第1話 月の楽園

 月のダンジョンには『月の楽園エリシオン』と呼ばれる国がある。

 その名が示す通り楽園のような場所で、学校も試験もなければ働く必要だってない。

 すべて楽園のメイドたちがやってくれるからだ。

 とはいえ、ダンジョンの中で生活していると聞くと、薄暗い穴の中で暮らしているイメージを抱く人もいるだろう。当然だと思う。俺だって何も知らずにこんな話を聞けば、同じことを考えるはずだ。

 しかし、迷路のような洞窟が続く下層までと違い、ダンジョンの深層には〝空〟がある。どうなっているのか分からないが、ちゃんと空があって昼夜が存在するのだ。

 夜には一面の星空だって観賞することが出来る。自然豊かなリゾート地で優雅な一時を過ごすような環境。住めば都という言葉があるが、ダンジョンでの生活は俺にとって、まさに〝楽園パラダイス〟のようであった。


 敢えてデメリットを挙げるとすれば、ここがダンジョンの中と言うことだろう。

 ダンジョンなのだから当然モンスターがいる。しかし魔物除けの魔導具があるので弱いモンスターは近寄って来ないし、ちょっと強いのが現れても楽園のメイドたちが片付けてくれる。それなら何もない月面に街を造るよりも、ここで暮らした方がよくない? と言うのが俺のだした結論こたえだった。


 ダンジョンが地球に出現したのが今から三十二年前。それと時を同じくして月にもダンジョンが出現した。

 地球が月のダンジョンに気付いたのは随分と時間が経ってからだけど、ダンジョンの出現で社会が混乱し、月を見上げる余裕もないほど慌ただしい日々を過ごしていたことを考えると発見が遅れたのも仕方のないことだろう。

 しかし地球が月の異変に気付くよりも前から、月のダンジョンでメイドたちに囲まれながら悠々自適な生活を送る〝日本人〟がいた。

 それが――


「……暇だな」


 俺、暁月あかつき椎名しいなであった。



  ◆



 三十二年前、ダンジョンに取り込まれた人の数は凡そ十万人。無事に生還できた人は二千人ほどで、多くは帰らぬ人となった大災害。その被害者の一人が俺、暁月椎名と言う訳だ。

 なお俺の見た目だが、黒髪の中肉中背。身長は百七十五センチあり身体は鍛えてはいるが、顔は平凡で特にこれと言った特徴はない。敢えて特徴を挙げるとすれば、三十二年前とまったく容姿が変わっていないことくらいだろう。

 確信したのはダンジョンで生活をはじめて十年くらい経ってからのことだが、ダンジョンの中では〝歳〟を取らないらしい。俺だけがそう言っている訳ではなく、最近になって地球でもそのことに気付いた学者がいるらしく検証が始まっているそうだ。


 ダンジョンが現れてから、もう三十二年だ。

 その頃からダンジョンに潜っている人であれば、どれだけ若くとも五十歳前後と言うことになる。なのに見た目と年齢が伴っていないければ、ダンジョンとの関連に気付く人間も出て来るだろう。

 高ランクの探索者であるほど、ダンジョンに潜っている時間は長くなる。仮に半分の時間をダンジョンで過ごしているのだとすれば、三十年で十五歳しか歳を食わない計算になる。この考察が正しければ、俺はダンジョンにずっと引き籠もっていたので見た目が変わらなくてもおかしな話ではなかった。

 とはいえ、それが分かったところでダンジョン内で生活するのなんて普通は無理だ。楽園の存在やメイドたちがいなければ、俺だってダンジョンで生きていくことは難しかっただろう。

 不老不死は人類が追い求めてきた夢の一つではあるが、現実は甘いものではないと思い知らされる。楽園のような都市をダンジョンの中に造ることが出来れば可能性はあるだろうが、それも現実的ではないと俺は考えていた。

 実際、俺もこの都市を一から築き上げた訳ではない。

 月の楽園エリシオンと呼ばれる城壁都市は、元からダンジョンの中に存在したのだ。


「お父様、何してるのですか?」

「レギルが持ってきた魔法工学のレポートに目を通してる」


 余りに暇すぎてレギル――楽園のメイドが置いて行った魔導工学のレポートに目を通していた。

 いま地球ではダンジョンの素材を使った研究が盛んらしく、大学でも魔導具の製作を学べる学科が人気らしい。探索者を育成する学校も出来ているという話だし、人類の適応力には感心させられる。

 しかし、


「酷いな。これは……」


 何かのヒントになるかと思って目を通していたが……酷い。余りに酷すぎる。

 ある魔導具の製作について書かれたレポートなのだが、基礎から学び直した方が良いレベルで方法を間違えていて、加工の手順も効率が悪いので素材を無駄にしてしまっている。恐らくは学生の書いたものなのだろう。

