第44話 皇帝と神の酒

 ようやく式典の日程をすべて終えることができた。

 各国の代表団も帰国し、俺も一週間ちょっと振りに楽園へと帰ってきていた。

 豪華なホテル暮らしも悪くはないが、やはり我が家が一番落ち着くんだよな。

 まあ、豪華さでは楽園の館も劣っていないどころか、むしろこちらの方が上と言っても良いくらいなのだが、日本で生まれ育った時間よりも長い月日を楽園で過ごしてきた訳だしな。愛着だってある。

 そう言う意味では、もうすっかり俺は日本人と言うより〈月の楽園エリシオン〉の住人になってしまっているのだろう。


「もう、このまま一年くらい引き籠もっていたい……」


 天蓋付きのベッドに背中を預け、天井を仰ぎ見る。

 メイドたちの期待に応えるために頑張ろうとした訳だが、さすがに最初から飛ばしすぎた。最初の仕事が各国の代表との会合って、今更ながらハードルが高すぎたと思うのだ。

 これが何事もなく終わってくれるならいいが、邪魔が入って式典は一時中断するし、ロシアは最初から喧嘩腰だったしな……。味方をしてくれる国もあったが、会合の後も雰囲気はずっと険悪なままだった。

 国によって事情は異なるし、それぞれ自分たちの都合があるので仕方のないことだと理解しているつもりだが、もう少し仲良く・・・できないものかと思わなくもない。俺が言うのもなんだけど、協調性って大事だと思うんだ。


「争いのない平和な世界が理想なんだろうけどな」


 それが無理なことだと分かっていても、願わざるを得ない。

 というか、もう面倒事は勘弁して欲しい。俺は平穏に暮らせれば良いのだ。

 本音を言うと、このまま引き籠もり生活に戻りたいくらいだった。

 それが不可能なことは理解しているつもりだけど。

 

「まあ、なるようにしかならないか……」


 他力本願になるが、日本とアメリカには頑張ってもらいたいものだ。

 味方は多ければ多いほどいい。ギルドや残念美人さんの国とも仲良くやっておいた方がいいだろう。

 そうすれば、余計なちょっかいも減ると思うからだ。

 俺も出来る限り協力するつもりだが、各国との連携はメイドたちが上手くやってくれることを祈るしかない。国と国の交渉なんて俺に務まるはずがないからだ。

 勇者の件も、本音を言うと一杯一杯だった。

 日本の総理が親しみやすく出来た人なので、上手く交渉がまとまっただけだ。

 ギルドの理事も良い人だったしな。まさにダンディって感じの人だった。

 なんにせよ――


「いまは英気を養う時間が欲しい」


 今回は本当に疲れた。

 精神的な消耗が激しいので、エネルギーを補給する時間が欲しい。

 そのためにも、最低一週間は引き籠もる決意を俺は固めるのだった。



  ◆



 しばらく楽園を離れるため、報告にあるじの部屋を尋ねたのだが、


「争いのない平和な世界。それが主様の理想……」


 扉の陰に隠れ、主の言葉を反芻するスカジの姿があった。

 偶然、主の独り言を聞いてしまったからだ。


「やはり主様は……」


 頬を伝って涙がこぼれ落ちる。主の慈悲深さにスカジは心を打たれていた。

 分かっているつもりで、理解が足りていなかったのだと反省させられる。

 あのような愚かなことした人間たちが相手でも、主の優しさは変わらないのだと知ったからだ。


「このことを皆に報せないと――」


 その上で計画の見直しが必要だと、ハンカチで涙を拭いながらスカジは考える。

 しかし、争いのない平和な世界と言うのは、言葉にすると簡単なようで難しい。

 人間たちの欲深さは、月面都市の一件からも明らかだからだ。


「もしかして主様は……」


 そのことに叡智を司る〈楽園の主〉が気付いていないはずがない。 

 だとすれば、深い考えがあってのことだとスカジは察する。

 恒久平和。それを実現するために必要なことは――


「地上に楽園を築く……そういうことなのですね。主様」


 それこそが、主の目指す理想の世界なのだとスカジは気付かされる。

 なら、迷う必要はなかった。

 主の理想は、楽園のメイドたちの望みだからだ。


「すべては主様のために――」


 理想の実現のため、スカジは新たな決意を胸に行動を開始するのだった。



  ◆



 三百年以上の歴史を持ち、ヨーロッパ風の美しい街並みが特徴の都市サンクトペテルブルク。嘗ては・・・ロシア第二の首都と呼ばれていた歴史的な街の中心部に〈皇帝〉の宮殿があった。

 世界に五人しかいない規格外Sランクの一人、〈皇帝〉アレクサンドルの黄金宮殿・・・・が――


神の酒ソーマはまだ手に入らねえのか!」


 空気を震わせるような男の怒号が響く。

 くすんだ金色の髪とギラギラとした青い瞳。胸元の開いたシャツから覗く、鋼のように鍛え上げられた筋肉。背丈は二メートルを優に超え、まるで熊のように大きな身体が目を引く大男の名はアレクサンドル。〈皇帝〉の二つ名で知られるSランクの探索者だ。


