第29話 月の魔女と楽園の錬金術師

「ここは……僕は死んだはずじゃ……」


 自分の身に何が起きているのか分からないと言った様子で、男は周囲を見渡す。

 白いカーテンの隙間から明るい太陽の日差しが射し込み、ベッド脇に置かれた花瓶には向日葵・・・の花が添えられていた。

 そんなお日様のにおいにまじって、薄らと香る消毒液のにおい。

 ようやく自分が病院のベッドの上に寝ていることに気付くと、男はゆっくりと身体を起こす。


「おう、ようやくお目覚めか? ――〈勇者〉様」


 聞き覚えのある声がして男が振り返ると、そこには大男の姿があった。

 見覚えのあるハゲ頭に〈勇者〉と呼ばれた男は目を瞠り、真剣な表情で尋ねる。


「キミも死んだのか? 東大寺」

「勝手に殺すな」


 本気なのか冗談なのか分からない〈勇者〉の言葉に、呆れた様子を見せる東大寺仁。だが、こういう奴だったと思い出す。

 正義バカで、少しずれたところがあって所謂変人・・なのだ。

 しかし、状況をよく分かっていないのは仁も同じだった。

 一つだけ言えることがあるとすれば――


「俺も、お前も、全員――〈楽園の主〉に大きな借りができたってことだ」


 どうやったのかは分からない。しかし、自分たちが生きていることも〈勇者〉が生き返ったことも、すべて〈楽園の主〉がやったことだと仁は確信していた。


「〈楽園の主〉……そうか、俺は生き返ったのか」

「ようやく頭が冴えてきたみたいだな。なら忠告しとくが、そのことは誰にも言うなよ。まあ、言ったところで誰も信じないと思うがな」


 死者が生き返ったなどと話したところで、大丈夫かと頭を疑われるのがオチだ。

 それに朝陽が生きていたのだから〈勇者〉が生きていても不思議な話ではない。なら死んで生き返ったとするよりも生きて帰ってきたとした方が、社会に受け入れられやすいと考えてのことだった。

 しばらくは注目の的だろうが、人の噂も七十五日と言う。

 そのうち、この騒ぎも収まるだろうというのが仁の考えだ。

 それに――


「いまは別の話題でテレビは持ちきりだしな」

「別の話題?」

「これだよ。これ」


 大きな手で器用に携帯型の情報端末・・・・・・・を操作し、〈勇者〉にも見えやすいように空間投影の機能を使って話題のニュースを表示する仁。そこには月に関するニュースがずらりと並んでいた。

 似たような記事ばかりだが、要約するとこうだ。


「月が緑化? 楽園の噂は真実だった? なんだこれは……」

「その見出しの通りだよ。スタンピードのあと、月が緑に覆われたらしくて世界中が大騒ぎよ」


 そのため、朝陽のことや〈勇者〉のことも思ったほど話題になっていなかった。

 偶然……ではないのだろうな、と〈勇者〉は察する。

 ずっと表舞台に姿を見せなかった楽園が、このタイミングで世間の注目を集めることをした。まるで、自分たちの存在を示すかのように――

 なら、この騒ぎも楽園の意図したところなのだろう。


「キミの言うように大きな借りが出来てしまったようだ」

「ああ、そういや、支援庁のことも話しておかないとな」


 この一ヶ月ほどの間に起きたことを仁は〈勇者〉に語って聞かせる。

 その話に驚きながらも〈勇者〉――南雲一色は、


「姉さん、僕は……」


 戦友に見守られながら、たまっていたものを吐き出すかのように嗚咽を漏らすのであった。



  ◆



「うん、これは確かに〈魔核ディアボロスコア〉だね」


 短く揃えられた銀色の髪に、前髪で隠れた左眼。白衣を纏った身長百五十センチほどの小柄な・・・少女の視線の先には、闇を凝縮したかのような昏い輝きを放つ石の写真が空間モニターに投影されていた。

