第19話 楽園の主

 日本の政治を司る中心、永田町。

 国会議事堂や議員会館など国の重要施設が建ち並ぶ一角、閣僚たちが集まって議論を交わす首相官邸の閣議室で今日は緊急の会議が開かれていた。議題は勿論、今朝からテレビで話題となっているギルドと探索庁の件についてだ。

 政治家たちにとっても今回の出来事は、まさに急転直下の出来事。昨日までギルドの要望にどう対処べきかと頭を悩ませていただけに、いまの流れは政府にとって都合の良い状況となっていた。

 ここで上手く立ち回ることができればギルドの要望をはね除けるだけでなく、腐敗の温床となっている探索支援庁の力を大きく削ぐことも不可能ではない。ただ問題がない訳ではなく、ギルドと支援庁なしで探索者の管理と適切なダンジョン運営が可能かと言えば、現状それが可能な組織は日本にはない。二つの組織が余りに絶大な権力を誇示していたため、ノウハウを持つ企業や組織が他にないためだ。

 この際、支援庁を解体して徹底的に膿をだすべきだとする意見もでるが、現状ではギルドに引き続きダンジョンの運営を担ってもらうしかない。それが分かっているだけに、どこを落とし所とするかで会議は難航していた。


「首相、た、大変です!」


 一旦、休憩を挟もうとしたところで政務官の一人が閣議室の扉を勢いよく開け放ち、慌てた様子で駆け込んでくる。ただならぬ様子に総理を始めとした閣僚たちに緊張が走る。

 その直後だった。


『――ッ!?』


 時が凍り付くかのような威圧感プレッシャー

 声を発するどころか、指先一つ動かせないほどの魔力の重圧が閣僚たちに襲い掛かる。

 閣議室だけではない。その圧倒的とまで呼べる力は官邸全域に及んでいた。

 コツ、コツ、と静まり返った官邸に足音だけが響く。

 一瞬が永遠にも感じられる時間の中、開け放たれた扉から〝彼女それ〟は現れた。


「あなたが〝この国〟のトップですね?」


 澄み渡るような凛とした声が、閣議室に響く。

 息を呑むような美貌に、陽光に煌めく長い銀白色の髪。

 深く吸い込まれそうになる黄金の瞳が、この国のトップ――内閣総理大臣へと向けられる。化け物――その場にいる誰しもが〝死〟を予感するほどの存在が彼等の前にいた。

 身体が、心が、ありとあらゆる五感が理解してしまう。

 例え、この状況で誰が駆けつけようと、目の前の存在には無力であると――

 支援庁が差し向けた刺客・・である可能性を閣僚たちは疑うが、


「ご安心を――私のことは〝楽園〟の関係者と言えば、お分かり頂けるでしょうか?」


 まるで心を読んでいるかのように黄金の瞳を持つ女性は答える。

 楽園――その言葉を耳にして、総理を始めとした数人の政治家たちは目の前にいるのが何者なのか、その正体を察する。


「自己紹介がまだでしたね。〈楽園の主〉より〈楽園〉の〝管理〟を任されているユミル・・・と申します。今日は皆様に〈楽園〉より提案があって参りました。少々お時間を頂けると幸いです」


 月の魔女――嘗て、ホワイトハウスに現れた楽園の使い。

 どうして、ここに月の魔女がと考えたところで――

 ふと、総理の脳裏にギルドと支援庁の件が浮かぶ。


(まさか、彼等が……)


 タイミングの良すぎる魔女の来訪。状況から考えて、偶然で片付けるには余りに出来すぎている。一つだけ理解できるのは、ギルドと支援庁は知ってか知らずか〝虎の尾〟を踏んでいたという事実だけだ。


「このままでは会話が成立しませんね。この時代の人間が脆弱・・であることを失念していました」


 そう言って魔力を抑え、ユミルは官邸を覆っていた力を緩める。

 しかし、身体は楽になっても閣僚たちの心は既に折れかけていた。

 これ以上、続けずとも誰一人として目の前の魔女に逆らえる者はいない。

 それが分かっているから、力を緩めたのだと総理は理解する。


(せめて、私だけでも強く意志を持たなければ……)


 政治の世界において〝不可侵の聖域アンタッチャブル〟とさえ呼ばれる楽園の存在。

 アメリカでさえ強くはでられない相手に、いまの日本が太刀打ちできるはずがない。それでも交渉はしなくてはならない。どうにか交渉の糸口を見つけられないかと、総理が考えを巡らせていた、その時だった。


