第35話 世界の規格外

「アレックス。キミの話を信じて正解だった」


 メイドに案内されたホテルの一室で、頭を下げるアメリカ大統領の姿があった。

 立場を考えず、彼がアレックスに頭を下げるのには理由があった。

 スタンピードの件に続いて今回の件・・・・

 選択を間違えれば、国を危険に晒していたと気付かされたからだ。


「その上で尋ねたい。キミから見て、どうだった?」


 真剣な表情で目を見て尋ねてくる大統領に、仕方がないと言った表情で溜め息をまじえながらアレックスは答える。


「壁際に立っていたメイドたちが相手なら戦える・・・。だが〈楽園の主〉と一緒にいたメイドたちは無理だ。あれは次元・・が違う」


 勝てるではなく戦える・・・とアレックスが口にした意味を、大統領は正確に理解する。

 あの場に百人はいたであろうメイドの一人一人が、Sランクに近い力を持っていると言うことに――

 その上〈楽園の主〉の周りにいたメイドたちは、そのSランクですら次元が違うと断言するほどの存在。そんな怪物を侍らせるような人物と、対等な交渉など臨めるはずがない。

 式典に参加する前に、アレックスに忠告された言葉が大統領の頭を過る。


 ――国益を考えるな。それがアメリカの未来に繋がる。


 それが、アレックスに送られた言葉だった。

 いまなら、はっきりとその言葉の意味が理解できる。

 如何にあの怪物たちの力を自分たちに向けさせないかの方が、目先の利益を得るよりも遥かに重要なことだと伝えたかったのだと――

 日本には『君子危うきに近寄らず』と言ったことわざがある。

 賢い人間は危険に自ら近付いたりしないと、自分を律する言葉だ。

 いまがまさにその状況なのだろうと考えるが、


「まったく、これからのことを考えると頭が痛いよ……」


 だからと言って、交渉に臨まないなんて真似ができないのが大統領の立場だった。

 望む結果を得られないと分かっていても、〈楽園の主〉との会談は行う必要がある。日本の総理が既に〈楽園の主〉との会談を成功させているのだ。神の酒ソーマを贈られたと言う話もある。国民は当然、それ以上の結果を大統領に望んでいるはずだ。

 頭の痛いことに経済界からも期待する声が多く寄せられていた。既に月面旅行の計画を立てている旅行会社まで登場しているくらいだ。式典に参加する前なら何とも思わなかっただろうが、いまはバカなことを考えている連中に『クソッタレ』と指を立ててやりたい気分になる。


「もう一度、大統領をやる気はないか?」

「勘弁してくれ。それに、もうそこは俺が通った道だ」


 アレックスが政界を引退した理由が今になって理解できるようになるとは、大統領も思ってはいなかった。

 しかし、やるしかない。

 何の成果も得られず国民を失望させることになっても、その時はその時だ。

 国が滅亡するよりは遥かに良い。

 それで大統領を辞することになっても後悔はないと腹を括る。


「それより、どう思う? 確か、キミはと面識があったはずだな?」

「……イッシキのことか。確かに面識はあるが、会ったことがあるのは一度切りだぞ?」


 式典を中断させた日本人のことを聞いているのだと、アレックスは察する。

 ――南雲一色。〈勇者〉の二つ名を持つ日本最強の探索者。Sランクに最も近いと噂されていた人物だ。噂されていたというのは、いま日本で最もSランクに近いと言われているのは八重坂朝陽の方だった。

 スタンピードでの活躍が探索者の間で広まり、トワイライトに籍を置く日本唯一の探索者として注目を集めたためだ。その結果、新時代の英雄ともてはやされ〈戦乙女ヴァルキリー〉という二つ名まで広まる状況となっていた。


「イッシキが姉と呼んだメイド。あれが日本人・・・に見えたのか?」

「いつから日本人は銀髪になったのかね?」

「冗談はやめてくれ。髪の色はどうにかなるにしても、顔付きだって日本人とは違っただろう」


 大統領のジョークに笑えないと呆れるアレックス。

 百歩譲って髪の色は誤魔化せるとしても、顔付きや骨格まで誤魔化すのは難しい。

 東洋人には東洋人の特徴がある。多少はそれらしい面影があったように思えるが、明らかに日本人離れした容姿をしていた。

 それを言うと、あそこにいたメイド全員が人間離れしていると思うほどに容姿が整いすぎていたのだが……どちらにせよ、楽園のメイドが日本人に見えるのであれば眼科に行けとしか言いようがない。


「だが、それだと彼の反応が気になる」

「確かに見間違いにしては必死だったな。俺も気にはなっているが……」


 これ以上、深入りするのは危険な気がして、大統領とアレックスは口をつぐむ。

 いずれにせよ、確かめる術がない以上は静観するしかない。

 それよりも楽園との交渉をどう進めるかで、二人は意見を交わすのであった。



  ◆



麗華リーファの様子はどうだ?」

「ダメですね。余程やばいものを見たみたいで……」


 赤いシャツに黒のジーンズ。二十代後半と思しき容姿に、ボサボサとした癖の強い髪型。どことなく危なげな雰囲気を纏った丸いサングラスをかけた男の問いに、漢服を着た長髪の青年は肩をすくめながら答える。

 サングラスをかけた男の名はリューシュアン。〈神君〉の二つ名で知られる中国を代表するSランクの探索者だ。

 そんな彼と話をしている長髪の青年はファン如意ルイ。十八歳という若さでAランクの称号を得た将来を有望視される探索者の一人であった。

 二人とも国内外問わずに名の知れた探索者で、中国政府からの要請で代表団に同行していた。

 実はもう一人、麗華リーファという女性の探索者がいるのだが、彼女は別室で毛布にくるまって震えている。その理由は〈楽園の主〉とその周りにいるメイドたちを魔力視の力を持った〈魔眼〉のスキルで視て・・しまったからだ。


