第54話 始源の理

「はあ……」


 いまだに興奮冷めやらぬ様子で頬に手を当て、感嘆の溜め息を漏らすオルトリンデ。

 思い起こす度に身が震えるような感動が波のように押し寄せてくる。

 そのくらい彼女が目にした〈楽園の主〉の力は想像を超えていたのだ。


「あれが、ご主人様の力……」


 勿論、一度も主の力を目にしたことがなかった訳ではない。

 魔導具の製作に立ち合った経験は何度かある。

 しかし、普段は滅多に楽園の外にでない主の力をそれ以外で目にする機会などあるはずもなく、魔力暴走を引き起こした神の化身・・・・魔核ディアボロスコアに再構築するなんて神業かみわざを目にする機会に恵まれるとは思ってもいなかった。

 それだけに感動は大きい。


「堕ちた神のなり損ないとはいえ、完全に抑え、魔核のみを抽出するなんて……」


 堕ちた神とは、魔王のことだ。

 権能を極めた先に神の領域へと至る者は稀にいるが、人の器で神の力を御せるはずもなく、大抵の場合は制御に失敗して堕ちた神――魔王と化す。

 自我を失い、憎しみと怒りを世界に向け、破壊だけを求める存在へと――

 シオンの例はかなり特殊だが、それでもヤマタノオロチが生まれたのは一色が力を制御できなかったことが原因と言っていい。仮に〈須佐之男スサノオ〉の力を完璧に制御していれば、別の結果もありえただろう。

 しかし、椎名は――〈楽園の主〉は違った。


「まさに神の如き……いえ、神さえも凌駕する力。あれが始源の理オリジン……」


 ――始源の理オリジン

 先代の〈楽園の主〉も所持していたとされる世界の理に通じる力。

 すべてのスキルの原点にして、世界の創造はじまりにも関わるとされる力。

 ダンジョンもまた、この始原の理オリジンによって生み出されたのではないかと、先史文明の時代を生きた学者たちの間では考えられていた。

 実際にそれだけの力がオリジンにはある。

 仮に権能を覚醒させて神の領域に至ったとしてもスキルそのものに干渉し、改変を加えることなど不可能。神の権能もまたダンジョンに与えられたスキルに違いはないからだ。

 しかし、椎名はそれをいとも簡単にやってのけた。

 アレクサンドルの身体を依り代に顕現した神の力を分解し、魔核に再構築して見せたのだ。

 それは即ち、ダンジョンの定めたルールに――世界の理に干渉したと言うことに他ならない。 


「この感動を書き記しておかないと!」


 そう言ってペンを手に持ち、机へ向かうオルトリンデ。

 趣味の日記もとい伝記に〈楽園の主〉の偉業を書き記すのだった。



  ◆ 



 一方でスカジは深い後悔の念に駆られながら、反省の態度を示していた。

 あるじのためにと意気込んでいながら、主の手を煩わせる結果を招いてしまったからだ。

 本末転倒とは、まさにこのことだ。

 もっと早く片付ける方法もあったと言うのに余裕を見せて相手を侮った結果、新たな魔王を誕生させると言った失態を犯した。しかも魔力暴走のオマケ付きで完全な魔王化には至らず、下手をすれば死の大地を生みだしていた可能性すらあったのだ。

 自分の行動を省みて、スカジが猛省するのも当然のことだった。

 

