第5話 ルールの矛盾
「このご恩は絶対に忘れません。一生をかけても絶対にお返します」
霊薬の瓶を両手で大切に握り締めながら、朝陽は何度も何度も感謝を口にする。
既に椎名は立ち去った後だが、何度口にしても足りないと思うほどに朝陽は感謝していた。
謁見の場で口にしたことは、その場限りの嘘ではない。
一生をかけてでも恩に報いる覚悟を朝陽は決めていた。
「良い心掛けです」
そんな朝陽の覚悟を感じ取ってか、満足そうにユミルは頷く。
楽園では珍しくなくとも、地球では滅多に手に入らない貴重な代物だ。過去に一度だけオークションに出品された時は、一本で最新鋭の戦闘機が数機買えるほどの価値がついたほどの代物であった。
そもそも椎名は深層に生えている草があれば幾らでも作れると思っているが、簡単に
そのため、いま霊薬を手に入れようとすれば、ダンジョン内で稀に発見される遺跡から運良く発掘するしか方法はない。過去ダンジョンで見つかった霊薬はたったの二本だけと言う時点で、どれほど稀少なものかは察せられる。
霊薬を手に入れるために探索者になったとはいえ、朝陽も簡単に見つかるとは思っていなかったのだ。一生手に入らない可能性だってある。むしろ、その可能性の方が高いと思っていたところに、命を救われたばかりか無償で譲られれば恩義を感じて心酔するのも無理はなかった。
(マスターを謀るようであれば始末していましたが、これなら問題はなさそうですね)
とはいえ、これはまともな人間の話で、世の中には悪い人間も大勢いる。
霊薬があると分かれば、どんな手を使っても手に入れたいと考える者が現れるだろう。力で敵わないと分かれば嘘を並び立て、騙し、貴重なアイテムを掠め取ろうとする。殺してでも奪い、手に入れようと考える者がいても不思議ではない。人間とは愚かで欲深い生き物だとユミルは知っていた。
だからこそ、でまかせを口にして椎名を裏切るような真似をすれば、ユミルは朝陽を処分するつもりでいた。
「ですが、ここからどうやって帰るつもりですか?」
「あ……」
ユミルの言葉で、自分の置かれている状況を思い出す朝陽。
ダンジョンの深層でベヒモスに追い詰められ、命を落としかけていたところまでは覚えている。そこから運ばれたのだと分かるが、そもそも自分が
「ここは、月のダンジョンの深層です」
「それって……」
月の魔女の噂が朝陽の脳裏に浮かぶ。
信じている者は少ないが、月に魔女の住む国があると言うのは二十年ほど前から噂になっていた。
実際に目にしたことのある者はいないのだから、信じられない者が大半なのは無理もない。朝陽とて夢のある話だとは思っていても、よくある都市伝説の類だとしか思っていなかったのだ。
それが――
「
俄には信じ難い話に朝陽は耳を疑うが、王との謁見を終えた今ではユミルが嘘を言っているとは思えなかった。
彼女たちが〝普通〟でないことは薄々感じ取っていたし、神の如き存在感を放つ王の姿を目にしている。目の前の女性が噂になっている〈月の魔女〉だとしても、まったく違和感が無いと思えたからだ。
しかし、だとすると問題が浮上する。日本に帰る術が思い浮かばないのだ。
(これ以上、迷惑を掛ける訳にも……でも……)
返しきれないほどの恩を受け、これ以上を望むのは間違いだと分かっている。
それでも妹の顔が頭に浮かび、恥を承知で朝陽はユミルに頭を下げる。
「お願いします。勝手なお願いだと言うのは分かっています。それでも――」
――日本に帰して欲しい。
そんな朝陽の懇願に、ユミルはどう答えるべきかと逡巡する。
椎名が霊薬を与えたと言うことは、妹を救いたいという朝陽の願いに応えたと言うことだ。そのためには霊薬だけがあっても意味はない。一度、朝陽を日本へ送り届ける必要があった。
値踏みをするかのように朝陽を観察するユミル。いま朝陽が身に付けているのはレミルが用意した替えの服だが、元から彼女が装備していた武器や防具はユミルの目から見ても質の良いものとは思えなかった。
この際、実力が伴っていないことには目を瞑るにしても、深層を攻略するのにアーティファクトを一つも朝陽が所持していなかったことにユミルは微かな疑問を抱いていた。
もしかしたらと考え、ユミルは自分の考えを確かめるために朝陽に尋ねる。
「その前に一つ質問があります。アーティファクトを一つも所持していなかったようですが、それはどうしてですか?」
「えっと、アーティファクトは国が管理することが決まっているので、基本的に
朝陽の回答にユミルは呆れた表情を見せる。
探索者が一般人よりも高い身体能力を有しているのは、無意識に魔力を纏っているからだ。魔力の質と量を上げることで、肉体は自ずと強化されていく。そのためにモンスターを狩る必要があった。
しかしモンスターを倒せば強くなると言っても、格下を幾ら倒したところで魔力を鍛えることは出来ない。強くなるためには自分よりも格上のモンスターを狩る必要があり、そのために必要なのがスキルとアーティファクトだ。
どれほど強力なスキルを持っていようと装備が貧弱では、モンスターに殺されるだけだ。強力なスキルを所持していれば、ある程度はごり押しでどうにかなるかもしれないが、下の階層に進むに連れてスキルだけでは通用しなくなっていく。
「仮にアーティファクトを貸し与えたとして、一人でダンジョンの脱出は可能ですか?」
「下層から上なら不可能じゃないと思いますが……ダンジョンからでたところでアーティファクトは没収されると思います」
予想できた回答にユミルの口からは深い溜め息が溢れるのだった。
◆
ユミルから報告を受けて、俺は目を丸くする。
「……バカなのか?」
呆れて言葉もでないというのはこのことだ。
楽園のメイドたちですら装備なしでダンジョンの探索なんて危険な真似はしないと言うのに……。
ちなみに俺は生産系のスキルしか持っていないので、基本的に戦闘に向いていない。装備がなければダンジョン探索なんて絶対に無理と言い切れるほどだ。
アーティファクトと言うのは、ダンジョンで稀に発見される古代遺物のことだ。恐らくは、この楽園やメイドたちの生みの親である錬金術師が生きていた時代の魔導具なのではないかと俺は推察していた。
先史文明の遺産と言ったところだろうか?
