第21話 嵐の前

 メイドたちの調査報告によると、既にダンジョンブレイクの兆候が見られるそうだ。ダンジョンブレイクとは、その名の通りダンジョンが崩れると言った意味ではない。崩壊するのは各層を隔てる〝結界〟の方で、これが壊れることでモンスターの氾濫スタンピードが発生する。

 ダンジョンとは謂わば〝檻〟のようなものだ。モンスターを閉じ込め、地上にださないための檻がダンジョンで、その役割を果たしているのが各層を隔てている結界であった。下の階層のモンスターが上の階層に出現しない理由がこれだ。

 問題はその崩壊がどの程度・・・・であるかと言ったことだ。

 今回厄介なのは、この崩壊の兆しが深層の方でも見られると言うことだった。

 中層までの小規模なものであれば、探索者たちだけでもどうにか抑えられる。しかし、下層の結界が崩壊すれば少なくともB級以上の高ランクの探索者でしか対処が難しくなる。

 そして、最悪なのが深層の結界が崩壊した時だ。

 最低でもAランク以上の探索者でなければ相手にもならない上、彼等でも数体程度ならまだしも何百、何千という深層のモンスターに対処するのは不可能と言っていい。実際、楽園のメイドたちですら、それだけの数の深層のモンスターを相手取るのは厳しいものがある。それが可能なのは、ユミルを始めとした〈原初〉の名を持つホムンクルスだけだろう。

 だから、深層のモンスターはユミルに対処してもらうことを考えていた。

 他の〈原初〉の名を持つ五人とレミルには、それぞれ地球の各国にあるダンジョンの入り口で待機してもらう。

 作戦が上手く行かなかった時の〝保険〟として――


「さすがはマスターです。〈帰還の水晶リターンクリスタル〉を使うなど、私たちでは思いもつかなかった方法です」


 それはそうだ。モンスターを如何に地上にださないようにするかで頭を悩ませていたのに、〈帰還の水晶〉を使えば逆にモンスターがダンジョンの外にでるのを助けることになる。普通なら、まず考えもしない方法だろう。

 しかし、以前から考えていた改良が上手くいったことで、どのダンジョンの入り口に転移するかを任意で選べるようになった。これならモンスターを一箇所に集めて叩くことが出来る。


「効果は実証済みだ。あとはメイドたちの働きに期待するしかないけど」


 大量に準備した〈帰還の水晶リターンクリスタル〉を使い、地上に到達する前に深層のモンスターを〝転移〟させる。危険な仕事だが、これは楽園のメイドたちに担当してもらうしかない。

 そして転移させた先で、ユミルに一掃・・してもらうという作戦だ。

 

「恐らくは上手く行くと思います。メイドたちも深層のモンスターとの戦いには慣れていますし、マスターの魔導具があれば問題なく作戦を遂行できるしょう。ただ、一つ〝懸念〟が――」

奈落アビスだな」


 奈落アビス――深層の下に広がるダンジョン最下層の領域。そこに生息するモンスターたちは、楽園のメイドたちの手にも余る。現状、対処が可能なのは〈原初〉の六人とレミルだけだ。

 奈落と深層を隔てる結界が崩壊するようなことになれば、もう地上のことは諦めるしかない。実際、楽園の戦力を結集しても対処するのは難しいと言うのが、俺とユミルのだした結論だった。

 とはいえ、これは本当に最悪の最悪を想定したケースだ。

 ユミルが何を危惧しているのか理解できない訳ではない。先史文明が滅亡することになった〈大災厄〉と呼ばれる現象。記憶の一部が欠落していてその当時のことは覚えていないらしいが、ユミルは〈大災厄〉が奈落と関係していると考えているようだ。

 俺もその可能性は十分にありえると思う。

 地上の文明を消し去るほどの災厄となると、ただの自然現象とは考えにくいからだ。

 とはいえ、


「無責任なようだが、なるようにしかならない。いざと言う時は俺も腹を括るさ」


 いまは目の前のことに集中し、為すべきことを為すしかない。

 ただ今回のことで、俺たちはもっとダンジョンのことを知る必要があると――

 これまで避けてきた〝奈落の調査〟の必要性を感じるのだった。



  ◆



「……これは事実なのか?」

「ああ、楽園から渡された調査資料だ。恐らくは間違いないだろう」


 アメリカの政治の中枢を司るホワイトハウスで、アレックス・テイラーは大統領と面会していた。ギルドの理事として、そして作戦の指揮を任されたSランク探索者として、スタンピードに関する対処を政府に説明する必要があったからだ。

 いまの大統領はアレックスのように探索者と言う訳ではない。代々軍人を輩出してきた家系に生まれたがスキルに恵まれなかったためにダンジョンへ潜ることを諦め、地道な政治活動の末に大統領へと至った人物だ。

 政治家のなかではダンジョンに理解がある方だが、それでも探索者と比べればモンスターに対する認識が甘い。これは大統領に限った話ではなく探索者以外の人間全員に言えることなのだが、今回ばかりはその甘い認識では困ると言うのがアレックスの考えだった。

 だからギルドを代表して彼自身が大統領のもとへ説明に訪れたのだ。


「一つ言っておくが、スタンピードが発生すれば都市の崩壊で留まらない。フロリダは地図から消えることになるだろう。最悪の場合は、この国も無事では済まないと考えた方がいい」

