第53話 過去の清算
いまから三十年ほど前のことだ。
まだギルドが設立される前、この街では二つの巨大な組織がダンジョンの利権を巡って
そのうちの一つはサンクトペテルブルクに古くから根を下ろすマフィアで、もう一つは街の外からやってきた組織だった。
抗争がはじまった切っ掛けは二十年以上続いた長期政権がダンジョンの出現によって立場を追われ、終焉を迎えたことにあった。
初動の対応がまずかったことも理由にあるが、ダンジョンの開放を求める運動に国民が参加し、その輪が事態の収拾が付かないほど一気に広まったことが原因として大きかった。
タイミングも悪かったのだろう。新興・途上国における景気の減速や、大国の貿易摩擦。先進国の高齢化問題など世界的に経済が伸び悩む中、格差の広がりによって不満を抱く人々がダンジョンに希望を抱く要因ともなったのだ。
これはロシアに限った話ではなく、ダンジョンの出現によって世界中で同じような混乱は起きていた。
そうして半ば
しかし、帝国の時代から続く組織だけあって排除するのは簡単なことではなかった。支持者や政府内にも組織の協力者は多数いて、逆にダンジョンの独占を目論む政権への非難が高まっていったのだ。
そのため、毒をもって毒を制すと言ったように、追い込まれた政治家たちは同じ裏の組織に手を下させることで物理的に組織の排除を試みた。
最初は小競り合い程度だった争いが段々と激しさを増して行き、そして――
その事件は起きた。
マフィアの抗争に巻き込まれ、サンクトペテルブルクの市民に二十名を超える犠牲者がでたのだ。
そのなかにアレクサンドルの
「サーシャ! どうしてこんなことに……」
報せを受けて病院に駆けつけた時には、もう妹は命を落とした後だった。
学校の帰宅途中にマフィアの抗争に巻き込まれ、銃弾を胸に受けて瀕死の重体だったらしい。出血多量で手の施しようがなく助けられなかったと医師から伝えられたアレクサンドルはその場で泣き崩れ、妹の命を奪った犯人たちに激しい怒りと憎悪を向けた。
そして、力を得るためにダンジョンへ潜る決意をする。
まだ当時はギルドがなく、サンクトペテルブルクの街はマフィア同士の抗争でダンジョンの管理も甘かったため、一攫千金を狙ってダンジョンに潜る人間も少なくなかったのだ。
そこで彼は名を捨て、ダンジョンで得たスキルで顔を変えた。
力を蓄え、いつの日か復讐を果たすために――
妹の名はアレクサンドラ。愛称はサーシャ。
アレクサンドルと言う名は、最愛の妹から貰った名だ。
名を変えたことは、彼にとって復讐の誓いと覚悟の証だったのだろう。
そして、十年後――
ギルドが設立され、〈軍神〉に続いて世界で二人目のSランク探索者の称号を得たアレクサンドルは遂に動いた。妹を殺害した犯人を見つけ出し、その背後にいる組織ごと
「まだだ。こんなもので俺の復讐は終わらない……」
しかし、その憎悪は復讐を果たすだけで収まることはなかった。
組織を唆してこの事態を招いた国へと怒りを向け、更にはダンジョンの出現によって変わり果てた世界そのものを彼は憎むようになっていった。
そして、更に五年の歳月が過ぎ――
「この街は〈皇帝〉アレクサンドルが支配する!」
誰も逆らえないほどの力をつけたアレクサンドルは、サンクトペテルブルクを自身の領地とした。
絶対的な力と恐怖が支配する新たな時代を築くために――
それが〈皇帝〉と呼ばれた男の人生。
復讐に生き、世界を憎み続けた悲しい男の過去だった。
◆
嘗て〈皇帝〉と呼ばれていた男はベッドの上で、弱々しい姿を晒していた。
それもそのはずで、
「どういうつもりだ?」
スキルが
そして、倒れていたアレクサンドルをギルドの宿舎までヴィクトルが運んだのだ。
皇帝だと気付かなかった可能性はあるが、ヴィクトルに限ってそれはないとアレクサンドルは確信していた。
彼は名と顔を変える前のアレクサンドルを知っていたからだ。
「どうして、俺を助けた。お前は……お前だけは気が付いたはずだ」
「ああ、一目見てすぐに気付いたさ。お前が〈皇帝〉の正体だったのだと」
アレクサンドルの妹が巻き込まれ、命を落とすことになったマフィアの抗争。
その片方の組織。地元に根を張っていたマフィアが、ヴィクトルの組織だった。
