第三章 奈落と神獣
第59話 ノルンの使命
俺の名は
世間では〈楽園の主〉と呼ばれていて、千を超えるメイドたちに甲斐甲斐しく世話をされながら悠々自適な日々を送っているのだが、最近ちょっとした悩みを抱えていた。
その悩みごとのために調べものをしようと〈書庫〉に足を運んだのだが――
「ありがとう。それじゃあ、そっちの本は棚に戻しておいてくれる?」
先日、楽園に加わった新人メイド――サーシャのスキルが、かなり便利なものであることが分かった。
サーシャの指示に従い、テキパキと働くゴーストたち。ゴーストと言っても黒くて丸い
スキルの名は〈
皇女がサーシャのことだと推察すると、黒き守護者というのは人魂のことを指しているのだと分かる。
スカジの〈
「王様、来てたの? 声を掛けてくれればよかったのに」
短く揃えられた銀色の髪に、前髪で隠れた左眼。
メイド服の上から白衣を纏った子供のような見た目の彼女の名はノルン。
楽園に六人しかいない〈
前に言っていたサーシャ以外に俺のことを『王様』と呼ぶメイドが彼女だ。
「ノルンか。忙しそうにしてたから声を掛けるのも悪いと思ってな」
「ああ……いま、ちょっと書庫の整理をしているからね。レギルがまた地球の書物をたくさん送ってきて、整理する方の身にもなって欲しいよ」
そう愚痴を溢すノルンの視線の先には、山ほどのダンボールが積まれていた。
このなかに全部、本が詰まっているのか……。
そりゃ、文句の一つも言いたくなるのは分からなくも無い。
しかし、それだと尚更サーシャのスキルには助かっていそうだ。
「彼女はどうだ?」
「よく働いてくれてるよ。あのスキル、便利だよね」
やっぱり便利だよな。
どの程度のことが出来るかによるが、普通に〈工房〉でも活躍しそうなスキルだ。
とはいえ、サーシャの身は一つなので余り無茶なことはさせられないが――
書庫の仕事を手伝わせているのも、楽園の生活に慣れさせるためだしな。
「王様が調べものなんて珍しいね。よかったらボクが相談に乗るよ」
渡りに船とはこのことだ。
ここには先代の〈楽園の主〉が遺した昔の書物だけでなく、メイドたちが集めた地球の本も数多く収められていると言うのに、どこにどんな本があるのかをすべて記憶しているのがノルンだった。
伊達に〈書庫〉の司書長を任されていないと言うことだ。
折角なので、目的の資料がないかを尋ねてみる。
「昔の楽園の資料はないか?」
「それって、先代の頃のってこと?」
「ああ、できれば当時のことを詳しく記したものが欲しい」
俺の悩みと言うのは、メイドたちのことだ。どうにかして楽園の労働環境を改善できないかと考えていた。
そう思い至ったのは、月面都市の一件に理由があった。
四ヶ月だ。たったの四ヶ月で、月に都市を造り上げてしまったのだ。千人もメイドがいるではなく、千人しかいないのにだ。本人たちは平気そうな顔をしているが、このまま放置するのは危険だと俺は感じていた。
ホムンクルスが人間よりも強靱な肉体を持っていると言っても、疲れを知らない訳ではないからだ。いつか大きな事故に繋がってしまうのではないかと心配するのは当然だろう。
そこで先代の〈楽園の主〉の時代はどうしていたのかを、まずは知るべきだと思ったのだ。
とはいえ、メイドたちを番号呼びするくらい無頓着な先代のことだ。正直、そういう細かい配慮は出来ていなかったと俺は読んでいる。しかし、先達に学べという言葉があるように、過去の失敗から人類は多くのことを学んできた。
休みを増やすと言えばメイドたちは反対するだろうけど、事故の記録なんかがあれば説得の材料になる。
そこに賭けてみようと思った訳だ。
「王様には前にも話したことがあると思うけど、昔の資料はほとんど残っていないんだよね。楽園の資料や歴史に関する書物以外は残っていることを考えると、たぶんボクたちの記憶が欠落していることと関係があるとは思うんだけど……」
「……歴史以外の資料も残っていないのか?」
「うん……錬金術の研究資料や魔導書の類はあるけど、王様が探してるのってそういうのじゃないでしょ?」
そう言えば、そんなことを前に言ってたな。
ノルンの言うように、メイドたちの記憶は完全じゃない。何もかも忘れている訳ではないそうなのだが、ダンジョンが消えた理由や先史文明が滅びた原因など肝心なところに記憶の欠落が見られるのだ。
そのため、気になって調べようとしたことがあるのだが、
(そういや、そんなことを言っていた気がする)
うっかり忘れていた。
でも、紛失しているのは歴史に関する資料で、他のは少しくらい残っていると考えていたんだけどな。
それすらないとなると、かなり徹底している。たぶん先代の仕業なのだろうけど。
まるで自分の黒歴史を必死に隠そうとしているかのようだ。
そんなにいろいろとやらかしたのだろうか?
