第72話 NOAH

 思っていたのと違ったようで、目を丸くするサーシャに話を続ける。


「最初に言っただろう? ユミルを目覚めさせる時に気を失ったって」


 すぐに全員を目覚めさせることが出来なかった理由。それは魔力にあった。

 ユミルを目覚めさせた時以上の膨大な量の魔力が必要なことが分かったのだ。

 なにせ千人分だ。それだけの数のホムンクルスを目覚めさせる魔力を確保するとなると簡単には行かなかった。

 モンスターから街を守るために結界の復旧は急務だったし、封印区画の維持にも世界樹の魔力が使われているため、まだ完全に快復した訳でない世界樹では余分に回せる魔力がなかったためだ。 


「まずはユミルと相談してヘイズを目覚めさせた。楽園の結界を修復する必要があったし、錬金術の助手が欲しかったからだ。とはいえ、最初は助手と言うよりは先生みたいなものだったけど」


 当時はヘイズのお陰で随分と助かった。

 彼女がいなければ、全員を目覚めさせるのに三年では済まなかっただろう。

 先代の助手をしていたと言うだけあって、当時の俺よりもずっと優秀だったしな。

 ある意味で、俺にとってヘイズは師匠とも呼べる存在だ。

 いまでも時々、魔導具製作の相談に乗ってもらっているほどの技師だった。

 

「では、そこからコツコツと姉様たちを目覚めさせていったのですか?」

「最初はそのつもりだったんだけどな」


 シオンの問いに肩をすくめながら答える。

 一人ずつ目覚めさせるのは、俺の負担が大きすぎた。ヘイズを目覚めさせる時にも魔力が枯渇して気絶したことから、これ以上は危険だとユミルに止められてしまったのだ。

 まさか、泣くほど心配されると思っていなかったから、あの時は焦った。

 そのことを話すと――


「当然ですね」

「それは王様が悪いと思います」

「ユミ姉を泣かせたお父様が悪いです」


 シオンとサーシャだけでなくレミルからも容赦のない一言が返ってきた。

 いやまあ、俺も反省はしているけど、あの時は本当にそれしか方法がなかったんだ。


「それで、どうされたのですか?」

「ヘイズと相談して、魔力を貯蔵プールする装置を作れないかって話になって研究がはじまった」

 

 シオンの問いに答える。

 ユミルと出会った施設のことを思い出したのが切っ掛けだった。

 あの施設はダンジョンから取り込んだ魔力を循環させることで、施設の機能を維持していたからだ。楽園の機能は世界樹に依存しているが、同じようなことが出来ないかとヘイズに相談して研究がはじまった。

 ただ、簡単には行かなかった。

 ヘイズは優秀な助手だが、彼女は錬金術師と言う訳ではない。

 実際に魔導具を研究し、開発する仕事は俺が主導する必要があったからだ。

 当時まだ駆け出しの錬金術師に過ぎなかった俺には荷が重い仕事だった。


「結局、俺だけの力ではどうしようもないことに気付かされて、ユミルを説得して他にも何人か目覚めさせることになったんだけどな」

「……大丈夫だったのですか?」

「ああ、その頃には一年が経過していて、俺もかなり成長していたしな」


 心配するシオンに問題なかったことを伝える。

 魔力操作の技術が一年で随分と向上したことや、繰り返しスキルを使うことで俺自身の魔力も増えていたのだろう。そのため、最初の頃のように気絶することはなくなっていた。

 それでもユミルとの約束で月に一回までという条件の下で、まずは〈原初はじまり〉の名を持つ他の三人を先に目覚めさせたのだ。

 その後、〈九姉妹ワルキューレ〉を順番に目覚めさせ、装置の完成を急いだ。


「それで、三年も掛かったんですね」

「ああ、大変だったのは、そのあとだけど……」


 首を傾げるサーシャに俺は苦笑しながら、当時あったことを説明する。

 ハッピーエンドと行かず、その後に待ち受けていた試練とは、千人分の名前を考えることだった。

 ユミルたちの時は人数も少ないし考える時間もあったので大きな負担ではなかったのだが、さすがに千人分となるとそうもいかない。メイドたちの期待を裏切る訳にもいかず、三年の苦難の後に更に二ヶ月も名付けに奮闘することになるとは思ってもいなかった。


