第二章 皇帝と神の酒

第30話 月面都市

 三十二年前、世界に七つのダンジョンが出現した。

 そのなかの一つ、月のダンジョンには〈月の楽園エリシオン〉という国がある。学校もなければ仕事もない。メイドたちに囲まれて、甲斐甲斐しく世話をされながら悠々自適な生活を送れる楽園パラダイスのような場所が――

 その国の代表にしてメイドたちの主が俺、暁月あかつき椎名しいなと言う訳だ。

 なお、正体を隠しているため、世間では〈楽園の主〉の名で通っている。


「クリスマスか……」


 クリスマス特集と書かれた雑誌の表紙を眺めながら、もうそんな季節かと思う。

 ちなみにこの雑誌はレミルが置いていったものだ。

 ギャルの妹と仲良くなって時々地球に遊びに行っているらしく、お土産にゲームや雑誌を持って帰って来るようになった。その置き場所に俺の研究室へやを使うのはやめて欲しいのだが……。

 まあ、友達ができるのは悪いことではないので、いまは様子を見守っている。

 

「あれだけの事件があったのに人間と言うのは本当に逞しいな」


 世間を震撼させたモンスターの氾濫スタンピードから四ヶ月ほどが経つが、何事もなかったかのように人々は元通りの生活へと戻っていた。

 スタンピードの被害を伝えるニュースが毎日のように流れていたのだが、それも一ヶ月ほどで収まり段々と元の日常へと戻っていったという感じだ。

 まあ、それよりも衝撃のニュースがあったことで、他のことが有耶無耶となったと言う方が正しいのかもしれないけど。

 衝撃のニュースとは、ここ楽園・・のことだ。

 いま月では大規模な工事が行われていて、月面都市の建設が進められていた。

 と言っても、もう作業は大詰めで完成式典を一週間後に控えているのが――

 そのため、最近はテレビやネットの話題は楽園のことで持ちきりだった。


「本当に四ヶ月で完成させるとか。アイツ等、頑張り過ぎだろ……」


 しかし、本当によくやったものだと感心する。

 四ヶ月だ。たった四ヶ月で、月面に都市を造り上げてしまったのだ。

 都市と言っても東京のような地球の大都市と比べれば小さいが、地球では絶対に見られない景色や自然と調和した街並みは、まさに未来都市と言った雰囲気を感じさせるものとなっている。

 それに高度な魔導技術に地球の科学を取り込んで今の楽園は発展しているので、生活のしやすさや便利さの面では日本と比較しても遜色ない。むしろ、一部では凌駕していると思っている。

 その経験が月面都市の建設にも活かされていると言う訳だ。

 これも〈商会〉と〈工房〉が張り切り過ぎた結果だ。


「珍しくヘイズが張り切ってるって言ってたしなあ……」


 ヘイズと言うのは〈工房〉の責任者だ。いつも眠そうにしているのだが、今回は随分と頑張ったらしい。

 余談ではあるが楽園にはこの他に〈庭園〉〈狩人〉〈書庫〉と五つの専門部署があって、それぞれが各々の役割をこなすことで楽園の運営に携わっている。代表はそれぞれ〈原初はじまり〉の名を持つメイドたちが担っていた。

 なお、ユミルは楽園の管理が主な仕事なので、どこか特定の部署に所属していると言う訳ではない。どちらかと言えば、俺の直属という扱いになるだろう。俺の方から楽園の運営で、特に何か口を挟むと言ったことは滅多にないのだが……。

 それと言うのも口を挟む余地がないくらいメイドたちの仕事が完璧すぎるのが原因だ。そのことに不満があると言う訳では無いが、傍から見ると完全に紐ニートなんだよな。

 なので――


「マイスター。そろそろ、お時間です」

 

 メイドたちの頑張りと期待に応えるため、今回は少し頑張ってみるつもりだ。



  ◆



 俺の前を歩いているメイドの名はシオン。腰元まで届く長い銀色の髪と、どこか古風な佇まいが絵になる新入りのメイドで、俺が造った二人目・・・のホムンクルスだ。ユミルやレミルと一緒で特定の部署に所属していると言う訳ではなく、いまは俺の補佐をしてもらっている。

 彼女自身がそれを望んだというのも理由にあるが、他のメイドと彼女は少々異なる事情を抱えていた。

 それは――彼女には前世の記憶・・・・・があるのだ。

 南雲なぐも詩音しおんと名乗っていた人間の頃の記憶が――


 実はシオンに南雲詩音の記憶があるのは狙ってやった訳ではない。特殊個体ユニークモンスターを討伐した際に手に入れた〈魔核〉と呼ばれる特殊な素材を使ってホムンクルスを開発したところ、前世の記憶を継承して生まれてきたと言う訳だ。

 なんで〈魔核〉でホムンクルスを造ろうとしたかと言うと、いろいろと調べている内に〈霊核〉に近い性質を持っていることが分かったためだ。


 霊核とは、ホムンクルスの心臓に使われているのことだ。

 この〈霊核〉と〈魔核〉が同じような性質を持っていたことから、物は試しとばかりに実験を行ってみたところ……シオンが誕生したと言う訳だ。ただまさか、魔核に人間の記憶が封じられているとは思ってもいなかったのだが――

 使用した魔核は南雲詩音の幽霊から譲り受けたものなので、考えられる可能性としては南雲詩音の〈霊基情報〉が〈魔核〉に含まれていたのではないかと俺は仮説を立てていた。


 実は〈霊核〉を造る際にも〈霊基情報〉が必要となるのだ。

 詳しく説明すると長くなるので省略するが、霊基とは魂の遺伝子情報のようなものだ。レミルが俺のことを『お父様』と呼ぶのは俺の〈霊基情報〉を〈霊核〉を造る際に使ったからで、親子関係にあると言っても間違いではない。