「アレクサンドル様、落ち着いてください!」

「はあ? これが落ち着いていられるか! 政府の無能共はなにをしてやがる。まだ連絡はないのかって、こっちは聞いてるんだよ!」


 そんな傍若無人が服を着ているかのような大男を、必死に宥める人物がいた。

 アレクサンドルほどではないが、スーツ越しにも分かる鍛え上げられた肉体からは男が只者ではないことを察せられる。それもそのはずで、彼はAランクの探索者で名はグスタフといい、この街の表と裏を取り仕切っている大商会の代表でもあった。

 新興勢力ながらこの二十年で急速に勢力を拡大してきたマフィアのボスでもあり、裏社会ではその名を知らない者はいないとさえ恐れられる人物だ。そんな男でさえ、〈皇帝〉の相手には苦慮していた。


「どうだった? 神の酒ソーマは手に入ったのか?」


 どうにかアレクサンドルの機嫌を取ってその場を凌いだグスタフは、宮殿の前で待機していた部下に尋ねる。

 アレクサンドルは、我慢を知らない男だ。自分の思うように物事が進まなければ気が済まない性分で、周囲に当たり散らかした挙げ句、潰された組織は数えきれないほど。まさに手の付けられない暴君だった。

 あの様子では、またいつ暴れ出してもおかしくない。

 だからこそ、いますぐにでも神の酒ソーマが必要だった。

 だと言うのに――


「そ、それが……楽園との交渉が上手く行かなかったそうで……」  

「なん……だと? 政府の連中は状況を理解しているのか?」


 最悪の状況になったと、グスタフは険しい表情を見せる。

 政府に裏から圧力をかけてまで楽園との交渉を働き掛けたのは、日本政府が〈楽園の主〉から神の酒ソーマを贈られたという噂が、アレクサンドルの耳に入ったところからはじまった。

 最初は商会のツテを使って日本政府に交渉を持ち掛けたのだが、もう既に様々な国から問い合わせがきていることや選挙を控えていることなどを理由に色よい返事がもらえず、結局ロシア政府に働き掛けることで楽園を交渉の場に引き摺り出すことにしたのだ。

 しかし、それが上手く行かなかったとなれば困ったことになると、グスタフは険しい表情を浮かべる。


「どうしましょうか?」

「どうもこうもねえだろ。こんなことを報告すれば、俺の身だって危ない。あの暴君がこのまま黙っている訳がない」


 自分が望めば何でも差し出すのが当然と思っているのが、アレクサンドルという男だ。

 長い付き合いになるが、グスタフでさえ身が危ういと感じるほどなのだ。

 政府に怒りが向くだけならいいが、周囲への被害もバカにできない。


「こうなったら――」


 日本政府を脅してでも神の酒ソーマを手に入れるしかないとグスタフは覚悟を決める。

 危ない橋を渡ることになるが、それでもアレクサンドルの怒りを買って暴れられるよりはマシと考えてのことだ。


「おい、支援庁の役人に連絡を取れ。借りを返してもらうとな」

例の騒ぎ・・・・で連中もそれどころじゃないかと思いますが……」

「そんなこと知るか。どのみち、断ることなんてできねえよ」


 早速、部下に指示をだすグスタフ。

 日本の探索支援庁が解体の危機に直面していることはグスタフも知っていた。

 年明けの選挙で与党が再選すれば、一気に組織の解体が進むだろう。

 しかし、そんなことは自分たちに関係のない話だ。どのみち失脚するのであれば、その前に役立ってもらう。

 それがグスタフという男の考えだった。


「とにかく急がせろ。なんなら〈皇帝〉の名前を使って脅したっていい」

「わ、わかりました! すぐに連絡を取ります」


 元を辿ればロシア政府がだらしないから、こんなことになっているのだ。

 この件で日本とロシアの関係が悪化したとしても、それは政府の責任だとグスタフは考える。

 皇帝の名をだせば、誰も逆らうことができない。それが力だ。

 すべてを平伏させ、支配する圧倒的な武力。

 最初からこうしておけばよかったのだと、グスタフは薄らと笑みを浮かべる。

 しかし、気掛かりなことが一つあった。


「政府が失敗したってことは、楽園が仕掛けてくる可能性はあるか……」


 正直な話、楽園の噂は眉唾物だとは思っている。

 それでも警戒しておくに越したことはない。

 だからこそ、直接交渉するのではなく政府を矢面に立たせたのだ。

 いざという時の責任は、すべて政治家たちに負わせてしまえばいい。

 自分に繋がる証拠など何一つ残していないのだからと、グスタフはほくそ笑む。

 とはいえ、


「まったく上手く行かねえもんだ」


 予定通りに事が進んでいないのも事実だ。

 不満を溢しながら車に乗り込み、グスタフは宮殿を後にするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る