「魔力を視認できない僕でさえ、鳥肌が立つくらいの寒気を感じたんですから無理もないと思います」

「だろうな。アレは手を出すべき相手じゃない」


 少なくとも人間の敵う相手ではないと言うのが、シュアンの考えだった。

 あれならまだ、深層のモンスターを相手にした方がマシとさえ思える。

 しかし、だからと言って何もせずに引き下がれないのが人間という生き物だ。今頃はどうにかして交渉の糸口を見出せないものかと、政治家たちは知恵を絞っていることだろう。


「そう言えば、日本の代表団に〈神槍シェンチアン〉の姿があったな」

「……その呼び方してるのって老大ろうだくらいですよ。いまは確か〈戦乙女〉とか呼ばれているはずです」


 シュアンの言う〈神槍〉とは朝陽のことだ。顔を合わせたことは一度しかないはずだが、シュアンは朝陽のこと高く評価していた。それがルイには気に入らないのだろう。不満げな態度を隠そうともしない。

 もう一つ、ルイが朝陽に対抗意識を燃やしている理由に、最年少のAランク探索者の記録を僅か一ヶ月の差で朝陽に塗り替えられたことにあった。

 そんな分かり易い態度を見せるルイに、シュアンは苦笑する。とはいえ、別にルイよりも朝陽を気に掛けていると言う訳ではない。単純に彼は才能のある若者が好きなだけであった。

 シュアンから見れば、朝陽もルイも孫とそう変わらないほどに歳が離れている。というのも彼もアレックスと同様、三十二年前にダンジョンから生還した帰還者の一人だからだ。


 見た目が三十前後にしか見えないのは、彼が人の身で神仙の領域にまで迫った武術の達人――と言う訳ではなく、ダンジョンの中で生活をしているからだ。

 魔力が老化を遅らせることは、一部の探索者たちの間で知られていることだった。

 ダンジョン内の遺跡から発掘される古代遺物アーティファクトや回復薬がほとんど劣化していないのも、それらが魔力を宿した魔法のアイテムであり、ダンジョンの影響を受けているからというのが学説だ。

 そのため、中国ではダンジョンのなかに探索者の街があって、シュアンはその街のトップに君臨していた。

 ルイがシュアンのことを『老大』と呼ぶのは、それが理由だ。


「ふむ……折角だし、少し物見遊山でもしてくるか」

「え、ちょっと待ってください! 式典はどうするんですか?」

「お前がいるだろう? 長老たちには、しっかりと釘を刺しておけよ。生きて帰りたければな――」


 そう言って部屋から出て行くシュアンを、ルイは呆然と見送ることしかできないのであった。



  ◆



 褐色の肌に長く艶やかな黒髪。手や足にはアーティファクトと思しき装飾を身に付け、民族衣装と思しきドレスに身を包んだ彼女の名はシャミーナ。その美しさは楽園のメイドたちにも見劣りしないほどで、現代のクレオパトラとも噂されているSランクの探索者だ。

 二つ名は〈聖女〉――この式典に参加を決めた理由は単純。

 以前から〈楽園の主〉に強い関心を抱いていたからだ。


「〈軍神〉と〈神君〉は確認できたけど〈剣聖〉と〈皇帝〉は不参加。ここまでは想定どおりの展開ね」


 欧州とロシアのSランクが式典に参加しないことは予想が出来ていた。

 守護者を気取っている〈剣聖〉が動かないことは予想が付くし、ロシアの〈皇帝〉も性格から考えれば素直に招待を受けるはずがないとは察しが付くからだ。

 アレックスはまともな方だが、他のSランクは基本的に性格に難のある人物が多い。実のところシャミーナにも悪癖というか、困った蒐集癖・・・があった。それが珍しい魔導具に目がないと言うことだ。


「ああ、でも参加を決めて正解だったわ。見たことのない魔導具ばかりで、もうずっとここに暮らしたいくらい」 


 政府の高官が顔を青くしそうなことを、平然と口にするシャミーナ。

 Sランクの重要性を考えれば、エジプト政府が彼女を手放すはずがない。

 しかし、Sランクとは国家戦力に例えられるほど規格外の存在だ。そのため、政府と言えど制御が可能かと言えば難しく、どの国もSランクには様々な優遇措置と特例を設けることで顔色を窺っているのが実情であった。

 その点で言うと、やはりアメリカは恵まれているのだろう。

 Sランクのなかで唯一の常識人と言っていいのが、アレックスだからだ。


「〈黄昏の錬金術師〉様とは、なんとしてもお近づきにならないと……」


 本人が聞けば頭を抱える二つ名を、堂々と口にするシャミーナ。

 実は彼女、十年以上も前から〈黄昏の錬金術師〉のファンで、〈黄昏の錬金術師〉を神と崇める〈教団クラン〉の代表も務めていた。だからこそ、政府に掛け合って代表団のメンバーに加えてもらったのだ。

 実際は脅しのようなものだったのだが、そこは彼女も規格外Sランクと言うことなのだろう。


「お慕いしています。我等が神よ……」


 教団の神像もとい〈黄昏の錬金術師〉のフィギュアに祈りを捧げるシャミーナ。

 やっていることはともかく祈りを捧げる姿は、まさに〈聖女〉そのものであった。

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