第45話 理想の一歩

「悪趣味な宮殿ね」


 金色に輝く宮殿を遠く離れたビルの屋上から見下ろすスカジの姿があった。

 実質、この街は〈皇帝〉の支配下にあると言っていい。

 現在のロシアは帝政ではなく共和制国家だ。しかし、皇帝を自称するアレクサンドルは自身をロシア帝国の正統な後継者であると喧伝し、ここサンクトペテルブルクを自らの領地とし、支配下に置いたのだ。

 そのため、この街は実質的な治外法権を得ている状態にあった。

 しかし、そんな半ば無法都市と化しているサンクトペテルブルクの人口は減少するどころか、いまや首都のモスクワを凌ぐほどにまで増加している。その理由はダンジョンにあった。


「一見すると繁栄した街に見えるけど、実体は酷いものね。国内外からダンジョンの富を求めて、欲にまみれた人間ばかりが集まってきている。まさに人間の業を象徴した街と言えるわ」


 サンクトペテルブルクには、国内唯一のダンジョンが存在する。法が及ばないことからマフィアや裏社会の人間が幅を利かせているが、他の国でギルドライセンスを取得できない者でもダンジョンに潜ることが出来るため、探索者で賑わう街となっていた。

 謂わばダンジョンが特定の国に管理され、独占されている現状に不満を持つ人々にとっては、何かと都合の良い・・・・・街なのだ。

 だからこそ、政府内にも〈皇帝〉の実効支配を黙認する動きがある。汚職にまみれ弱味を握られている政治家も少なくなく、それがロシア政府の楽園への対応に繋がっていた。


「街ごと消してしまった方が早いのでは?」


 過激な発言をする銀髪メイド。

 首の後ろで結った長い髪を左肩に乗せ、メイド服の上からオリハルコンの胸当てを装備した彼女の名はオルトリンデ。〈原初〉の六人を除くと、楽園のメイドたちのなかでも頭一つ抜けた実力を持つ〈九姉妹ワルキューレ〉の三女だ。

 実際には楽園のメイドたちは全員が同じ創造主に造られた姉妹と言えるのだが、序列順に椎名が名前を与え、オルトリンデを含めた九人のメイドたちに〈九姉妹ワルキューレ〉という称号を贈ったのだ。

 実のところ〈原初はじまり〉の六人の名前も椎名が考えたものだった。

 ホムンクルスは名付けの親に忠誠を誓うという特性があることから、新たな主に名を付けてもらいたいとのメイドたちの要望に応え、ひとりひとりに名付けを行ったと言う訳だ。


「その方が早いのは認めるけど、こんな連中でも利用価値・・・・はあるわ。それに、殺してしまってはそれで終わりよ。楽園を侮ったことを後悔し、相応の報いを受けてもらわないと」 

「なるほど。愚か者たちには死ですら生温いと、そういうことですね」


 スカジの説明に納得した様子で、目を輝かせながらオルトリンデは頷く。


「そのために、あなたたち・・・・・を呼んだのよ」


 皇帝を自称する愚か者を始末するだけならスカジだけでも簡単にできる。

 しかし、この街にはダンジョンがある。ロシア政府が〈皇帝〉の言いなりとなっているのもダンジョンがあるからだ。

 この街の探索者のほとんどは裏社会に足を突っ込んでいるような無法者ばかりで、そんな彼等を抑え込める力は政府にはない。それが〈皇帝〉を増長させ、サンクトペテルブルクの支配を許す結果へと繋がっていた。

