第56話 新たな支配者
ギルドの執務室で、難しい表情を浮かべるヴィクトルの姿があった。
「例のメイドと一緒にいた黒髪の男か……確かに
東洋人と思しき男がメイドと一緒にいるところを目撃したとの報告が、部下から上がってきたからだ。
メイドと言うのはオルトリンデのことだ。
だとすれば、一緒にいた男と言うのは楽園の協力者と考えるのが自然だった。
しかし、いまのサンクトペテルブルクは探索者だけでなく、ダンジョンの素材を求めて様々な国の企業や組織の人間が集まってきている。そのなかには当然、東洋人も大勢含まれていた。
黒髪の男と言う情報だけで、人物を特定するのは難しい。
いまや首都を凌ぐこの街の人口を考えれば、ほぼ不可能と言っても良いだろう。
それに――
「とはいえ、探りを入れるのは危険か……」
皇帝の支配は終わったが、だから街が平和になると言ったことはなかった。
恐怖の対象が〈皇帝〉から楽園に置き換わっただけの話だ。
三日前にはグスタフの商会があった場所に〈トワイライト〉の事務所が開業し、黄金宮殿の跡地も買収されてメイドたちが堂々と作業を行っているところが目撃されているからだ。
この街の裏社会は既に楽園の支配下にあると言っていい。
その状況で楽園に探りを入れるなど、自殺行為でしかなかった。
欲をかけば、グスタフの二の舞となることは明らかだ。
「懸命な判断ね」
「――!?」
他に誰もいないはずの執務室に女の声が響き、周囲を警戒するように見渡して固まるヴィクトル。それもそのはずで、先程まで誰も座っていなかったはずのソファーにメイドの姿があったからだ。
特徴的な銀色の髪からオルトリンデと同じ楽園のメイドだとヴィクトルは察する。
「お前は……」
「お察しの通り、楽園の者よ。あなたもどう? 一杯、ご馳走してあげるわよ」
「……いただこう」
一瞬戸惑う様子を見せるも、メイドの向かいの席に座るヴィクトル。
そんなヴィクトルの反応を楽しみながら、銀髪のメイド――スカジはカップに特製の紅茶を注ぐ。
「これは……」
差し出されたカップに口を付け、驚きに目を瞠るヴィクトル。
鼻腔をくすぐる芳醇な香り。絶妙なバランスで混在した甘みと苦み。
味や香りが素晴らしいこともあるが、
そして、肩をグルグルと動かし若い頃に負った古傷が痛まないことを確認して――
「
紅茶に〈神の酒〉を混ぜたのだと、ヴィクトルは察する。
霊薬には及ばないかもしれないが、それに準じる効果があると確信したからだ。
「見る目もあるようね。この酒のために身を滅ぼした愚か者もいるのだけど」
誰のことを言っているのか理解できないヴィクトルではなかった。
ほんの一週間ほど前まで、この街の表と裏を取り仕切っていた男、グスタフだ。
グスタフのようになりたくなければ、これ以上の欲をかくなと――
「頭もそれなりに回るようね。これなら問題ないでしょう」
「……どういうつもりだ?」
「もう、気付いているのでしょう? 私たちの
スカジの言うように分かっていた。
彼女がここに姿を現した時点で、大凡の見当はついていたからだ。
「自分たちで直接支配するつもりはないのか?」
「必要があるなら、そうするわ。でも、まだその時期ではないと言うだけの話よ」
時期と言うのが引っ掛かるヴィクトルだったが一先ず納得する。
楽園が表立って支配するのは、地球との関係を考えると面倒臭いことになるのは想像が付くからだ。
街の支配が目的ではなく、裏の影響力を手にすることが狙いだったのだろう。
そして、そのために自分が選ばれたのだと――
グスタフに代わって、この街の裏社会をまとめろと言われているのだとヴィクトルは察した。
「納得してくれたみたいね」
「他に選択肢はないからな。それに、この街を無秩序な状態へ戻すつもりはない」
少なからず〈皇帝〉の存在によって裏の秩序が保たれていた点はヴィクトルも認めていた。
いまは楽園を警戒して様子を見ている組織が多いが、グスタフの組織が潰れたことで勢力図を塗り替えようとする動きは既に水面下で起きている。そうした流れを止めるには楽園の力を借りるしかない。
