第46話 離間工作(前編)

「嘘だろ……」


 咥えていたタバコを落とし絶句する男に、仲間と思しき男は話を続ける。


「事実だ。Aランクが一人にBランクの探索者も何人かいたって話なのに、五十人近くが殺されたって話だ。女一人・・・・にな」

「AランクにBランクだと、それってまさか……」

「ああ、ドメトリーファミリーの連中だ。傘下のクランも一緒だったみたいだがな」


 ここはギルドに近いことから探索者で賑わう酒場。バルト海で獲れた新鮮な海の幸を楽しめることで人気の店だ。

 二人も探索者で互いにBランクと、この街では上から数えた方が早い高ランクの探索者だった。

 それだけに仲間から俄には信じがたい話を聞き、男は呆然とする。

 ドメトリーという名前のAランク探索者は有名な人物で、ロシア国内でトップクラスに位置する探索者の一人だからだ。しかも、彼のクランは高ランクの探索者を多く抱えていて、パーティーの総合力では国内随一と言って良いほどの力を持っていた。

 それが、たった一人に壊滅させられたと聞けば、驚くのも無理はない。

 Aランクの探索者でも、そんな真似は不可能だ。

 だとすれば、その女はSランクに近い力を持っていると言うことになる。


「それで、その女はどうなったんだ? さすがにそれだけのことして何もなしってのは……」

「ここのルールは知ってるだろう? 決闘で何が起きても自己責任・・・・だ。軍や警察だって介入できねえよ。ギルドも今のところは静観の構えだしな」


 徹底した実力主義。

 決闘で死んだとしても、探索者同士のトラブルであれば自己責任と見做される。

 弱いから悪い。弱者は何も言えないのが、この街のルールだった。

 その点で言えば、女を罰することは難しいだろう。

 このルールを定めたのはギルドで、この街の支配者である〈皇帝〉が認めているからだ。


「何者なんだ。その女……」

「ギルドの受付が確認した話だと、欧州連合からきた探索者だって話だ」

「……ってことはグリーンランドか。まさか、〈剣聖〉のところの?」

「その可能性をギルドは疑って調査しているみたいだな」

「おいおい、それ下手すると戦争になるんじゃねえか?」


 人類の守護者を自称している〈剣聖〉と、傍若無人な〈皇帝〉の仲の悪さは探索者の間で有名だ。

 仮に騒ぎを起こしたのが〈剣聖〉のクランに所属する探索者であった場合、〈皇帝〉が黙っているとは思えない。最悪の場合、戦争に発展する可能性が高い。

 そうなった時のことを男は恐れていた。

 この街の探索者である以上、自分たちも戦争に駆り出される可能性が高いからだ。


「……しばらく、この街を離れた方がいいか?」

「ああ、少なくともギルドには当分の間、顔をださない方がいいだろうな……」


 厄介なことになったと、暗い表情を浮かべる二人。

 しかし、そうなると気掛かりなことが、もう一つあった。


「このことをグスタフさんは?」

「言える訳がないだろう。例のアレ・・が手に入らなくて〈皇帝〉は荒れてるって話だ。グスタフさんも、それどころじゃねえ。いま、こんな話をしたら殺されちまうよ」


 それもそうか、と仲間の話に納得した様子で頷く男。

 誰が報告するにせよ、こんなことを耳に入れた人間は無事では済まない。

 そう確信できるだけの恐怖・・が〈皇帝〉にはあった。


「ヴィクトルの旦那はどうするつもりだろうな……」

「わからねえが、あの人がいなくなったら終わりだ」


 ヴィクトルというのは、この街のギルド長のことだ。

 グスタフと同様に裏社会の人間ではあるが探索者だけでなく街の人間からも慕われていて、この街の秩序が保たれているのもヴィクトルの人望によるところが大きいと誰もが思っていた。

