第96話 少年王子の悲哀

 アーレングス王国北方にそびえる国……ゼロス王国は内乱の火中にあった。

 かつて、この国は第一王子ロット・ゼロスという頼もしい後継者に恵まれ、安定した国政を維持していた。

 しかし、すでに亡きアイドラン王国との戦争にロットが大敗。

 後に行われたアーレングス王国との戦争でも再び敗北を喫したことで、ロットは完全に失脚してしまった。


 新たな後継者として名前が挙がったのは、第二王子ジークオッド・ゼロス。そして、第三王子ジェイコブ・ゼロスの二人である。

 ジークオッドは血筋にこそ恵まれているが、欲望に忠実で馬鹿王子と陰で揶揄されている人物。第三王子は智謀や人望こそ優っているものの、血筋では負けており、序列はジークオッドよりも下だった。

 水面下で争っていた両者であったが、ジークオッドが想いを向けていた妹……エルダーナ・ゼロスが行方不明となったことが切っ掛けで戦いが表面化する。


 ぶつかる二つの勢力は、内乱の隙に攻め込んできた東国の雄……シングー帝国まで巻き込んで、三つ巴の戦いとなったのであった。



     〇          〇          〇



 夜の森。

 枝葉に遮られて月明かりすら刺さない暗闇の中を、十二、三歳ほどの少年が走っている。


「ハア、ハア、ハア……」


「ジェインズ殿下、どうかお急ぎください!」


「ハア……ハア……ウウッ、どうしてこんなことになったんだよお……」


 護衛の騎士に急かされて、その少年は涙を流しながら重い足を引きずって走る。


 その少年の名前はジェインズ・ゼロス。ゼロス王国の第五王子である。

 ジェインズは夜の森を走っていた。傍にいるのは護衛の騎士が一人だけ。

 王族という名誉ある生まれをしたジェインズであったが……彼は現在、命を狙われて追われる身だった。

 ジェインズを追ってきているのは、シングー帝国の兵士達だ。


「兄上……何で、死んじゃったんだよお……」


 ジェインズは第三王子であるジェイコブ・ゼロスの実弟だった。

 同じ母親を持ち、兄の背中を見て育っている。

 ジェインズもまた王位継承権を持っているものの、兄を押しのけて玉座に座るつもりはない。

 兄が即位したら、継承権は放棄するつもりだった。


(だけど……そんな兄上が死んでしまった。シングー帝国に殺された……!)


 およそ一年前から始まった、第二王子ジークオッドと第三王子ジェイコブの後継者争い。

 そこにシングー帝国が割り込んできたことにより、戦況は大きく変化した。

 第三勢力の出現を受けて、ジークオッドとジェイコブは表向き和睦して、侵略者に立ち向かうことを誓った。

 しかし、その実態は酷いもの。両者は少しも連携をとることができず、足を引っ張り合うばかりだった。


 シングー帝国は共通の敵ではあったものの、彼らとの戦いが終われば、再び兄弟喧嘩が勃発する。

 そのため、お互い自軍の犠牲を厭い、危険な役目を押し付け合い……結果として、共倒れした。

 シングー帝国の軍勢によってジークオッド、ジェイコブがそれぞれ率いていた軍勢は壊滅。部下をプライドごと投げ捨てたことでジークオッドは生き残って行方知れずとなったが、ジェイコブは城を枕にして討ち死にした。


 ジェイコブの弟であるジェインズは兄に逃がしてもらい、現在、目下逃走中である。


「ハア……ハア……ウウ、もうダメだ。死ぬう……」


「ジェインズ殿下! 最後まであきらめないでください……!」


 泣き言を吐くジェインズを護衛騎士が励ました。

 しかし、全てを失った少年に、慰めの言葉など焼け石に水でしかない。


「お願いだ……もう死なせてくれよ。このまま逃げ回って敵に討たれるくらいなら、自害した方がマシだ。先に行った兄上にも面目が立つ……!」


「殿下……!」


 護衛騎士が表情を歪める。

 必死に守ろうとしている王子が先に諦めてしまったら、いったい、自分達は何のために戦っているというのだ。

 喝を入れるべく怒声を発しようとするが……それよりも先に、すぐ傍にあった木の幹に矢が突き刺さった。


「ヒイッ!」


「クッ……追っ手か……!」


「いたぞ! 逃げた王子がこっちにいるぞ!」


 後方から敵の怒声が聞こえてくる。

 ワラワラと気配が濃くなっていき、敵が集まってきているのがわかった。


「ウワアアアアアアアアアアアアアッ! 死ぬ、いや……やっぱり死にたくないいいいいいいいいいいいいっ!」


「殿下、ウルサイ! 騒がないでください!」


「殺せ! 逃がすな!」


「アアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 いよいよ、ジェインズが恐慌を起こした。

 泣き叫び、護衛騎士の制止を聞かずに手足を振り回して暴れてしまう。


「殺せええええええええええええええっ!」


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 追っ手の凶刃が迫る。

 ジェインズが涙と鼻水を垂れ流しながら、己の死を覚悟する。


「グアッ……!」


「へ……?」


 だが……暗い森に響いた苦悶の声は、ジェインズのものではなかった。

 周囲から生じる戦いの声。追手と何者かとの戦いが生じる。

 次々と追っ手の帝国兵が討ち取られていき、やがて森に静寂が戻った。


「な、何が……いったい……?」


「ああ……ここにいたんだな」


「ヒエッ……」


 すぐ傍に何者かがやってきた。ジェインズの肩がビクリと跳ねる。


「探したぞ。生きているようで何よりだ」


「へ……あ、あなたは……?」


「まさか……生きておられたのか!」


 現れた人物を前にして、ジェインズと護衛騎士が唖然とした顔になる。


「私が生きているのがそんなに不思議か?」


 現れたのはジェインズが見知った人物。

 アーレングス王国との戦争で死んだと聞いている人間……第一王子ロット・ゼロスだった。

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