第34話 月の支配者


 話は少し溯る。

 月面都市に到着した各国の代表団はメイドの案内でそれぞれ宙に浮かぶ・・・・・車のような乗り物に乗せられ、式典の会場へと向かっていた。


「総理……この乗り物どうやって浮いているのでしょうか?」

「私が知る訳ないだろう。だが、そうだな。これも魔導具の一種なのではないか?」

「魔力で動く車なら我が国にもありますが……」


 ここ十年ほどで地球でも魔石を用いた製品が随分と普及した。

 魔導具の技術を民生品に転用し、魔力と電気で動くハイブリッド車や最近は空間投影ディスプレイを搭載した携帯小型端末も販売され、好調に売れ行きを伸ばしている。しかし、それでも宙に浮かぶ車なんてSFに登場しそうな乗り物は、日本どころか地球のどの国を探しても存在しない。

 一時期、空飛ぶ車というのが流行ったこともあるが、あれはどちらかと言えばドローンに近い乗り物で、この乗り物のように快適と呼べるほどのものではなかった。物珍しさもあって日本でも開発が進められたが、騒音問題や安全性。法律やコストの壁など様々な事情があって、結局は普及するまで至っていないのが実情だ。

 しかし、この乗り物は駆動音がしない上、動いていることすら忘れるほどに震動を一切感じない。

 まさに人類が夢見た空飛ぶ車の完成型とも呼べるものだった。

 仮にこの乗り物が地球で広まれば、大きな技術革新をもたらすことは間違いない。

 それに――


「凄いですね。この都市は……まるでSFに登場する未来都市のようだ」


 自然と調和した街並みは近未来的で、窓のない建物は全体がクリスタルのような輝きを放ち、見るものを惹きつける。目に飛び込んでくるものすべてが驚きと新鮮に満ちていて、〈月の楽園エリシオン〉の技術力の高さを窺い知ることができた。

 それだけに驚きが隠せず、政治家たちの頭を悩ませていた。この式典に招待された彼等が考えていたのは、月の調査やダンジョンに関することがほとんどを占めていたからだ。

 月面の調査協力を取り付けることができれば御の字。あわよくば月面基地の建設や資源の取り扱いにしても協議できればと考えていたところに、これ・・だ。月面に都市が建造されているというのは知ってはいたが、まさかこれほどのものとは想定もしていなかったのだろう。

 楽園の主や魔女の実力は話に聞いていても、技術力までも地球の先を行くとは考えていなかった。トワイライトや〈黄昏の錬金術師〉のことを知っていれば想定できそうなものだが、それは魔導具・・・に限られることだと視野を狭めていたのだ。

 人類がこれまでに培ってきた知識と技術には自信を持っていたし、魔導具はともかく科学技術であれば自分たちの方が優位だという考えが、心の何処かにあったのだろう。

 しかし、この光景を見た後では、自分たちの方が優れた技術を持っているなどと到底胸を張って自慢できるものではない。むしろ、圧倒的な力の差を見せつけられているような気分に陥る。


「せめて〈帰還の水晶リターンクリスタル〉でしたか? あれだけでも手に入れば、ダンジョン攻略が大きく前進すると思うのですが……」


 秘書官の言うことは総理も理解できる。月と地球をどうやって行き来しているのかと思えば、魔導具を使ってダンジョン間を転移する手段があるというのだから驚くほかなかったからだ。

 本来は緊急用の脱出手段らしくダンジョン内でしか使えない上、ダンジョンの入り口にしか転移できないそうだが、それでもそれがあれば探索者の死亡率を大きく減らすことができるし、使い方によっては交通や物流に大きな革新をもたらす可能性がある。

 是が非でも入手したいと考えている国がほとんどだろう。

 しかし、これだけの力の差を見せつけられた後で、なにをもって楽園と交渉すればいいのか?

 楽園との会談は厳しいものになると、総理は厳しい表情を浮かべるのであった。



  ◆



「想像していたよりも遥かに凄いね。これは……」


 感嘆の溜め息を漏らしながら、政庁を見上げる黒髪の男。

 落ち着いた色合いの高級スーツに身を包んだ彼の名は、南雲なぐも一色いっしき

 〈勇者〉の二つ名で知られる日本最強のAランク探索者だ。


「総理にも注意しましたけど、このくらいで驚いていたら身体が保ちませんよ……」


 そんな一色の隣に立ち、どこか達観した表情を浮かべるスーツ姿の女性。

 明るい髪色のサイドテールが特徴の国内最年少のAランク探索者。

 ――八重坂やえざか朝陽あさひ。それが彼女の名前だった。

 探索者の二人が代表団に同行しているのは、日本政府からアドバイザーとして参加を要請されたためだ。一色は〈勇者〉としての活動の実績があるし、朝陽は〈トワイライト〉に所属する探索者として有名だ。〈楽園の主〉とも面識があることで知られ、テレビや雑誌の取材にも何度か応じていた。

 もっとも、これほど朝陽が有名になったのは〈トワイライト〉のイメージ戦略の一環でレギルの指示なのだが、そうしたこともあって政府の目に留まり、同行を求められたと言う訳だ。

 ただ、朝陽としてはアドバイスくらいならともかく、日本政府に必要以上の肩入れをするつもりはなかった。〈トワイライト〉に所属しているからと言うのも理由にあるが、楽園には返しきれないほどの恩義を感じているからだ。