 彼がいなければ、この街はもっと悲惨な状況になっていただろう。

 それだけに今回の一件でヴィクトルが責任を取らされてギルドを去るようなことになれば、この街の治安は一層悪化し、いま以上に暴力がまかり通る無法都市になってしまう。

 明るくない街の未来を想像し、男たちの口からは溜め息が溢れるのであった。



  ◆



「順調に噂は広まっているようです」


 そう報告するのは〈狩人〉に所属するメイドの一人だ。

 オルトリンデが最初に行ったことは、探索者たちを使って決闘騒ぎの噂を広めることだった。

 その効果はあって、ギルドから距離を置く探索者が徐々に増えてきている。

 直感に優れた探索者ほど、身の危険を感じ取っているのだろう。

 臆病なくらいでなければ、ダンジョンで生き残ることなど出来ないからだ。

 高ランクの探索者ほど、その傾向が強い。


「良い具合に混乱しているようね。それで、グスタフの動きは?」

「まだ気付いていません。怒りを買うことを恐れて、誰も報告を上げていないようですね」

「自業自得とはいえ、哀れなものね……」


 恐怖で抑え込んできた結果が、これだ。

 皇帝の耳に入ることを恐れ、誰一人としてグスタフに報告しようとしない。

 そんな話を聞いて、オルトリンデは呆れる。

 これだけ大きな街を支配していながら、一人も信頼の置ける部下がいないと言うことだからだ。

 しかし、楽園のメイドたちにとっては、これほど動きやすい状況はなかった。

 楽園の狙いに一早く気付き、グスタフが〈皇帝〉の名前を使って下部組織に圧力をかけていれば、いま進めている工作も失敗に終わっていた可能性が少なからずあるからだ。

 十五年以上に渡って、恐怖で街を支配してきた影響は大きいと言うことだ。


「それで作戦の方は上手く行っているの?」


 噂が広まり始めたところで、グスタフの商会と取り引きのある組織に工作を仕掛けていた。

 と言っても、それほどたいしたことをしている訳ではない。

 どの組織もダンジョンから得られる素材やアーティファクトを目的に、この街へと集まってきている。しかし、高ランクの探索者ほど噂を警戒して一時的に街を離れたり、活動の自粛を始めている。

 そのため、中層以降のダンジョン素材を入手するのが難しい状況になっていた。


「はい。欧州連合からきた凄腕の探索者の噂は耳にしているようで、こちらが用意した餌に食いついてきています」


 そこでメイドたちはオルトリンデの存在をにおわせることで、ダンジョンの素材を欲している組織に直接取り引きを持ち掛けると言った工作を行っていた。

 オルトリンデは欧州連合所属のAランクの探索者という肩書きになっているので、いまのところ疑うことなく餌に食いついている状況だ。

 しかし、


「ですが、楽園の存在に気付く者も現れるかと思いますが、よろしいのですか?」


 時間が経てば、彼等も気付くはずだ。

 市場に流通している素材の量が以前と変わっていないどころか、むしろ高ランクのアイテムの流通が増えていることに――

 複数の組織にメイドたちが取り引きを持ち掛けていることは、調べれば簡単に分かることだ。当然、一人で集められる素材の量ではないことから仲間がいることに彼等は気付くだろう。