「これは貴様の仕業か――」


 眼鏡を掛けたインテリ風の白いスーツの男が廊下を駆け、閣議室に飛び込んできたのは――

 一瞬にして部屋の温度が氷点下にまで下がり、全長二メートルほどの氷柱を出現させると、それを男は迷いなくユミルに向かって解き放つ。しかし、


「無作法な男ですね」


 ただユミルが睨み付けただけで、男の放った氷柱は最初から存在しなかったかのように消滅する。

 そして、ユミルと目が合ったかと思った次の瞬間――


「――ッ!?」


 男は距離を取るように後ろに飛び退いていた。

 額からこぼれ落ちる汗。呼吸が乱れ、息苦しさが胸を締め付ける。


(なんなんだ! この化け物は――)


 彼がここにいるのはギルドの件で探索者を代表して話が聞きたいと、政府の高官に声を掛けられたのが理由だった。

 男の名は月宮つきみや冬也とうや。〝夜〟を司り、冷気を操る氷結系最強のユニークスキル〈月夜見ツクヨミ〉に覚醒した日本を代表するAランク探索者だ。

 白いスーツにインテリ風の眼鏡を掛けてはいるがこれでも大学生で、スキルの能力が対照的なことや歳が近いこともあって何かと朝陽と比較され、世間から注目を浴びている若手最強の探索者であった。

 それだけに自身のスキルや探索者としての実力に、大きな自信を持っていたのだ。

 だと言うのに、いま彼は絶望的なまでの力の差をユミルに感じていた。


(まさか、東大寺が言っていた……)


 ギルドの会議室で聞いた〝謎の男〟の話が冬也の頭を過る。

 しかし、東大寺から聞いていた外見と違う。黒ずくめの人物は男だと言う話だった。目の前の女は黒い外套を纏っていないし、こんなにも容姿の目立つ人物を見間違えるとは思えない。

 なら、別人と考えるのが自然だ。

 いや、いまはそんなことを考えている場合ではないとかぶりを振る。


「人間にしては、そこそこの使い手のようですね。ですが――」


 死を錯覚するほどの魔力が、ユミルの右手に集まっていくのを冬也は感じ取る。

 どんな攻撃かは分からないがやらせる訳には行かないと、床を蹴る冬也。

 力の差は明らか。その上、彼女の背後には総理や閣僚たちがいる。

 規模の大きい技は使えないと判断した冬也は、右手に〝氷の曲刀〟を出現させる。


(まずは右腕を斬り落とす!)


 間合いを詰め、攻撃を放たれる前にとユミルの右腕を狙って曲刀を構える冬也。

 ピクリとも動かないユミルを不審に思いながらも一気に曲刀を振り抜く。

 しかし、


「な――」


 ユミルの右腕に触れた瞬間、氷で出来た曲刀の方が砕け散る。

 ありえないと言った表情で呆然とする冬也。〈三日月〉と名付けた氷の曲刀は、冬也の技の中で奥の手と呼べるものだ。鋼鉄さえも斬り裂く鋭さを持ち、傷を負わせた箇所から相手を徐々に凍結させるという強力な技。下層のモンスターですら屠ってきた技だと言うのに――


「こんなことがあってたまるか!」


 傷を負わせるどころか、まったく通用しないなど信じられるはずがなかった。

 砕けても、砕けても、何度砕けようと氷の曲刀をユミルに向かって、我武者羅に振り続ける冬也。しかし、ユミルの身体には傷一つ負わせることが出来ず、体力と魔力だけが消耗していく。


「もう、気が済みましたか? では、次は私の番・・・ですね」

「ひ――ッ」 


 声にならない悲鳴を上げ、恐怖で顔を引き攣りながら後退る冬也に対して、ユミルは右手をかざす。

 逃げ場などない。こんな化け物に挑むべきじゃなかった。

 後悔をしても時は既に遅く、死が冬也の頭を過った、その時だった。

 大きな音と共に壁をぶち破り、何かがユミルと冬也の間に割って入ったのは――


「ユミ姉!」

「レミル……?」


 予想もしなかった闖入者に、冬也だけでなくユミルまでもが呆気に取られる。

 しかし、それだけではなかった。

 再び、時が止まるかのような静寂が場を支配する。

 土煙が晴れると、そこには漆黒の外套に身を包んだ一人の男が立っていた。

 慌てて片膝を突き、頭を垂れるユミルを見て、その場にいる誰もが理解する。

 月の魔女が膝をつく相手など、この世にたった一人・・・・・しか存在しないからだ。


月の楽園エリシオンの主……」


 静寂の中に総理の声が響き、息を呑むような音が続く。

 ずっと噂の域をでず、表舞台に姿を見せることのなかった楽園の主。

 そんな男が自分たちの前に姿を現した理由を考えながら、


(これは厳しい交渉になるな……)


 これからはじまるであろう会談が、この国の行く末を決めることになると――

 総理は〈楽園の主〉との交渉に臨む決意を固めるのであった。

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