だから、なかなか参考になるものが多い。
俺も魔導具製作の参考にさせてもらっているくらいだからな。
「話を聞く限りでは、霊薬も接収される可能性が高いかと思われます」
そんな状況でどうするつもりだったのかと、ユミルはギャルに尋ねたらしい。
すると、霊薬を見つけても国に報告せずに黙って使うつもりだったそうだ。
最悪の場合は探索者の資格剥奪や罪に問われる可能性があると分かっていても、妹を助けたかったのだろう。
見た目はギャルなのに家族想いな良い子じゃないか。いや、見た目は関係ないか。
両親は既に他界していて、いまの俺には肉親と呼べる者はいないが、ユミルやレミル。楽園のメイドたちがいる。
だから妹を助けたいというギャルの気持ちは、俺にも理解できる。
「それって他所の国はどうなんだ?」
「危険なアーティファクトは国の管理下に置かれるようですが、ほとんどの場合はギルドに登録することで所持が認められているそうです。もしもの時はクランが責任を負わされるそうですから、どちらにせよ管理は厳しいようですね」
ダンジョンは危険なことからパーティーでの攻略が推奨されている。しかし、攻略の度に即興のパーティーを組んでいたのでは上手く連携を取ることが出来ない。だから可能な限り決まったメンバーで攻略を進めるため、実力が近い者同士で固定のパーティーを組むことが多いそうだ。
そのパーティーがたくさん集まった寄り合いのようなものが〝クラン〟だ。
大規模な攻略の際にはクランで動くことが多く、装備のメンテナンスや貸し出し、新人の教育からサポートまでクランの仕事は多岐に渡る。ようするに探索者の相互扶助的な役割を担う組織がクランと言う訳だ。
探索者を管理するために国が造ったギルドとは求められている役割が違う。
「日本以外の国は条件付きの容認って感じか。理解できなくはないが……」
「ダンジョンを甘く見ていますね。攻略が進まないはずです」
ユミルも説明しながら呆れている様子が見て取れる。
アーティファクトの中には危険な物もあることは事実だ。それでも、もう少し融通を利かせることは出来なかったのだろうかと考えさせられる。結局は道具である以上どう使うかであって、危険だと言うのなら銃やナイフだって同じことだからな。
しかし、こんな話を聞くとギルドの規程とはいえ、十六歳で探索者の資格を取れるように日本が認めたことが意外に思えてくる。危険だからと魔法のアイテムは国が管理しておきながら、未成年を死と隣り合わせの仕事に従事させることは矛盾を感じるからだ。
それでかえって危険な状況に追い込んでしまっては意味がない。
「その割に深層の攻略を計画するなんて、何を考えてるんだ?」
「私もその点については〝裏〟があるのではないかと考えています」
この件の裏には、陰謀めいた何かがあるとユミルは考えているようだ。
その可能性は捨てきれないが、俺の知るこの手の失敗は大体が見通しの甘さが原因であることが多い。現場をよく知らない人間が計画を立てて、結果ありきで話を進めようとするから失敗を招くんだよな。
待てよ? そう考えると、さっきの話もおかしくないのか?
日本は昔から国際協調を重視する国だ。右に倣えとばかりに後を追うように欧米の政策に足並みを揃えてきた。そう考えると、探索者の年齢資格を十六歳に設定したのも理解できなくない。
アーティファクトやクランの件もギルドが設けたルールの範囲で規制を試みた結果なのだとすれば、この矛盾した状況にも納得が行く。仮にそうなら悪い意味で日本らしさがでた結果と言えるな……。
なら、もしかするとギャルのパーティーが壊滅した件も――
「他国からの干渉と言う線も捨てきれないか」
「――なるほど、その線はありますね」
日本は昔から外圧に弱い国だからな。
ユミルは真剣に考え込んでいる様子だが、そんなに難しい話じゃないと思うぞ?
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