「ここまでで一生分驚いた気がするけど、これ以上のものがあるってことか」

「はい。なので言わなくても分かっていると思いますが……」

「心配しなくても問題を起こすつもりはないよ。僕も〈楽園の主〉には大きな借りがあるからね」


 そして、それは一色も同じであった。

 命を救われた恩がある以上、楽園の不利益になるような行動は取れない。

 それを納得してもらった上で、日本政府に協力することを決めたのだ。

 日本政府としても楽園とは友好的な関係を維持したいと考えていたので、その条件で問題なしと判断したのだろう。

 ただ――


「他の国がどうでるかまでは保証できないけどね……」

「そこが一番の不安なんですよね……」


 日本とアメリカは問題ないと思っているが、他の国は分からない。

 できることなら楽園を刺激するようなことはして欲しくないというのが二人の本音だった。


「こちらへどうぞ。ご主人様がお待ちです」


 メイドに案内され、各国の代表団は政庁の中へと足を踏み入れる。

 そこでもまた、息を呑むような光景が広がっていた。

 大聖堂を彷彿とさせる荘厳で神秘的な造り。どうやって造ったのか分からないが壁や天井には繋ぎ目が一切見当たらず、細部に施された意匠からは一目に技術力と芸術性の高さが窺える。

 それに――


「この壁と床の色や輝き……まさか……すべてミスリルなのか?」


 一色が驚くのも無理は無い。壁や床に用いられているコーティングには、すべてミスリルが用いられていた。

 魔法銀とも呼ばれるダンジョンでしか採れない稀少金属で、本来は建材に用いるべき素材ではない。ミスリルの槍一本で数千万という値が付くほどの代物だ。それが壁や床一面に使われているのだから、一体どれほどの金額に相当するのか見当も付かない。

 まるで異世界に迷い込んだかのような光景に見惚れていると、畳み掛けるように代表団の前にそれが現れた。

 黄金の輝きを放つ巨大な扉。最初は金かと思ったが、すぐに違うことに一色は気付く。


「オ、オリハルコン……」


 ミスリルよりも更に稀少な金属。ダンジョン内の遺跡で稀に見つかることがあるが霊薬エリクサーに次ぐほど貴重なもので、ほとんど市場に出回ったことがない幻の金属――それがオリハルコンであった。

 一色も過去に一度しか目にしたことがないほどの代物で、見つかったオリハルコンのほとんどが国の研究機関で厳重に保管されているのだ。そんなもので扉を造るなど、地球の常識で考えればありえないことだった。

 一色だけではない。総理も、日本の代表団だけでなく他国の代表者たちも全員が言葉を失い、目の前の光景に呑まれていた。常識や価値観が崩れさるようなものを、ここまで畳み掛けるように見せられてきたのだ。その反応も仕方のないことと言えるだろう。

 これ以上のものがまだ待ち受けているのかと思うと、背筋から冷たい汗が零れる。


(そういうことか。これは〝警告〟だ)


 式典は地球の代表者たちを招くための建て前に過ぎず、圧倒的な力の差を見せつけることで月に手をだすことの愚かさを各国に知らしめることが目的だったのだと一色は理解する。

 恐らくは月面都市も、そのために用意された餌だったのだと推察できる。

 だとすれば、この先に待ち受けているものとは――


「気をしっかりとってください……そうでないと呑まれます」


 朝陽の忠告どおり、扉の先には――神話・・の世界が広がっていた。



  ◆



 左右に並び立つメイドたちは全員が妖精のように美しく煌びやかで、ミスリルでコーティングされた床と壁に光が反射し、この世のものとは思えないほど厳かで幻想的な景色を演出していた。

 しかし、そんなものよりも目を奪われるのは広間の奥に並び立つメイドたちだ。

 天上から女神が舞い降りたのではないかと錯覚するほどに息を呑むような美しさ。

 非現実的な光景を前に、ここが神の住まう世界かと代表団に錯覚させる。

 そんな絶世の美女を侍らせ、堂々とした佇まいでオリハルコンの玉座に腰掛ける人物がいた。

 それが誰かなど、尋ねるまでもなかった。


 ――楽園の主。


 この地の支配者だ。

 国益のために如何にして他国を出し抜くかと、ここまで巡らせていた考えが一瞬にして頭から吹き飛ぶ。息を呑み、言葉を失い、脳裏を駆け巡るのはへの恐怖と後悔だけ――

 交渉など、こんな化け物を相手にどうやって行うのだと――

 一度、〈楽園の主〉と会談したことのある日本の総理でさえ、場の雰囲気に呑まれて言葉を発することができない。

 そんな各国の代表団が呆然と立ち尽くす中で、ひとりだけ違う反応を示すものがいた。

 南雲一色――〈勇者〉と呼ばれる男だ。

 彼の視線は一人のメイドへと向けられていた。

 腰元まで届く長い銀髪。凛とした佇まないのなかに感じ取れる育ちの良さ。

 他のメイドたちと同様に美しいが、どことなく顔立ちは東洋人の面影がある。


「姉さん!」


 ありえるはずがない。頭ではそう理解しているのに一色は叫んでいた。

 姉は銀髪ではなかった。顔立ちは似ているような気はするが、やはり見比べれば別人だと分かる。なのに、どうしてかは分からないが胸が締め付けられ、心が叫ぶのだ。

 目の前にいる銀髪のメイドが、十年以上も前に亡くなった自分の姉だと――

 しかし、


「あなたはですか?」


 返ってきたのは、否定の言葉であった。


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