妹の葬儀に顔をだした先代のボスの横にいた男こそ、若かりし頃のヴィクトルだった。
だからアレクサンドルも覚えていたのだ。
そして、それはヴィクトルも同じだった。
あの事件はヴィクトルにとっても忘れられない苦い事件となっていたからだ。
「なら、どうして俺を殺さなかった?」
どれほどの憎しみと怒りを〈皇帝〉が買っているかをアレクサンドルは理解している。そうなるように自分が仕向けたからだ。
ヴィクトルの組織も先代のボスを〈皇帝〉に殺され、グスタフに縄張りを奪われた。十五年もの間、奴隷のような扱いを受け、グスタフの言いなりになってきたのだ。
皇帝を憎んでいないはずがない。
なのに、どうして殺さなかったのかとアレクサンドルは疑問をぶつける。
「なら、お前はどうしてあの時、俺たちの組織を潰さなかった」
しかし、ヴィクトルは逆に尋ねる。
組織を憎んでいたのは、アレクサンドルも同じはずだからだ。
実際、ヴィクトルの組織と争っていった組織は〈皇帝〉によって壊滅させられている。組織に関わっていた者は一人残らず命を落としているのだ。
なのにヴィクトルの組織だけは、いまも存続していた。
利用価値があるから生かされたなどと、ヴィクトルは考えていなかった。
家族を殺されたアレクサンドルの怒りは、その程度で収まるものではないと分かっているからだ。
「自分たちの抗争で、街の人間に犠牲をだしてしまったことを先代はずっと後悔していた。あの人はこの街を愛していたからな。今時、珍しいくらい情に厚い人だった」
帝国の時代から続く組織で、マフィアと言っても人身売買や麻薬を掟で禁止しているような組織だった。
社会のはみ出し者には違いないが、それでも街の人間から頼りにされていた。
サンクトペテルブルクの裏社会に目を光らせ、裏の秩序を長く担ってきたのだ。
ヴィクトルも、そんな先代に憧れていた。
「知っているさ。あの男は抵抗することなく、自ら命を差し出したのだからな……」
命乞いをする者ばかりだった中、あの男だけは違ったとアレクサンドルは当時のことを振り返りながら話す。
皇帝の正体を見抜き、抵抗することなく自ら命を差し出したのだ。
罪滅ぼしのつもりだったのかは知らないが、アレクサンドルにとっても苦い思い出となっていた。
「だから、俺たちの組織を残したのか?」
「お前たちを潰したところで、この街を取り巻く状況は何一つ変わらない。また別の組織がやってきて縄張り争いを繰り返すだけだ。なら、有効活用してやろうと思ってグスタフに命じた。それだけのことだ」
嘘ではないのだろうが本心を語っている訳ではないとヴィクトルは見抜く。
アレクサンドルの言葉からは、迷いが感じられたからだ。
それはきっと、いまの自分と同じなのだろうとヴィクトルは考えていた。
(いまなら先代の気持ちが分かる。憎しみは憎しみしか生まない。その結果が
憎くないと言えば嘘になる。
しかし〈皇帝〉の正体があの時の青年だったと気付いた時、憎しみや怒りよりも虚しさの方がヴィクトルの心を大きく埋め尽くした。
自分たちのしたことが〈皇帝〉という怪物を生みだしてしまったのだと気付いてしまったからだ。
先代がどういう想いでアレクサンドルに殺されたのかが、いまなら理解できる。
「おい、どこにいく――」
「〈皇帝〉は死んだ。それがギルドの公式見解だ。アレクサンドル――いや、
誰も〈皇帝〉の正体を知らないのだ。
そして、以前のような力は今のアレクサンドルにはない。
なら、もう〈皇帝〉は死んだも同然だ。それがヴィクトルのだした答えだった。
「クソが……」
苛立ちを隠せない様子で、壁に拳を打ち付けるアレクサンドル。
憎くないはずがない。親のように慕っていた先代を殺されてヴィクトルも内心では怒りを覚えているはずだ。
なのに――
「サーシャ……俺は……俺は!」
感情を抑えきれず、アレクサンドル――いや、ミハイルは妹の名を叫ぶ。
この日、十五年続いた皇帝の支配は終わりを告げた。
そして――
「降ってきやがったな」
雪のまじった冷たい雨が降る中、ヴィクトルは傘も差さずに街中へと姿を消す。
涙と憎しみを洗い流すかのような激しい雨が、サンクトペテルブルクの街に降り注ぐのだった。
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