「みんな、王様に名前を付けてもらえて嬉しかったと思います! わたしもそうですから!」

「レミルも嬉しかったのです!」


 サーシャとレミルに励まされ、少し報われた気になる。

 実際、メイドたちの喜ぶ顔が見たくて頑張ったという部分もあるしな。

 そうでなければ、先代みたいに番号で呼んでいたかもしれない。

 ただまあ、それでもユミルたちの時と比べれば適当な名前の付け方になってしまったのだが、あれが俺の限界だった。


「途中で日本に帰りたいとは思わなかったのですか?」

「そんな余裕がなかったというのが本音だ。そもそも三年も経っていることに気付いたのは、一段落ついてからのことだったし……」

「それは……」


 俺の話を聞いて、少し呆れた様子を見せるシオン。

 昔からそうなのだが集中して一つのことに取り組み始めると、時間も忘れて没頭してしまうんだよな。

 俺の悪いところだと自覚はあるのだが、こればかりは直しようがなかった。

 両親も自分の研究のことになるとそんな感じだし、やはり血筋なのだろう。


「本当にいろいろとあった。三十年は短いようで長いな」


 そのあとも、いろいろとあったなと思い出す。

 さすがに三年も音沙汰なしなのはまずいと気付いてレギルに様子を見に行ってもらったら、両親もダンジョンに取り込まれて行方知れずになっていると聞くし――

 月のダンジョンが見つかって地球が調査ロケットを送ってくるものだから、メイドたちが楽園への侵攻だなんだと騒ぎだして宥めるのに苦労させられたしな。

 結局、ユミルに話をつけにいってもらって穏便に済ませることが出来たからよかったものの正直かなり大変だった。

 ただまあ、それも今では良い思い出だ。


「そんなに面白かったか?」

「はい! 王様が凄い人だって、あらためて思いました!」

「フフン、当然です。お父様は昔から凄かったのですよ」


 レミルが胸を張るようなことではないと思う。

 とはいえ、褒められて悪い気はしない。サーシャが目を輝かせて話を聞くものだから、ついつい興が乗って話が長くなりすぎてしまったが、喜んでくれたのなら良かったのだろう。

 しかし、シオンの反応が余り良くない気がする。

 子供受けする話だったのかもしれないが、シオンには退屈だったのかもな。

 これ以上はシオンに悪いし、ここらで話を切り上げるか。


「話はここまでだ。かなり時間を食ってしまったしな」 

「うう……もっと、いろいろと王様の話が聞きたいです」

「また機会があれば、話してやるさ」


 サーシャとシオンに別れを告げて、先に屋敷へ戻ることにする。

 久し振りに昔のことを話したら、ユミルの顔を見たくなったからだ。

 この時間なら屋敷で執務をこなしている頃だろう。


「お前もついてくるのかよ……」

「お父様だけ狡いのです。レミルもユミ姉の顔が見たくなったのです」


 どうして俺の考えていることが分かったと思いながらも、レミルにとってユミルは姉であり母親代わりでもあったことを思い出す。

 話を聞いて、甘えたくなったのだろう。

 仕方がないと苦笑を漏らし、レミルと手を繋いで屋敷へと帰るのだった。



  ◆



「シオンさん、どうかしました?」


 椎名を見送った後、シオンの様子がおかしいことに気付き、尋ねるサーシャ。

 なにか考えごとをしているような様子が見て取れたからだ。


「いえ、マイスターの話が少し気になって……」

「王様の話? それって、王様がユミル様に告白・・したところですか?」


 ロマンチックですよねと話すサーシャに、確かにとシオンも頷く。

 女の子なら誰もが憧れるシチュエーションだ。

 自分もいつか――と妄想が頭を過るが、シオンは顔を赤くして頭を振る。

 いま気になっているのは、そこではないからだ。


「いえ、そこではなくて、もっと最初の方のAI・・を開発していたって話なのだけど、どこかで聞いたことがあるような記憶があるのよね……」


 椎名がAIの開発を行っていたと言う話が、シオンは気になっていた。

 どこかで耳にした覚えがあったからだ。

 恐らくは人間だった頃の記憶だと思うが、どこで耳にしたのか思い出せない。


「王様に酷いことをした人たちの話ですか? 許せませんよね!」


 自分のことのように怒るサーシャを見て、彼女も楽園のメイドなのだとシオンは思う。

 シオンも不憫だとは思っているが、椎名が怒っている様子もなく淡々と過去のことと捉えて話していたので、まだサーシャと比べれば冷静だった。

 その点から言うと、楽園のメイドのなかでも自分は異質だという自覚はシオンもあるのだ。


(そうよね。わたしが冷静なだけで、サーシャの反応が普通なのだとすれば……)


 この話を知った楽園のメイドたちが何もせずにいられるだろうかと考える。

 無理だ。間違いなく報復する未来しか思い浮かばない。

 命までは奪わずとも、社会的に抹殺するくらいのことはしそうだと考えた時――


「あ……〈NOAHノア〉」


 世界最高峰と名高い人工知能の名前がシオンの頭に過る。

 三十二年前に発表された現代の人工知能の雛型とも呼ばれているもので、いまだに〈NOAH〉を超えるAIは存在しないと言われるほど凄い人工知能だった。

 ただ、それが盗作であったことが二十年ほど前に明らかとなり、本当の開発者はダンジョンの出現に伴う災害で命を落としていたことがニュースで報じられたことがあるのだ。

 その開発者の名前と言うのが――


「確か、〈NOAHノア〉の開発者の名前は暁月椎名・・・・……」


 今更ながら椎名が正体を隠している理由をシオンは察する。

 ただの一般人であれば、そこまで警戒する必要はないかもしれないが暁月椎名の名前はその界隈では有名すぎた。

 もう二度と彼を超える天才は現れないと噂されるほどのプログラマーだったのだ。

 暁月椎名の名は、その界隈で伝説として語り継がれているほどだった。

 当然、椎名の成果を奪った関係者は全員が社会的な罰を受けた。

 会社も倒産に追い込まれ、いまは〈トワイライト〉が〈NOAH〉の管理を行っているはずだ。となれば、間違いなく楽園のメイドたちがやったことだとシオンは察する。


「お父様は昔から凄かったか……。レミル姉様の言葉は正しかったのかもしれない」


 誰でも良かった訳でも、運が良かった訳でもない。

 椎名だったから〈楽園の主〉になることが出来たのだと、シオンは考えるのだった。

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