この街の結界は世界樹の魔力で維持しているのか?」

「はい」


 街の結界が消失しているのは、魔力の供給が足りていないからのようだ。

 世界樹が弱っていることが原因ぽいけど、まずは近付いて確認する必要がありそうだ。

 樹木にも効果があるのか分からないけど、ひょっとしたら錬金術の練習がてら製作した魔法薬が役に立つかもしれない。

 ああ、でも結界があるんだよな。どうやって、中に入れば――


「あれ?」


 スキルの〈解析〉を使用しようと思ったのだが、手が結界の中にすり抜ける。

 そのまま足を前に進めるも、普通に結界を通り抜けることが出来てしまった。

 モンスターにしか効果のない結界とか?


「これは……」


 後ろを振り返ると、呆然と立ち尽くすユミルの姿があった。

 もしかして結界の中に入れないのだろうかと考えていると、


「私は街に入り込んだモンスターを始末してきます。マスターは世界樹のもとへ」

「え……」


 静止する間もなく街の方へと姿を消してしまった。

 ここからは俺一人で行けと?

 いやまあ、結界があるのならここは安全なのかもしれないけど。

 不安がないと言えば嘘になるが、ユミルには頼りっぱなしだしな。

 少しくらいは役に立つところを見せないと呆れられそうだと覚悟を決め、


「どうにか出来る保証はないけど、確認だけでもしてみるか」


 世界樹のもとへと向かうのだった。

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