第100話 落陽の王都

「酷い有様ですね……まるで、地獄のようではありませんか」


 変わり果てた故郷に困ったように溜息を吐いたのは、ゼロス王国王女……エルダーナ・ゼロスである。

 エルダーナはゼロス王国の王都にある大通りを歩いていた。

 町娘の格好をしてメガネをかけたエルダーナは別人のようであり、よほど親しい人間でもなければ、彼女が王女であるとは気がつかないだろう。


 大通りは閑散としており、ほとんど人の姿はない。

 本来であれば、大勢の人々が行きかっており、主婦が買い物や井戸端会議に興じているはずなのに。

 シングー帝国によって制圧されたことで、王都に住まう人々は隠れ潜むように建物の中に引っ込んでいた。


(これが滅びゆく国の景色……一つの国の終焉なのですね……)


 心の中で感慨深げに思うエルダーナであったが、実はそれほど悲壮感は持っていない。

 エルダーナは生まれ故郷に少しも愛着を持っていない。

 父親に凌辱されたせいで政略結婚の道具になることもできず、必要のない王女として扱われていた。

 姉以外に自分を愛してくれる者はおらず、第二王子ジークオッドのような一部の男達からは劣情を向けられている。

 自分を必要としない故郷に愛着はなく、エルダーナもまたゼロス王国を必要としていなかったのだ。


(とはいえ……ここまで何の感情も湧かないとは思いませんでした。もしかすると、本当に私の心は壊れているのかもしれませんね)


「おい、女がいるぞ!」


「本当だ、スゲエ良い女じゃねえか!」


 エルダーナが自嘲の笑みを浮かべて大通りを歩いていると、野太い男達から声をかけられる。

 見れば、シングー帝国の鎧を着けた兵士が二人、下卑た笑みを浮かべて立っていた。


「こんな場所を出歩いていたら危ないぜ! 俺達が送って行ってやるよ!」


「そうそう、ベッドの中まで熱烈にエスコートしてやるぜ。ヒャヒャヒャッ!」


 男達の目には明らかな欲望が浮かんでいる。

 エルダーナのことを喰らうべき獲物とみなしており、獣のように舌なめずりまでしていた。


「なるほど……道理で通りに人がいないわけですね」


 侵略者であるシングー帝国の兵士が王都の住民から略奪を働いたり、女性を強姦していたりするのだろう。

 だからこそ、目を付けられないように息を潜めて隠れているのだ。


「何だ、来ないのかあ?」


「逃げるのなら構わないぜ。鬼ごっこは大好きだからな!」


「…………ユラさん」


「殺」


 ブシャリと水が噴き出す音がした。

 真っ赤な血が飛び散って、大通りの地面を汚す。


「え……?」


 二人の兵士がどちらも唖然とした顔をして、自分の首元を抑える。

 そして……自分の首が斬り裂かれ、血が噴き出ていることに気がついた。


「ヒッ、ぎ……」


「あがっ……」


 二人が恐怖の表情を浮かべて、そのまま倒れた。

 おそらく、最後まで自分が何をされたのか気がついていなかっただろう。


「流石ですね。お見事です」


「誉」


 エルダーナの称賛に答えたのは、いつの間にか近くの壁に張り付いているスレンダーな女性である。

『爪の一族』の猫獣人であるユラだった。

 かつてはヴァンを暗殺しようとした彼女であったが、返り討ちにされて抱かれたことをきっかけに、すっかり従順な猫になっている。

 本日はエルダーナと一緒に王都にやってきて、護衛役を務めていた。


「探?」


「はい、もう偵察は十分ですわ。帰りましょうか」


 王都の現状については十分に知ることはできた。もはや、ここに留まる必要はないだろう。


「王都は予想よりも混乱していますね。兵士も少ないですし、その気になれば、いつでも奪還することはできるでしょう」


 エルダーナが当然のように言う。

 王都の様子を見るに、各地で起こった叛乱のせいで守りが手薄になっているようだ。

 王族だけが知っている抜け道もあることだし、王都を奪い返すだけならば問題なく可能だろう。


「ですが……ただ追い返すだけでは芸がありません。モア様の計画通りに行きましょうか」


「了」


「それでは、帰りましょうか。お姉様が心配していますからね」


 エルダーナはユラを連れて、ゼロス王国の王都から引き上げていく。

 取り返すことができる王都をあえて放置して、混乱する生まれ故郷を救うことなく立ち去ったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る