だから最初からヴィクトルは楽園と手を結ぶつもりでいたのだ。
「最後に一つだけ聞かせてくれ。どうして〈皇帝〉を殺さなかった?」
しかし、その前にどうしても一つだけ確認しておきたいことがあった。
楽園が〈皇帝〉にトドメを刺さなかったことだ。
皇帝の過去には同情するべき点はあるが、そのことを知っているのはヴィクトルだけだ。
彼のしたことは決して
力を誇示するためだけに探索者たちを殺した容赦のなさやグスタフへの対応を見ても、判断を見誤るような相手には思えなかったからだ。
「主様が殺さなかったからよ」
スカジの口から返ってきた言葉に、目を丸くするヴィクトル。
どんな話が聞けるのかと思えば、余りにも単純明快な答えが返ってきたからだ。
「なるほど……次の王様は慈悲深いようだ」
ヴィクトルの答えに満足した様子で笑みを溢し、姿を消すスカジ。
一方でヴィクトルは得体の知れない恐怖を〈楽園の主〉に感じていた。
誰も知らないはずの〈皇帝〉の過去。
それを〈楽園の主〉は知っていたのだとすれば――
「すべてを見通す叡智。まさに神の所業だな……」
本当に神そのものなのかもしれないと、ヴィクトルは考えるのだった。
◆
グスタフの商会があった場所に〈トワイライト〉は臨時の事務所を構えていた。
黄金宮殿の跡地も買収が完了しており、そこに支社ビルを建造予定のためだ。
「想像よりも、ずっと賢い男だったわ」
そう言って執務に励むレギルに、先程のやり取りを説明するスカジ。
スカジが人間を褒めるなんて滅多にないことから、驚いた様子を見せるレギル。
しかし、それだけにヴィクトルという人間に期待と興味を抱く。
愚かな人間にも使い道はあるが、使える人間であることに越した事は無いからだ。
「なら、このあとの計画もスムーズに進められそうね。もう一つの件も片付きそうだし、しばらくこちらに集中できそうよ」
「……もしかして〈
「ええ、たくさん逮捕者がでたみたいよ。支援庁の役人だけでなく繋がりのあった政治家にまで捜査の手が及んでいるみたい。どうやら探索者から没収したアーティファクトを海外に売り捌いていたらしいわ」
レギルの説明に「ええ……」と呆れた様子を見せるスカジ。
少し人間への評価を見直したかと思った矢先に、そんな話を聞かされれば呆れるのも無理はない。
ただ、そう言った連中が問題を起こす前に排除したと言うことは、日本政府にもそれなりに頭の切れる人間がいると言うことだ。
それなら、まだ救いはあるかと考えていると――
「日本政府も思ったよりやるみたいね」
「いえ、どうやらギルドの代表理事が動いたらしいわ」
「ギルドの代表理事? それって主様が万能薬を贈った?」
「ええ、その万能薬で病気が完治したみたいね」
日本政府ではなく第三者の功績だと聞かされて、再び呆れるスカジ。
とはいえ、最悪の状況を回避したことに変わりは無い。その点で言うと、運は良いのだろう。
どちらかと言うと気になるのは、ギルドの代表理事の方だった。
この短い時間で証拠を揃え、国を動かせるだけの影響力を持っている人物と言うことになるからだ。
相当の切れ者であることが想像できる。
「人間のなかにも侮れない相手がいるようね」
「ええ、だから〈
「言われなくても、私たちは私たちの為すべきことをするだけよ」
とはいえ、相手が誰であろうとやることに変わりは無い。
スカジたち〈狩人〉の役割は情報を集め、楽園に仇なす存在を見極め、排除することにあるのだから――
しかし、心境の変化はあった。
以前のスカジは人間対する侮りがあった。それが今は感じられない。
スカジの雰囲気が変わったことに、レギルも気付いたのだろう。
「……あなた、少し変わった?」
「どうかしら? でも、変わったように見えるのだとすれば、それはきっと――」
――主様のお陰ね。
と言い残して、スカジはいつものように音もなく姿を消すのだった。
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