マッドサイエンティスだった疑いがあるし、ありえない話ではないな。
「でも、どうして急に昔のことを?」
「ああ、それは……いや、忘れてくれ」
ノルンに相談してメイドたちの耳に入ると 計画を実行に移す前に止められる可能性がある。
昔、週休二日制を提案した時も、捨てられた子犬のような顔で「わたしたちに何か落ち度が?」「どうか、わたしたちを見捨てないでください」と言った感じで泣きつかれたことがあるのだ。
結果、週一日の休みを設けることで妥協したという経緯があった。
俺が命令でメイドたちを強制的に休ませないのは、これが理由だ。
そんなことをすれば、彼女たちは自分に落ち度があったのではないかと自分を責めることになる。
なので今よりも休みを取らせたいのであれば、なにか理由が必要となる訳だ。
楽園の労働環境の改善が容易でないことは理解してもらえたと思う。
「もう、お帰りですか?」
「ああ、邪魔したな。また覗きにくるから仕事がんばれよ」
「はい!」
やはり一筋縄では行かないようだ。
なにか良い手はないものかと考えごとをしながら、サーシャに別れの挨拶をして〈書庫〉を後にするのだった。
◆
以前にも一度、楽園の歴史を調べようと
しかし結局、何一つ分からなかった。
歴史について記された資料が、すべて紛失していたからだ。
ノルンに心当たりがないと言うことは、何かしらの事情があって先代の〈楽園の主〉が資料を処分したとしか考えられない。それなら楽園のメイドたちの記憶が欠落していることにも説明が付くからだ。
「でも、いまになってどうして……」
ここに昔の資料がないことは、主も理解しているはずだ。
それでも楽園の過去を調べようとしたと言うことは、なにか事情があるに違いない。
もしかしたら、とノルンの脳裏に一つの可能性が過る。
「
それはノルンも感じていたことだった。
通常、魔王と言うのは滅多に現れるものではない。先代が生きていた時代でさえ確認された魔王の数は両手の指で足りるほどで、どれだけ短くとも百年に一度くらいの頻度でしか現れない一種の災害のようなものなのだ。
神の領域に迫れる人間が滅多に現れないことが、その理由にあると言っていい。
サンクトペテルブルクの事件はスカジの油断が原因で最悪の結果を招きかけたが、神の領域に至れる人間が現れ、堕ちた神――魔王が生まれるなど予想できることではなかった。
力の制御に失敗したとはいえ、それほど驚異的な偉業をアレクサンドルは成し遂げたと言うことだ。
「王様は楽園の過去に原因を突き止める何かがあると考えた。それなら理解できる。でも……」
失われた歴史を解き明かす手段がない訳ではなかった。
そのための
しかし、そのことを話さなかったのは、椎名を危険に晒すと分かっているからだ。
至高の錬金術師の叡智を受け継いだ〈楽園〉の後継者のみが立ち入ることを許された場所。そこなら楽園の過去を知る手掛かりを得られるかもしれない。しかし、仮に椎名が後継者に相応しくないと判断されれば、命を落とす危険すらある。
だからこそ、椎名が以前〈楽園〉の歴史を調べようとした時は、このことをノルンは話さなかった。
あの時の椎名では、真の後継者と認められない可能性が高いと考えたからだ。
それを見極め、次の〈楽園の主〉に鍵を託すのもノルンの役目だった。
「いまの王様なら、でも王様にもしものことがあったら……」
万が一の可能性が頭を過り、ノルンは逡巡を繰り返すのだった。
◆
「それで、私のところにきたと……」
「みんなは
そう言われると、ユミルも納得するしかない。
先代の〈楽園の主〉からノルンが託された使命は、それほど重要なものだからだ。
しかし、
「なら、私の答えは分かっているはずよ」
だからこそ、ユミルはこの件に口を挟むつもりはなかった。
使命を授けられたのはユミルではなくノルンだからだ。
ノルンがどのような答えをだすかも含めて託された使命だと、ユミルは考えていた。
それに――
「マスターがそのことに気付いていないと思いますか?」
「え……」
「考えてみなさい。〈書庫〉に楽園の歴史を記す資料がないことはマスターもご存じのはず。マスターに限って、うっかり忘れていたなんてことはありえるはずがない。なら、自然と答えはでるはずです」
「で、でも……鍵のことを王様は知らないはずじゃ!」
「ええ、私も話していません。ですが、マスターの叡智をもってすれば……」
不可能ではないかもしれない。
ユミルの話を聞き、確かにそうかもとノルンも思い至る。
だとすれば、自分はとんでもないことをしたかもしれないと慌てるノルン。
「落ち着きなさい。マスターが何も言わずに立ち去られたのであれば、あなたに判断は委ねたと言うことです」
ゆっくりと見極める時間を与えられたとも考えることができる。
いや、恐らくはそうなのだろうとユミルは考えていた。
強引に聞き出すのではなく、真の主に認められるにはノルンが鍵を託してもいいと安心できるくらいには信頼を得る必要があると、マスターは考えられたに違いないと――
実際に、その経験がユミルにはあるからだ。
椎名と出会った頃の記憶。二人で過ごした日々のことを、ユミルは片時も忘れたことはなかった。
だからこそ、確信を持って言える。
「貴女の目で、ゆっくりと見極めなさい。それをマスターは望まれているのですから」
「……うん」
ユミルの言葉を噛み締めながらノルンは頷くのだった。
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