 レギルには最新の論文を持ってきてくれと頼んだのだが、学生のレポートが資料に紛れてしまったのだと推察する。

 仕方ない。ダメなところは添削して送り返してやるか。

 後進を導くのも先達の務めだ。

 あとでレギルに渡しておけば、レポートを書いた学生に届けてくれるだろう。


「お父様は何か作らないのですか?」


 先程から俺の隣でかまって欲しそうにしている少女はレミル。

 均整の取れた整った顔立ちに、肩に掛かるかどうかと言った青みがかった銀髪。

 黒と白を基調とした丈の短いメイド服を着ているが、彼女はメイドではない。

 俺の〝娘〟だ。


「いまはないかな。アイデアを求めて充電中だ」


 三十年以上もの間、楽園に引き籠もって何をしていたかと言うと、ほとんどの時間を魔導具の研究や開発に費やしていた。ダンジョンに取り込まれた時に偶然モンスターを倒してスキルに目覚めたのだが、それが〝錬金術〟に関連した生産系のスキルだったからだ。

 自分がゲームのような能力を得たことに興奮し、昔から物作りが好きだった俺は時間も忘れて錬金術の研究に没頭していった。


 あの頃は若かったのだと思う。


 必要な素材はメイドたちが用意してくれるし、スキルを使えば使うほど出来ることが増えて行くことから成長を実感できて、毎日が楽しくして仕方がなかったのだ。

 最初は初級の回復薬しか作れなかったのが段々と作れる物が増えて行って、魔導具の開発を始めた頃には完全に深みにはまっていた。

 時間はたくさんあったし、本当にいろいろと作った。百や千ではきかない種類の魔法薬や魔導具を製作し、二十年でスキルが成長しなくなってしまった。

 スキルの成長が感じられなくなってからも研究は続け、思いついた物を片っ端から製作していたのだが、考え得る限りの物は作りきってしまい――レミルが完成した・・・・・・・・のを最後に燃え尽きてしまったのだ。

 あの頃ほどの情熱は今の俺にはない。

 また何かの切っ掛けで再燃する可能性はあるが、いまはそんな気にはなれなかった。

 だから毎日をのんびりと過ごしていると言う訳だ。

 とはいえ、いままで忙しくしていた反動なのか、暇を持て余していた。

 魔導具の製作以外にこれといった趣味もないしな。

 結局、レギルが持ってきた魔導具の資料に目を通しているくらいだ。

 

「なら、それが終わったらレミルと遊ぶのです」

「別にいいけど……何する気だ?」


 さっきも言ったが、レミルは俺の娘だ。

 正確には、俺がこれまでに学んだ知識と技術の粋を集めて生みだした〝ホムンクルス〟であった。

 俺がレミルのことを娘と呼び、レミルが『お父様』と呼ぶのはそのためだ。

 実は、楽園で働くメイドたちも全員がホムンクルスだ。

 その数は凡そ千人。見た目は人間の女性そのものだが、錬金術によって命を与えられた人工生命体だ。高い魔力と強靱な肉体を持ち、深層のモンスターを狩れるほどに強い。その上、学習能力が高く、環境への適応力に優れている。いまでは現代社会に馴染んでメイドの仕事に留まらず、ありとあらゆることのエキスパートへと成長していた。

 さっきから名前のでているレギルなんて、アメリカで会社経営をしているくらいだ。

 誤解のないように言っておくと、俺が指示した訳ではない。

 引き籠もって研究に没頭していたら、いつの間にかそうなっていたのだ。


「前にレギ姉たちと一緒に遊んだ〝ゲーム〟を、またやりたいのです!」

「二人でやっても面白くないだろう? あのゲーム、四人用だし」

「なら、暇そうなのを二人捕まえてくるです!」

「いや、暇そうって……」


 そう言って走り去るレミルの背中を見送りながら、俺は溜め息を吐く。

 この後の展開が口にせずとも予想できてしまうからだ。

 ちなみにレミルの言うゲームとは、サイコロを使って遊ぶボードゲームだ。資産を増やしながらゴールを目指すゲームで、子供でも遊びやすい工夫がされていて家族で楽しめる人気のボードゲームだった。

 俺も子供の頃に家族と遊んだ記憶がある。

 しかし、楽園で働くホムンクルスたちは基本的に忙しい。

 俺が命令すればゲームに付き合ってはくれるだろうが、無理に誘おうとすれば――


「レミル、そこで何をしているのですか?」

「ま、待って! ユミ姉! これは別にサボってる訳じゃないから!」

「問答無用です」


 説明するまでもない悲劇を招くのであった。

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