花火と嘘

1

 堤防ていぼうに打ちくだかれた波が飛沫しぶきを上げて銀色の星屑ほしくずとなり、冴えない夜空へ消えていく。海の声を聞きながら、私はブランコに乗っていた。キーキーと擦れる金属の音が心地よくて、初めてとは思えないほどお尻によく馴染む。


「んご、先客がいるンゴ」


 小太りで清潔感のない男性が独り言を呟きながらこちらに近づいて来た。私はセーターの裾で目を拭うと、携帯を触るフリをして難を逃れようとした。


「お隣いいか?」


 まさか、話しかけてきた。どうやら、隣のブランコに座るらしい。私は「いいですよ」と軽く会釈をすると、男性は「んごー」と言いながらブランコを勢いよく漕いだ。今すぐ逃げたかったが、私の体はおびえきっていて足が動かなかった。


「なんか悩みごとでもあるんか?」


 タイムリーな1番の悩みはあなただよ。私はそんなことを言う度胸もないので、首を振って返した。


「kwsk話してくれや。高校生が海の見える公園で夜中にブランコ。悩み事がないわけないやろ」と、男性は探偵にでもなったかのような顔をしている。


「じゃあ、私の悩みを当てられたらお話しぐらいしますよ」と冗談半分で私が言うと、男性はブランコを止めて、空に浮かんだ月を眺めた。


「そのセーターは栄西えいせい高校のものやな。今は9月の上旬だから、中旬あたりにある文化祭の準備で忙しい時期やろう。服から香るシンナーの香りや爪に残ったペンキの跡からアンタは文化祭の実行委員やな。なかなかプロジェクトが上手くいかなくて悩んでんやろ」


「...正解です」


 私は思わず、そう答えてしまった。まとのど真ん中を突くように、この人の発言が私の心臓に突き刺さった。


「オジサンにも青春の話しを聞かせてくれや」


 不衛生なオジサンはブランコをギコギコと漕ぎながら言った。私はため息を吐き、しぶしぶ学校の話しを始めた。


「私は文化祭のダンスイベントを担当しています。文化祭終了の音楽に合わせて社交ダンスをするのです」


「ええなぁ。ミュージカルみたいや」


「私もイベントの運営が楽しくて、いよいよ本番を迎えるだけなのですが、私のロッカーに脅迫状が届いていたのです」


「ほう、kskst」


「"文化祭のダンスイベントを中止しなければ、お前を殺す"と手紙には書いてありました。だから、イベントを中止するか悩んでいたのです」


「ダンスイベントは誰かに反対されたんか?」


「いいえ。私の学校では文化祭の社交ダンスは毎年恒例のイベントです。だから、生徒も全員がそのダンスを承知しているはずなのです」 


 不衛生な男性はブランコを漕ぐことを止めて、腕を組んで考え事を始めた。知らない人に話すほど、私は追い込まれていたのかもしれない。けれど、今は彼よりも俊太しゅんたに愚痴りたい。最近の私はどうも彼がいないとダメらしいのだ。


2

「今回依頼されていた、天崎あまさき初花ういか様の情報を収集して参りました」


 僕はワイさんが集めてきた資料を机の上に並べた。放課後に1人でブランコに乗る写真。男の人と楽しそうに話している写真。文化祭のイベントを真面目に仕切っている写真。どれも容姿端麗な彼女に似合うキリッとした姿だった。


「ありがとうございます!仕事が速いですね!」


 黒音くろね由良ゆらさんは先日、天崎初花さんに脅迫状を送ったらしい。ワイさんが仕事を引き受けたせいで、共犯として1人の女子高生を追い込んでいるようで僕は胸が痛かった。


「黒音さんはどうして、天崎さんを追い込もうとしているのですか?」と僕が尋ねると、彼女はムスッと顔をしかめながら応えた。


「初花ちゃんには幼馴染の山根やまね俊太という男がいます。私は文化祭の夜にそいつと踊る初花ちゃんを見たくないだけです」


 黒音さんは自分の正しさを主張するように言った。この子は一歩間違えば人を殺しかねないと思った。すると、ワイさんが白い湯気の立つマグカップを持って客間にやってきた。ワイさんは最近、ココアにハマっている。