 ようするに〈魔核〉には南雲詩音の〈霊基情報〉が含まれていて、それで記憶の継承が起きたのではないかというのが俺の仮説だった。

 ただレミルに同じような現象は起きていないし、メイドたちにも前世の記憶と言ったものはないので、かなり特殊な例と言えるだろう。


「マイスター? どうかなさいましたか?」


 ちなみにシオンは俺のことを『マイスター』と呼んでいる。

 大半のメイドが『ご主人様』や『マスター』と呼んでいるのに、どうして『マイスター』なのかと尋ねると恥ずかしいからだそうだ。人間であった頃の記憶があることも理由にあるのだろう。

 まあ、これはこれで悪くない。


「いや、なんでもない。それよりも楽園ここでの生活には慣れたか?」

「はい。皆様よくしてくれますし、困った時はレミルお姉様がいろいろと教えてくれますから」


 そう言えば、妹ができたと喜んでいたな。

 どちらが妹か分からない光景ではあったけど……。

 まあ、姉妹仲が良いのはいいことだ。

 しかし、


「もう少し肩の力を抜いてもいいんだぞ」


 姉妹でもレミルとシオンは正反対というか、まったく性格が違う。

 自由奔放で落ち着きのないレミルに対して、生真面目で落ち着いた物腰のシオン。

 それがダメと言う訳ではないが、シオンの方は少し態度が硬い気がしていた。

 最初の方は緊張しているだけかと思っていたが、既に三ヶ月が経つ。


「そうはいきません。マイスターはわたしやレミルお姉様の創造主にして〈楽園の主〉なのですから――。敬意を以て、全力で奉仕するようにと、お姉様方も仰っていました」


 誰が言ったのかは大凡の予想が付くが、それを鵜呑みにするあたり真面目過ぎるんだよな。

 自分に厳しく真面目なシオンと、自由奔放で何事も大雑把なレミル。

 シオンとレミルを足して割れば丁度良いくらいになるんじゃないかと、失礼な考えが頭を過るのだった。



  ◆



 知ってはいたつもりだが、想像以上に凄かった。何がって、月面都市のことだ。

 実は一週間後に控えている完成式典に、六カ国の代表やギルドの理事を招く手はずとなっているらしい。六カ国と言うのはギルド加盟国のことだ。

 日本、アメリカ、中国、ロシア、エジプト。そして、グリーンランド自治州。この六つがダンジョンの出現した国で、探索者の管理とダンジョンの運営を担っている。そんな各国の代表と、俺は顔を並べる予定となっていた。

 正直、遠慮願いたいと言うのが本音だが、メイドたちの期待を裏切ることは出来ない。〈楽園の主〉としての義務と責任を果たすためにも、腹を括るしかないと覚悟を決めていた。

 まあ、既に一度経験しているのだ。

 日本の総理との会談も上手くいったことだし、今回もどうにかなるだろう。


「月見酒ならぬ地球見酒か。なんか語呂が悪いな」


 月面都市に建設されたホテルのレストランで、地球を眺めながら食事を取っていた。豪華な料理には慣れているが、たまにはこうしてシチュエーションを変えて取る食事も乙なものだ。

 レミルも誘ってやればよかったと思うが、これ一応は視察・・なんだよな。いま口にしている食事も、一週間後に予定されている式典でだす予定の料理で、月面都市の各施設を巡って不備がないかをこうして確認していると言う訳だ。

 と言っても、メイドたちのやることなので問題があるはずもない。仮にあっても俺に分かるような問題があるとは思えないので、ほとんど観光案内のようになっていた。

 そう言えば、重力や酸素はどうなっているんだって?

 そこは魔導具で解決できる。重力は〈重力制御〉のスキルでどうとでもなるし、酸素についても都市全体を〈結界〉で覆って外部と遮断してしまえば、結界内の環境は幾らでも好きに整えることが出来る。実際、楽園はそれで年中快適な環境を保っている訳だ。

 恐らくは〈工房〉と〈庭園〉がその辺りの調整を行っているのだろう。

 ちなみに月面を覆った草木は、深層に生えているのと同じ種類のものだと分かった。水や太陽を必要とせず、魔力さえあれば育つ植物だ。いま月には魔力が満ち溢れているので、向こう数百年は何もしなくとも枯れる心配はないと言うのが〈庭園〉のだした調査結果だ。


「シオン、そんなところに立っていないで座って一緒に食べたらどうだ?」

「主と同席するなど、メイドの立場で許されないことです」

「メイドならそうだろうが、と一緒に食事をするのもダメなのか?」

「……その言い方は狡いです」


 困った顔で少し迷いながらも向かいの席に座るシオン。

 ちょっと強引だったかと思うが、こういう場所で一人で食事をするのは寂しい。レミルなら何も言わずに椅子に座って料理に手を伸ばしてると思うけど、あいつは逆に遠慮がなさすぎるしな。

 やはり、両極端な姉妹だと思う。


「納得が行かないなら、これも仕事だと思え。あとでメイドたちに料理の感想を聞かせてやるといい」

「そこまで仰るなら……頂きます」


 そう言ってシオンが選んだのはチーズケーキだった。

 月をモチーフにしたというオリジナルのチーズケーキだ。

 料理を運んできたメイドが自信ありげに説明していたのでよく覚えている。

 しかし、ケーキを頬張る姿は見た目相応だな。


「どうかなさいましたか?」

「いや、なんでもない。俺一人じゃ食べきれないし、他のも遠慮しないで食べろ」


 娘を見守る父親の気持ちというのは、きっとこんな感じなのだろう。

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