 ヤマタノオロチと名付けられた特殊個体ユニークモンスターから〈楽園の主シイナ〉が回収した〈魔核〉だ。


「それで現物は?」

「主様が実験に使うからと持って行かれたわ」

「それなら仕方がないかな」


 レギルの説明に少し残念そうにしながらも、納得した様子で引き下がる白衣の少女。銀色の髪からも察せられるように彼女は人間ではない。

 原初のホムクルスの一人にして、名はノルン。見た目は子供ぽいが楽園では〈書庫〉の管理を任されていて、その叡智は〈楽園の主〉に次ぐと評価されている楽園のメイドだ。


「だとすると、お仲間が増えるかもしれませんね」


 楽しみですとのんびりとした口調で、頬に手を当て笑みを浮かべる女性。ノルンとは対照的に母性を感じさせる見た目と、和やかな雰囲気を纏った彼女も〈原初〉の一人だ。

 名前はイズン。楽園で食されている野菜や果物。錬金術の素材で使う薬草などを栽培し、管理を任されている〈庭園〉の管理人だ。


「生まれて間もない魔王とはいえ、こうも完全なカタチで魔核を回収なさるなんて……ああ、さすがは主様。叡智を司る錬金術師。世界で最も尊き御方――」


 うっとりとした表情で自分の世界に浸り、あるじを誉め称える銀髪ツインテールの彼女も〈原初〉の一人だ。

 名前はスカジ。都市周辺のモンスターの駆除やダンジョンの管理を任されている〈狩人〉の長だ。諜報や荒事にも長けており〈トワイライト〉の警備部門も担当している。

 そして、最後の一人――


「……あるじが凄いのは当然」


 尻尾のように飛び出した後ろ髪にスレンダーな体型。一人だけ作業服を着て、眠そうな表情で机に頭を預けている彼女の名はヘイズ。これでも楽園の開発やメイドたちの装備のメンテナンスを担当する〈工房〉の責任者だ。

 余談ではあるが、レギルは楽園の財務を取り仕切る〈商会〉の会長を任されていた。

 ここにいる五人は全員が〈原初〉に名を連ねるホムンクルスであった。

 それぞれの仕事を終えて楽園に帰還したのが昨日のこと。

 ユミルの姿はないが〈原初〉の名を持つ彼女たちが、こうして集まったのは理由があってのことだ。


「でも、まさか魔王が生まれていたなんてね。あれは滅多に発生することのない災害のようなものだから、まだ百年は余裕があると思っていたのだけど」


 ダンジョンからモンスターが生まれるように、魔王もまたダンジョンから生まれる一種の災害のようなものだ。

 ノルンの言うように滅多にあることではなく、これまでに確認された魔王の数は両手の指で足りる。

 

「主様のことですから、魔王の出現を予見されていたのかもしれません。もしそうならレミルを日本の担当にしたのは最初から〈魔核〉が狙いだったのでしょう」

「なるほど……主様なら十分にありえますね」


 スカジの話にありえると、納得した様子でレギルは頷く。


「それで、月面都市・・・・の開発は進んでいるの?」

「必要な資材は〈商会〉が調達。開発は〈庭園〉と〈工房〉に任せています」


 ノルンの問いに対して、レギルは計画の進捗状況を説明する。

 実は、二十年前のように月の調査を行おうとする動きが地球で起きていた。

 月面の大部分が緑に覆われるという現象が発生したのだ。地球の人々が騒ぐのも無理はない。ただ、騒ぐだけならいいが、欲をかく愚か者・・・には月に手をだすことの愚かさを知ってもらう必要がある。

 そこで月面に都市を建設する計画が浮上したのだ。


「それにしても愚かな話ですね。この地は太古の時代から、ご主人様のものなのに……」


 おっとりとした口調で、呆れるように溜め息を漏らすイズン。彼女が呆れるのは当然で、メイドたちの常識では月は先史文明の時代から〈月の楽園エリシオン〉の領土だからだ。

 この地にあるすべてのものは〈楽園の主〉の所有物。それに手をだそうとする愚か者には相応の罰と報いを――

 それが楽園のメイドたちの総意だった。

 だからこそ、もう隠れる・・・ことをやめたのだ。


「では、それぞれの役割を再確認しましょう。すべては主様のために――」


 レギルの言葉に、少しも迷うことなく頷く〈原初〉のメイドたち。

 楽園が表舞台に姿を見せる準備が、こうして着々と進んでいくのだった。



  ◆



 まさか月面が緑化するとは思わず、地球は大騒ぎになっていた。

 そりゃ、そうだ。俺だって驚いているのだから……。

 今回の件は完全に不可抗力と言っていいが、原因は既に判明している。

 深層のモンスターを月のダンジョンの入り口に〈転移〉させたことが最大の原因だった。

 モンスターがダンジョンの生みだした魔法生命体であることはご存じの通りだ。そのため、モンスターは倒すと魔石や素材の一部を残して消滅するのだが、その時に身体を構成していた魔力が大気中に飛散するのだ。