 そこにスカジは目を付けたのだ。


「この街には世界中から犯罪組織が集まっている。自分たちのを欲を満たすために……」 


 だからこそ、利用価値・・・・がある。

 必要なのは裏社会を牛耳っている人間たちの人脈と情報。

 これまで彼等が人と金を費やして築き上げてきたネットワークそのものだ。

 潰してしまっては意味がない。再利用・・・できる状態で確保を進める必要があった。

 そのために〈狩人〉を集めたのだ。

 副長のオルトリンデを始め、総勢百名のメイドたちがスカジの指示を待っていた。


「はじめましょうか。主様の理想を叶える第一歩を――」


 雌伏の時は終わった。

 三十二年の潜伏を経て、ここからはじまるのだとメイドたちは歓喜する。

 主の理想、争いのない平和な世界・・・・・・・・・・を実現するための一歩が――



  ◆



 各国のギルドは独自の運営形態を取っていることで知られているが、ここサンクトペテルブルクのギルドはそのなかでも徹底した実力主義で知られていた。

 出自は疎か、犯罪歴すら問わない。求められるのは強さ・・のみ。

 そのため、荒くれ者が多く探索者同士のトラブルが絶えないため、他のギルドにはない特別なルールが設けられていた。それが決闘・・だ。

 前時代的に思えるかもしれないが、〈皇帝〉の支配する今のサンクトペテルブルクにおいて力こそが絶対。敗者は勝者に従うのが、この街の掟だ。

 そのため、ギルドでも最小限の被害で揉め事を解決するために、この決闘という制度を設けているのだが――


「ふざけてんのか……!」

「いえ、大真面目ですよ。わたしが勝ったのだから、あなた方には下僕・・になってもらうと、そう言っているのです」


 ギルドと隣接した決闘場コロシアムに探索者たちが倒れていた。

 この状況を作り出したのが、探索者たちが睨み付けているメイド服の女――オルトリンデだった。

 まるで探索者に見えない装いをしているが、その強さは圧倒的だった。

 百人近い探索者たちを相手に決闘を挑み、たった一人で勝利してみせたのだ。

 しかも、武器を使わずに素手・・で――


「この街では弱者は強者に従うのがルールなのでしょう? だから、こうしてあなたたちのルールに合わせてあげたと言うのに……往生際の悪い人たちですね」

「だからって、そんな要求が呑めるか! グスタフの旦那が黙ってねえぞ!」


 確かに決闘は揉め事を解決するためによく用いられているルールだ。

 それでも勝ったから従え、お前たちは今日から下僕だと言われて素直に頷けるはずもない。とはいえ、オルトリンデの誘いに乗って決闘を受けた男たちも同じようなことを考えていた。

 オルトリンデの美貌に目が眩み、勝てば彼女を好きにできると考えて決闘を受けたのだ。

 その点で言えば、自業自得と言える。


「グスタフ? ああ、この街の支配者を気取っている男の腰巾着・・・ですか」

「て、てめえ……」


 グスタフと言えば、この街の表と裏を取り仕切る大商会の代表だ。

 逆らえば命はないとさえ言われるほどの人物を『腰巾着』と呼称する女に、男たちは戸惑いを見せる。グスタフのことだけならまだしも、さり気なく〈皇帝〉も貶める発言を口にしていたからだ。

 アレクサンドルという男を知っていれば、絶対にでない言葉だった。


「なら、選ばせてあげます。そのグスタフという男を裏切り、わたしの下僕となるか。ここで死ぬかを――」

「く、狂ってやがる! 付き合ってられるか――」

「残念です」


 男が背を向けて立ち去ろうとした瞬間、鮮血と共に首が宙を舞う。

 誰がやったのかなど確認するまでもない。

 いつの間にか、オルトリンデの手には巨大なハルバードが握られていたからだ

 戦いがエスカレートして、決闘で死者がでることは時々あることだ。

 この街では珍しいことではない。

 しかし、何の躊躇いもなく命を刈り取った女に、男たちは嘗て無い恐怖を覚える。


「ひ、ひいいいいいい!」


 仲間の死を前に我先にと逃げようとする男たちを、オルトリンデは作業をこなすように一撃で命を刈り取っていく。

 逃げようとしたところで、周りは高い壁に覆われていて出入り口は一つだけ。

 素手で百人近い探索者を圧倒できる化け物から逃げられるはずもなかった。


「さて、あなたたちはどうしますか?」


 半分ほど数を減らしたところで、恐怖で足が竦んで動けない探索者たちにオルトリンデは再び尋ねる。

 それが最後のチャンスであると言うことは、確認するまでもなく明らかだった。


「し、従う! あんたの言うことなら、なんだってする! だ、だから命だけは助けてくれ!」


 心を折られた探索者たちが、次々にオルトリンデへ忠誠を誓う。

 なかには、この場を凌ぐために嘘を吐いている者もいるだろう。

 しかし、それでも構わないとオルトリンデは考えていた。


(恐怖は伝染する。恐怖に勝るのは、より強い恐怖だけ――)


 元々、何人かは生かして帰すつもりだったからだ。

 最初はじまりの一石を投じたに過ぎない。


「では、早速あなたたちに働いてもらうことにしましょうか。裏切り者がどうなるのかは……言わなくても理解していますよね?」


 ここから〈皇帝〉の支配は崩壊していく。

 これは序章に過ぎないのだと、オルトリンデは微笑みを漏らすのだった。

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