「まさか、そこまでのことが……キミがいて、どうにもならないのか?」

「無理だ。下層までのモンスターなら抑えられるかもしれないが、それでも被害をゼロに食い止めることは難しい。ましてや深層のモンスターは、いまの俺たちでは食い止めることすら出来ない」


 だから楽園の協力が必要であることをアレックスは強調する。 

 現状それがこの国だけでなく、世界の限界だとアレックスは感じていた。

 政治家たちはダンジョンを資源をもたらす福音か何かだと勘違いしているが、あれはそんなものではない。ダンジョンとは〝悪意〟だ。世界を呑み込み、崩壊させるほどの脅威であるとアレックスは考えていた。

 Sランク探索者としての〝勘〟がそう告げているのだ。

 だからギルドの理事となった今もダンジョンに潜り続けている。最前線でダンジョンの攻略を進めるために――


「もう一度言う。これは世界を揺るがす危機だ。その〝前哨戦〟に過ぎない」


 こうして大統領は決断を迫られることになる。

 それから一週間後、フロリダ州全域に避難命令がだされることになるのであった。



  ◆



 アメリカの決断が世界を動かした。スタンピードの発生に懐疑的だった国もアメリカが動いたことで、ようやく事態の深刻さに気付いたのだ。

 それでも疑問を呈する者はいるが、問題が起きてからでは遅い。

 少なくとも備えをする必要があると判断した各国はダンジョンのある都市から人々を避難させる対応を取り、国内の探索者たちに非常招集命令をだす騒ぎへと発展していた。

 これは〈探索許可証ギルドライセンス〉を持つ者に課されている義務で、国を揺るがすような問題が起きた時に発令される。本来は国家間の戦争を憂慮したものだが、相手がモンスターであっても国の危機に変わりはない。いや、むしろ相手がモンスターであるからこそ、生存をかけた戦いになることが予想された。

 日本の鳴神市でも避難命令が発令され、軍人や探索者以外の一般人は街から退去することになった。東京や周辺の都市でも一時的に田舎の方へ疎開する動きが起き、交通期間は連日混雑しているような状況だ。


「俺の戦った相手が〈楽園の主〉だったとはな。そりゃ、かなわないはずだ」


 東大寺仁は納得した様子で頷きながら、月宮冬也の話を聞いていた。

 先日、官邸で起きた騒動。その一部始終を現場に居合わせた冬也から聞いたためだ。

 一般人には楽園の存在に懐疑的な人たちも多いが、高ランクの探索者ともなると楽園の実在を疑う者は少ない。確たる証拠がある訳ではないが、アメリカに本社を構える〈トワイライト〉が楽園と関係があることは暗黙の了解としてあるし、魔導技師たちの間で有名な〈黄昏の錬金術師〉が楽園の関係者だという噂は以前からあったためだ。


「僕は〈楽園の主〉が〈黄昏の錬金術師〉なのではないかと考えている」

「ああ、ありえる話だな。あんな〝化け物〟が何人もいるとは思えねえしな」


 そのため、冬也は〈楽園の主〉の正体が〈黄昏の錬金術師〉であると考えていた。

 そんな冬也の考えに仁も納得した様子で同意する。

 実際に〈楽園の主〉と会ったことのある二人だからこそ、行き着いた答えだ。


「キミが逃がした男たちだが逮捕されたそうだ。支援庁の子飼いで、かなり好き放題やっていたみたいだ」

「……そう繋がる訳か。ってことは、俺は〈楽園の主〉の邪魔をしたってことか?」

「恐らくは……命がある幸運に感謝した方がいい」


 知らずに〈楽園の主〉に喧嘩を売っていたと知って、仁は顔を青ざめする。

 最悪、殺されても文句を言えないことをしたのだと理解させられたからだ。

 ギルドと探索支援庁のことは、既に探索者の間でも話題となっていた。

 ギルド長や数人の職員が逮捕され、支援庁にも捜査のメスが入ることになった。テレビやネットでもその話題ばかりで、一時はギルドが閉鎖される騒ぎにまでなっていたからだ。 


「なら、尚のこと気合いを入れて作戦に臨む必要があるな」


 楽園が予想したスタンピードの発生まで、残り二週間を切っていた。

 仁や冬也もギルドの立てた作戦に参加することが決まっている。

 ギルドから招集命令がでたと言うこともあるが、自分たちで考えて決めたことだ。

 探索者としての義務。高ランクの探索者としての責任。

 そして、楽園と敵対した自分たちが生かされた意味を考えた上で――


「モンスターの勝手にはさせない。ここは僕たちの街だ」

「ああ、暴れてやろうぜ。〈楽園の主〉の目に留まるくらい盛大にな!」


 自らの信念と意地を通すため、二人はそれぞれの決意を語るのだった。



  ◆



 ダンジョンの深層に〝蠢く影それ〟はいた。

 人間ともホムンクルスとも異なる人のカタチ・・・・をした異形。

 まるで何かを探すように流離い向かう先には、下層へと続くゲートがあった。


「帰ラなイと……皆ヲ守ラナいト……」


 ゆっくりとした足取りで、何かに導かれるように異形はゲートを目指す。

 茜色に染まる深層の空の下、異形の胸元には――


「僕ハ……〈勇者〉ダカら……」


 金色・・の〈探索許可証ギルドライセンス〉が鈍い輝きを放っていた。

 

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