 この魔力は本来ダンジョンに吸収されて、再びモンスターを生み出す栄養の一部とされるのだが、今回はダンジョンの外でモンスターを倒したことでに吸収された。

 ようは月の大地に栄養たっぷりのエネルギーを注入したと言う訳だ。

 それでも普通は荒廃した大地を緑化させるほどの力はないのだが、今回は七つのダンジョンすべての深層モンスターを月に転移させてしまった。そのため、万を超す深層のモンスターの魔力が月に吸収されてしまい、そこにユミルの魔力とスキルの効果も合わさって月面の大部分が緑に覆われるという異変を引き起こしてしまったと言う訳だ。

 ユミルだけを責められない。あとのことをまったく考えていなかった俺の責任だ。


 それでどうなったかと言えば、当たり前のことだが〈楽園〉の存在がバレた。

 いや、バレたと言っても知っている人間は以前から知っていた訳だが、これまでは噂程度でしか広まっていなかった楽園の存在が、社会に認知されるようになったと言うことだ。

 当然そうなると、これまでと違って表立って接触を図ってくる国や組織もでてくる。アメリカに本社を構える〈トワイライト〉には、いま世界中から楽園のことで問い合わせが殺到しているらしい。

 そこで悩んだ末、俺は〈月の楽園エリシオン〉を公表することを決めた。

 このまま知らぬ存ぜぬで問題を先送りするのにも限界があるし、そうしたところでいつまでも隠し続けられるものではない。それに三十年以上も隠匿生活を満喫したのだ。そろそろ引き籠もりから卒業する頃合いなのではないかと考えたのが、楽園の存在を公表すると決めた主な理由だった。

 そして、いまメイドたちは大忙しでその対応に追われている。

 月面に都市を造る計画が持ち上がり、楽園の公表に向けて準備を進めているためだ。

 俺? 手伝おうとすると邪魔になるようで、いつも通りだ。いまは〈工房〉にある自分の研究室に引き籠もっている。

 引き籠もりからの脱却を決意したのに何も変わっていないじゃないかと言うのはなしだ。ようは気持ちの持ち方の問題で、三歩進んで二歩下がるくらいは前進しているのだから気長に見守って欲しい。

 しかし、地球のニュースは楽園のことばかりだな。仕方がないとはいえ――


「『月の魔女と楽園の錬金術師』ってなんだよ。このタイトル……」


 月の魔女って、たぶんユミルのことだよな。楽園の錬金術師は俺か……。

 そのまま過ぎて、捻りも何もない記事のタイトルに溜め息が漏れる。

 ってか、この記事でインタビューに答えてるのギャルじゃねえか!

 記事を読んでみて思ったが、概ね好意的な内容しか書いていない。なるほど、これもイメージ戦略・・・・・・の一環と言う訳か。ということは、この記事にはレギルも一枚噛んでいると考えるべきだな。

 しかし、そういうのは先に相談して欲しかった。

 記事では『黄昏の錬金術師』についても触れているし、俺の黒歴史を広めないでくれ。

 まったく、やれやれだ。それはそうとして――


新しい身体・・・・・の調子はどうだ?」

「はい、問題ありません。生前よりも動かしやすいくらいです」


 新しい家族が増えたことを報告しておく。

 幽霊女子高生改め、銀髪美少女メイドのシオン・・・だ。

 しかし、楽園の存在を公表するのは良いとして『月のダンジョンでメイドたちに囲まれながら楽園の主やってます』とか言ったら、少なくとも全世界の半分を敵に回しそうだ。


「どうかされましたか?」


 考えごとをしていると、いつの間にか部屋の入り口にユミルが立っていた。

 シオンのことが気になって、様子を見に来たのだろう。


「いや、このままだと世界(の半分)を敵に回しそうだと思ってな」

「そのような心配は不要です。マスターには、楽園のメイドわたしたちが付いていますから」


 だから敵に回しそうで心配なのだが、楽園に男は俺しかいないこともあってユミルたちはその辺りが無自覚だしな。新人のシオンも例に漏れず、そっち方面は期待できそうにないし、ここは甘んじて受け入れるしかないのだろう。

 この生活を続けるためなら、世界の半分を敵に回そうとも本望だ。

 月の楽園エリシオンは俺にとって、理想の楽園・・・・・なのだから――




あとがき

 これにて一章完結です。

 後ほど、近況ノートの方に『総括』を掲載しておきます。

 この作品を少しでも面白いと思ったら評価して頂けると励みになります。

 引き続き二章も投稿していきますので、これからも応援よろしくお願いします。

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