「イッチも強迫なんて面倒臭いことよくするんごね。ワイならもっと別の方法をとるんご」


 彼女は何かを思いついたのか、ワイさんの言葉を聞くと、空から宝箱が降りて来たような顔をして、瞳をキラキラと輝かせて笑った。ワイさんに悪気はないのだろう。けれど、若い魔女にそれは通じない。彼女は出したお茶も飲まずにそのまま事務所を颯爽と出て行ってしまった。この事件をきっかけに事務所が潰れないことを僕はただ願っていた。


3

 文化祭当日の昼に放課後の教室に来てくれと由良に呼び出された。私は社交ダンスのイベントがあったため、行けたら行くと曖昧あいまいな返事をした。実行委員の仕事が重なっていて、余裕がないのだ。それに、社交ダンスの時間は俊太と過ごしたい。脅迫状の通りに誰かが私に危害を加えないように、彼が守ってくれるそうだ。心強い。だから、由良には申し訳ないが、今からの時間は俊太と過ごすことになる。それに、あわよくば一緒にダンスを踊ってほしい。この文化祭の風習で「今夜、一緒に踊りませんか」という言葉は「これから先を共に進みたい」という告白の意味になる。ロマンチックに聞こえて私は好きだった。だから、今年もこのイベントを成功させなければいけない。私は花火係に合図を出して、打ち上げと同時に音楽を流した。社交ダンスが始まったのだ。グラウンドに目を配ると、生徒達が楽しそうに手を取り合って踊っている。この景色を見るために私は頑張ってきたのだ。溜まっていた疲れが目から溢れていくようで、青春というボンヤリとした言葉の輪郭をやっと見つけたようだった。

「暇なら今夜、俺と踊ってくれませんか?」と横から俊太の声がした。私は振り向き、小さく頷いた。そして、彼の手を握られたまま、放送室を後にして校舎の方へと向かった。運命の人はこの人なのかもしれない。


4

 文化祭の余熱を10月の夜風が北へとさらっていく。私は誰もいない教室で彼女の到着を待っていた。もうすぐに2度目の秋が終わる。私の恋に今日ここで終止符を打つのだ。そのため、彼女を呼び出した。初花は来てくれるだろうか。手に持った教室の鍵は私の手汗でグショグショだった。初花がここに来たら、彼女を監禁するのだ。泣いたって喚いたって構わない。彼女を汚させないためだ。私は秒針を眺めながら、爪を噛んでいた。緊張から体の節々が冷たくなっていくのを感じる。初花のことが好きだから。私は正しいことをしているのだ。初花とあの幼馴染に踊らさせてしまったら、私の初花が汚れてしまうのだ。だから、私は初花のためを思っているのだ。すーっ、ふーっと深呼吸をして、荒くなってきた息を落ち着かせる。すると、ドカンッと腹をえぐるような鈍い音が夜空に響いた。それと同時に窓の外がべに色に輝く。花火が上がったのだ。私は椅子に座って、窓にもたれかかった。ガラス越しに見る花火はどこか未完成で、あっという間に消えていった。私は小さくため息を吐いた。そして、花火に合わせて流されたクラシックの音色ねいろが教室のスピーカーから聞こえてくる。社交ダンスが始まったのだ。つまり、彼女はここにこなかった。私から何かを察したのだろう。あふれてきた涙がまだ私を正常な人間だと証明してくれているようで、どこか虚しかった。私のような少数派の人間は誰と恋をすればいいのだろうか。マイノリティー側に生きる私を誰が見つけてくれるのだろうか。何度目の失恋だろう。私は窓の外を眺めた。校舎裏で初花が幼馴染の男とその友人たちに囲まれて、無理やりキスをさせられている。


「ほら、やっぱりじゃん」


 私の小さな声は壮大なクラシックの音楽にかき消された。あの子を守りたくて必死になっただけなのにな。


 神様なんていない。いても私達の味方じゃない。だからなんだと言うこともないが、ただ今はこの誰も救われない世界で、必死に生きるしかないのだ。悔しさで立ち上がる気にもなれなかった。


「1人か?」


「キモブタさん...」


 例の探偵がポップコーンを食べながら教室に入って来た。クチャクチャと音を立てながら、指についたキャラメルソースを舐めている。


「1人で悪いですか」


「そうか。元気そうやな。暇そうやし、ワイとダンスせんか?」


「何でそうなるんですか。...私に着いてこれますか?」


「ダンスは得意や」


 今日は散々な日だった。でも、キモブタさんと踊る下手くそなダンスはここ最近で1番楽しくて、久しぶりに笑った気がした。

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