第106話 決戦前……?

 ゼロス王国で起こった内乱と戦乱。泥沼化した戦い。

 それにより、大国であるはずのシングー帝国にもわずかな揺れを生じさせている。

 その一方で、アーレングス王国東側の国境であるアームストロング要塞でもまた、小さな騒ぎが起ころうとしていた。


「いよいよ、この日がやってきたか……シングー帝国への外征。長年の雪辱を晴らす時が来たのだな……!」


 アームストロング要塞。内部にある一室にて、一人の男が興奮を隠せぬ口調で言う。

 落ち着かない様子で槍の手入れをしながら、何度も部屋の置時計を確認しているのは、アームストロング要塞の責任者であるネイバー・ウルベルス辺境伯だった。

 半月ほど前、ウルベルス辺境伯、および周りにいる辺境貴族らに王命が下った。

 それは出せる全ての兵士を動員させ、アームストロング要塞に結集。隣国であるシングー帝国に攻め込む用意をせよとの命令である。

 アームストロング要塞はシングー帝国との国境として、彼の国の侵略を幾度も受けていた。

 英雄と呼ばれたウルベルス辺境伯の手腕もあって、国境を抜かせることはなかったものの……それでも、多くの戦友を戦いの中で失っている。


 ウルベルス辺境伯もまた生粋の武人。

 戦場で起こったことで敵兵に復讐心を抱くのは間違いだと悟っているが、落命した兵士の中には、辺境伯の息子夫婦もいる。

 孫娘であるリューシャから両親を奪ったシングー帝国に対して、やはり忸怩たる思いを抱いていた。


(だが……いよいよ、決着をつける時が来た。じきにヴァン陛下が来られるだろう。そうなれば、今度は我が国が攻め込む番だ……!)


 緊張と興奮から、ウルベルス辺境伯の口元に歪な笑みが浮かぶ。

 いずれ、主君であるヴァン・アーレングスが要塞に到着する。そして……外征だ。

 敵国側の国境要塞を撃破して、そのまま帝都まで攻め込んでくれよう。

 もちろん、そう簡単にいかないことはわかっている。

 帝国だって馬鹿ではない。ゼロス王国での混乱に乗じてアーレングス王国が動くことは予想しているだろうし、アームストロング要塞に兵士が集まっていることだって感づいているはず。

 事実、こちらから放った密偵が敵側の要塞に兵士が増員されているのを目撃していた。


(敵は強大……だが、ヴァン陛下さえいれば、必ずや勝利できるはず……!)


 激しい戦いになるだろう。

 多くの兵士が命を落とすことになるはず。

 だが……長年の宿敵であるシングー帝国を打倒し、死んでいった兵士達の無念を晴らすことができるのであれば、悪い賭けではなかった。


「やってやるぞ……絶対に帝国に勝利する……!」


「ウルベルス辺境伯! 王都より伝令、ヴァン国王陛下からの御下命です!」


「来たか……!」


 部下が部屋に飛び込んできた。

 ウルベルス辺境伯が槍を放り出して、部下が持ってきた書状を受け取った。

 折り畳まれた紙を開いて、上から下までくまなく目を通して……唖然とした様子で立ち尽くす。


「な、何だって……?」


「ど、どうかなさいましたか? 辺境伯様?」


 力が抜けたように肩を落としているウルベルス辺境伯に、部下が驚いて訊ねてきた。

 ウルベルス辺境伯はノロノロと顔を上げて、ポツリとつぶやく。


「…………だ」


「はい?」


「解散だ……」


「…………?」


 意味がわからず、部下が首を傾げる。

 そんな若い部下に、ウルベルス辺境伯もまたわけがわからないといった表情で言葉を続ける。


「集まった兵士を解散させて良い。要塞を防衛する兵士を除いて、それぞれの領地に戻すように……とのことだ」


「…………」


 シングー帝国との決戦だと思っていたのに、突然の解散命令。

 燃えていたやる気の炎に冷や水をかけられて、どうして良いかわからなくなる。

 ウルベルス辺境伯も部下も、呆然として思考停止。時計の針だけがカチコチと時間を刻んでいたのであった。






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