第48話 大掃除
サンクトペテルブルクは十八の行政区に分かれていて、グスタフの商会は歴史的な建造物が多く見られる街の中心部にあった。
グスタフの商会も古い建物を改築したもので、一見するとマフィアの拠点には見えないほど周囲の景観と溶け込んでいる。そんな商会の役員室で、グスタフは執務をこなしながら連絡を待っていた。勿論、日本からの連絡をだ。
あれから大きな進展もないまま二週間近くが過ぎようとしており、グスタフは苛立ちを隠せずにいた。
既に〈皇帝〉が痺れを切らしつつあり、このままでは自分の身も危うい状況に追い込まれていたからだ。
「た、大変です――ボス!」
そんななか慌てた様子で息を切らせながら、黒いスーツに身を包んだ部下が部屋に駆け込んでくる。
苛立ちを少しも隠そうとせず、部下を睨み付けるグスタフ。
グスタフの視線に脅えた表情を見せるも、何も報告しない方が酷い目に遭うと悟ったのだろう。
気持ちを切り替え、いま商会で起きていることをグスタフに報告する。
「ヴィクトルの旦那のところが、急にうちとの関係を切ると――」
「はあ? なんだそりゃ、一体どういうことだ!?」
「そ、それだけじゃありません」
他にも幾つもの組織や商会が取り引きを停止すると一方的に連絡してきたことを、部下の男は戸惑いを隠せない様子でグスタフに伝える。説明している本人も、状況が呑み込めていないのだろう。
グスタフの組織がこの街で絶大な権力を誇るようになったのは、彼の後ろに〈皇帝〉の存在があったからだ。
だからこそ、これまで誰もグスタフに逆らうことが出来なかった。
そんな真似をすれば、この街で商売を続けるどころか、命すら危ういことが分かっているからだ。
なのに一方的に決別を宣言するなど、正気の沙汰とは思えない。
「な、何が起きてるんだ……」
得体の知れない何かを感じて、恐怖を覚えるグスタフ。
ここまで彼がのし上がることができたもう一つの理由として、慎重で臆病だったからと言うのが理由にある。まだ〈皇帝〉を自称する前のアレクサンドルに一早く取り入ったのも彼で、強者には逆らわず長いものには巻かれることで、この世界を渡り歩いてきたのだ。
そんな彼の唯一の失敗と言えるのが、楽園と関わってしまったことだった。
「く……まずは状況の確認だ」
まだ〈
それでも自分の手に負えないと分かれば、〈皇帝〉に頭を下げるしかないとグスタフは考える。
その結果、憂さ晴らしに幾つかの組織が潰される可能性はあるが、それでもアレクサンドルに頼らざるを得ないのがグスタフの置かれている現状であった。
まずは何が起きているのかを確認しようと、グスタフの手が机の上の電話に伸びた、その時だった。
「その必要はありません」
グスタフが声のした方を振り向くと、そこには一人のメイドが立っていた。
メイド服の上からオリハルコンの胸当てを装備し、左手に巨大なハルバードを手にした銀髪のメイドが――
「あ、ああ……」
恐怖で足が竦んで固まる部下を見て、グスタフの背に冷たい汗が流れる。
まるで〈皇帝〉と対峙しているかのような威圧感。Aランクの自分ならまだしも、部下が動けないのは無理もないとグスタフは考える。目間違いなくSランクに匹敵する化け物であることが察せられたからだ。
しかし、目の前のメイドのようなSランクがいるなんて話は聞いたことがない。
一体どういうことだと考えを巡らせていると、ふとグスタフの頭に一つの国の名前が浮かぶ。
「ま、まさか……」
「〈
メイドの反応を見て、間違いないとグスタフは確信する。
――
こんなにも早く楽園が動くとは思っていなかっただけに、グスタフ取り乱す。
「誤解だ。俺はなにも――」
「証拠など残していない、ですか? 無駄です。あなたの
「まさか、お前たちが!」
取り引きのあった組織が突然、手を引いた理由をグスタフは察する。
すべて目の前のメイドの――楽園の仕業だったのだと。
しかし、それに気付いたところで、もう遅い。
「あなたがこれまでに築き上げてきたものは、すべて我々が
メイドが巨大なハルバードを軽々と振るったかと思うと、グスタフの目の前で部下の首が飛ぶ。
鮮血が舞うなかで笑みを浮かべるメイドの姿に、恐怖するグスタフ。
自分がどんな存在に手をだしたのかを理解するが、時は既に遅く――
「や、やめ――」
後悔の中でグスタフは部下の後を追うのだった。
◆
街の中心部、最も目立つメインストリートの一等地に〈黄金神殿〉があった。
歴史的な建造物が建ち並ぶ中でも、一際大きく目立つ建物。自己主張が激しく派手な外観は周囲の景観にそぐわず、よく言えば煌びやかで悪いところを挙げるのであれば
そんな〈皇帝〉を自称する男の性格を色濃く反映した宮殿に声が響き渡っていた。
この宮殿の主、アレクサンドルの怒りの声が――
「クソが! 一体なにがどうなってやがる!」
普段この宮殿にはアレクサンドル以外にも、彼の世話をする女たちが二十人ほど暮らしていた。
それが今朝から呼んでも現れず、宮殿内に人の気配がまったくしない。
その上、グスタフとも連絡が取れず、アレクサンドルの怒りは増すばかりであった。
「誰の仕業だ。まさか、グスタフの野郎が裏切ったのか?」
死んで終わりと言う訳ではない。アレクサンドルのスキルによって魂は永遠の牢獄に囚われ、死んだ後も苦しみ続けることになる。そのことを知っているグスタフが裏切るとは到底おもえなかった。
「だとすると、敵対勢力の誰かに殺されたか」
立場上、グスタフは敵が多い。恨みを抱いている人間も少なくない。
そう言った人間や組織に命を狙われ、死んだという可能性はない訳ではなかった。
それなら連絡が付かないことにも説明が付く。宮殿の女たちについては分からないが、グスタフの死を一早く知って危険を感じて身を隠したという可能性もない訳ではなかった。
しかし、いずれにせよアレクサンドルの怒りが収まることはない。
自分が侮られたことに違いはないからだ。
「どこのどいつの仕業かは知らないが、見つけ出して絶対に殺してやる」
その上で永遠の苦痛を与えることを、アレクサンドルは自身に誓う。
そうやって、これまで歯向かう人間を例外なく全員殺してきたのだ。
この世は力こそがすべて。弱者が強者に従うのは自然の摂理。
その証拠にアメリカが世界のトップを気取って威張り散らかしているのは、世界一の経済大国であり軍事力を誇っているからだ。〈軍神〉の二つ名を持つSランクがいることも理由となっているのだろう。
近代化した現代であっても、弱肉強食の理論は変わらないとアレクサンドルは考えていた。
皇帝アレクサンドルは、そうした人間たちの
「俺こそが
これからも自身が人々の恐怖の対象であり続けることこそ、アレクサンドルの目指す世界に必要なことだった。
だからこそ、舐められる訳にはいかない。
歯向かう者には死と苦痛を与え、この世界に〈皇帝〉の恐怖を示す必要があった。
「ただの愚物かと思ったら、なるほど……そういうことだったのね」
「――ッ!?」
人の気配などしなかった。
なのに宮殿内に響く声に驚き、アレクサンドルは周囲を警戒する。
すると――
「……メイドだと?」
先程まで誰もいなかったはずの場所に、銀髪のメイドが立っていた。
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