「……それで、主に会わせる顔がないから逃げてきたの?」

「うっ……そう言う訳じゃ……」


 スカジの行動に呆れた様子を見せるヘイズ。

 気持ちは分からない訳ではないが、完全に自業自得だ。

 弁論の余地がないほどに、今回のことはスカジが悪いとヘイズも認めていた。

 しかし、


「主なら気にしてないと思う」


 楽園を侮った愚かな人間にさえ、慈悲を与えるほど寛大な人物だ。

 少しミスをしたくらいで、主が自分たちを見限ることなどありえないとヘイズには分かっていた。

 そして、それはスカジも理解しているはずなのだ。


「それでも自分が許せないのよ……」


 そう話すスカジを見て、ヘイズは何かに気付いた様子を見せる。

 原初の六人は特に付き合いが長く、最も古くから〈楽園の主〉に仕えるメイドだ。

 それだけに多少は他のメイドたちよりも事情・・に詳しい。

 魔王であった頃の記憶が残っている訳ではないが、魔核に込められた知識や経験は継承しているからだ。


「それって、あるじに先代と同じことをさせてしまったから?」


 嘗てダンジョンのある国を治めていた女王にして、滅び行く国を守るために禁忌を犯し、魔王へと身を堕とした存在。

 それが、スカジに使われた魔核の持ち主だった。

 彼女のスキル〈白き国を守護せし者アウラ・ゲニウス〉の英霊たちは、その女王に仕えた〈白き国〉の戦士たちだ。

 そして、魔王となった女王を殺したのが先代の〈楽園の主〉だった。


「否定はしない。女王かのじょは、いまもあの時のことを後悔し続けているから……」


 普通はそこまで魔核に引き摺られることはないが、スカジの場合は特殊だ。

 白き国の戦士たちと同様に、女王もまた英霊となって存在し続けていた。

 スカジの奥の手は、女王の魂と一体化することで真価を発揮する力だ。

 だからこそ、彼女の感情が痛いほどによく分かる。


「でも、スカジと女王は違うでしょ?」

「それは……」

「主もだよ。先代と主は違う」


 同じ力を持っているだけで、スカジと女王は別人だ。

 同じことは、椎名と先代の関係にも言える。

 ヘイズにとって先代は母親のような存在だが、椎名は違う。

 それに――


「女王の時と違って、今回は助かったんでしょ?」


 アレクサンドルはまだ生きていた。

 先代でも出来なかったことを、椎名は容易くやってのけたのだ。

 スキルの力だけではない。〈至高の錬金術師〉を超える魔力制御の技術。

 神業とも言える魔力制御が、奇跡を起こしたのだとヘイズは考えていた。

 あれは才能の一言で片付けられるレベルの技術ではない。

 もはや、異能の領域にあるとヘイズは椎名の能力を感じていた。

 だからこそ先代と椎名は別人だと、はっきりと言える。


「後悔したくないなら、早めに謝った方がいいと思うよ」


 それがヘイズに言える精一杯のアドバイスだった。



  ◆



 どこで覚えたのか?

 床に額をつけ、深々と土下座をするスカジの姿があった。

 恐らくは〈帰還の水晶リターンクリスタル〉の件を反省しているのだろう。

 しかし、メイドに土下座をさせていると、こっちが悪いことをしている気持ちになる。

 他の誰かに見られたら要らぬ誤解を招きそうだ。


「気にするな。怒ってなどいない」

「ですが……」


 スカジも部下のことを思ってしたことだろうしな。

 反省していることだし、もう勝手に俺の研究室から魔導具を持ちだすようなことはしないだろう。

 というか、俺のためを思うなら、もう土下座はやめて欲しい。

 こんなところを他の誰かに見られたら、絶対に面倒臭い誤解を招く。


「お前だけが悪い訳じゃない。同じ過ちを繰り返さなければ良いだけの話だ」

「主様……」


 同じ過ちを繰り返さなければ、それでいい。

 それに俺も反省すべき点が多いと、今回のことは考えさせられた。

 メイドたちの労働環境の改善について、真面目に取り組むべきだと反省していたところだ。

 月面都市を四ヶ月で完成させるとか、どう考えても働きすぎだしな。


「いまは、ゆっくりと休め」


 ホムンクルスだからと言って、休息は必要だ。

 自分たちでコントロールできないのであれば、やはりルール作りが必要だろう。

 人間よりも強靱な肉体を持つと言っても、疲れを知らない訳ではないからだ。

 そのためにも何かしらの手を打つ必要があると考えさせられるのだった。



  ◆



「主様……」


 きっと、すべてお見通しだったのだろうとスカジは考える。


「主様の手の平の上だったと言うことね。私も……」


 自分も試されていたのだと、スカジは感じていた。

 その証拠に、椎名が現れなければサンクトペテルブルクの街は壊滅していた可能性が高かった。

 恐らくは介入のタイミングを見計らっていたのだと想像できる。〈狩人〉ですら、ほとんど情報を得ることができなかったアレクサンドルの行動を読み切り、魔力暴走を引き起こす可能性にまで思い至っていたと言うことだ。


「さすがは叡智を司る御方……。きっと、主様には遠い未来のことまで見えているに違いないわ」


 それだけに、主の期待に応えられなかったことをスカジは恥じる。

 しかし、その一方で感謝もしていた。

 自分を含め、メイドたちを気遣う主の優しさに触れたからだ。


「本当に慈悲深い御方……なのに私はそんな主様の期待に応えられなかった」


 ホムンクルスは錬金術によって生み出された人工生命体だ。

 しかし、彼女たちには元となった人間の魂がある。正確には霊核や魔核と呼ばれるもので、これは魂の遺伝子情報とも呼べる霊基によって構成された謂わばエーテル体のコピーと呼べるものだ。

 そのため、強い力を持った霊核や魔核ほどモデルとなった人物の影響を受けやすい。特にスカジの場合は権能の力で英霊の魂そのものとリンクしているため、知識や経験だけでなく感情まで受け継いでいた。

 国を守るために取った選択で、自ら国を滅ぼしてしまった後悔と苦悩。

 そんな愚かな自分を止めてくれた親友・・に対する申し訳なさ――

 スカジが椎名に抱いている感情は自分だけのものではなく、魔女王の願いも含まれていた。

 たった一人の親友から受けた恩を、その叡智を受け継いだ椎名に返したい。

 それが魔女王の願いでもあったからだ。


「主様の優しさに触れて、あなたも嬉しいのね」


 主の気遣いが、優しさが、傷ついた心を癒してくれる。

 自分のなかにいる魔女王も喜んでいるのがスカジには分かる。

 だから、


「ええ、これからも共に主様の助けになりましょう」


 今度こそ、主の期待に応えたい。

 主の理想を実現することこそ、自分たちに出来る精一杯の恩返しだと――

 スカジは決意を新たにするのだった。

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