 背後に何かしらの組織がいることを勘繰る者もでてくるはずだ。

 いまは〈剣聖〉との関係を疑っているようだが、なかにはメイドたちの正体に気付く者も現れるだろう。


「いいのよ。目的は選別・・なのだから」


 しかし、それがオルトリンデの狙いだった。

 グスタフや〈皇帝〉と運命を共にするのであれば、それでもいい。

 しかし、聡い人間は楽園の存在に気付き、その狙いを探ろうとするだろう。

 そして、神の酒ソーマの件に行き着くはずだ。

 その結果、このままグスタフにつくか、楽園に寝返るかの二択を迫られることになる。

 オルトリンデの力は既に噂となって広まっている。

 その上で、彼等がどう判断するのかをオルトリンデは見極めようとしていた。

 利用価値があると言っても、状況も見極められない愚かな人間は必要ないからだ。


「半分以上は脱落しそうですが……」

「それで、いいのよ。味方の足を引っ張る有象無象は必要ないわ」


 国内外から様々な組織や人間が集まってきているが、その大半はダンジョンのもたらす富に目が眩んだけの有象無象だ。

 楽園が必要としているのは、そうした味方の足を引っ張りかねない愚か者ではなく、ちゃんと見極められる賢い人間だった。

 それに、ほとんどの人間は〈皇帝〉の力を恐れているだけで、グスタフに義理がある訳ではない。そこを崩してしまえば、寝返る人間は少なくないとオルトリンデは考えていた。

 そういう人間はまた裏切る可能性があるが、逆に言えば裏切れない理由を作ってしまえばいいだけのことだ。楽園に歯向かうことの愚かさを理解させ、利に聡い者には飴を与えてやればいい。

 裏切ることなど決して考えられないほど、甘い飴・・・を――

 そのためにグスタフの商会を通さず、取引先や下部組織を狙って取り引きを持ち掛けさせているのだ。

 利に聡い者であれば、既に気付いているはずだ。

 楽園と取り引きをした方が、安定した大きな利益を得られることに――


「この計画は絶対に失敗が許されない。分かっているわね?」

「はい、心得ています」


 あるじの理想を叶えるためにも、この計画は絶対に失敗が許されない。

 地上に楽園を築く――その第一歩のために、メイドたちは大胆且つ慎重に事を進めるのであった。



  ◆



 月面都市の建設で大きな役割を果たした〈工房〉だが、その最たる役割は魔導具の開発と量産にあった。

 と言っても〈工房〉のメイドたちは全員がホムンクルスだ。錬金術によって生み出された存在であり、錬金術師と言う訳ではない。そのため、彼女たちが出来るのはあくまで設計された魔導具の生産であり、研究の段階から携われる訳ではなかった。

 例えるなら『発明家』と『技術者』の違いのようなものだ。

 全員が優れた技術を持っているが、一から新しい魔導具を設計する能力が彼女たちにはない。そのため、〈工房〉で生産されている魔導具のほとんどは先代の〈楽園の主〉や椎名が発明したものが大半を占めていた。

 ただ、ひとりだけ例外がいる。それが工房長のヘイズだった。


「悪いわね。手間を掛けたみたいで」

「ん……別にいい。計画に必要なことなら協力する」


 感謝を口にするスカジに対して、いつもの素っ気ない態度で応じるヘイズ。

 彼女は〈至高の錬金術師〉の名で知られる先代の〈楽園の主〉の助手もしていたホムンクルスで、攻撃的なスキルが多い〈魔王の権能〉のなかでは珍しく生産職向きのスキルを所持していた。

 そのため、よくこんな風に作戦に必要な魔導具の製作を頼まれたりするのだ。


「前の作戦で〈工房〉の在庫は全部使っちゃったから、他の子たちに頼んでもすぐに用意できなかったしね」

「え……それじゃあ、この〈帰還の水晶リターンクリスタル〉は一体どこから?」

あるじの研究室から拝借した」


 無理を言って用意してもらった手前、文句を言える立場にないのは理解しているが、出所があるじの研究室から無断で持ちだしたものだと聞いて、スカジはなんとも言えない複雑な表情を見せる。

 この程度のことで主が怒るとは思えないが――


「サンクトペテルブルクのダンジョンに転移先を書き換えてあるから、そこにあるの全部持っていっていいよ」

「……いまはこれだけあれば十分よ」

「そう?」


 さすがに全部もっていくのは気が引けて、必要な分だけを受け取るスカジ。

 ヘイズの無頓着さに呆れながら、スカジは心の中で主に謝罪するのだった。

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