第89話 タコです

「…………ええ、嘘でしょ?」


 振り返った先で、『海風の一味』の船が巨大なタコによって沈められていく。

 八本の足が船の船体に、マストに絡みつき、バキバキとへし折って海の中に引きずり込んでいく。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!」


「な、何だコイツは!」


「クソ、やられて堪るか!」


 海賊達も抵抗しているものの、身体のサイズというのは技術では埋められない絶対的な差である。

 剣や槍、ナイフなどを突き刺されながら、巨大なタコは少しも怯んだ様子もなく船を襲い続けていた。


「アレは……タコーケン!」


「え、タコーケン?」


 貿易船の船長も背後の異変に気がついて、焦った様子で叫んだ。


「深海にいるという巨大な魔物です。まさか、こんなところで出くわすなんて!」


 ヴァンはまるで知らなかったが……船乗りの間では有名な魔物であるらしい。


「だけど……どうして、そんな怪物がここに……?」


 それがわからない。

 深海にいるはずの魔物がいったい、何に誘われて海面までやってきたというのだろう。


「わかりません……ただ、奴は血の匂いに敏感です。大量の血液を海に撒いたりしたら、あるいは海上まで出てくるかもしれませんけど……」


「大量の血液だと? そんな物はどこにも……?」


 言いかけて、ふとヴァンが言葉を止める。

 海面に視線を下ろすと……そこにはいまだに、ガドナ水軍の船の残骸が波に揺蕩っている。

 もちろん、その中には船に乗っていた人間……即ち、ガドナ水軍に所属していた海賊達の成れの果てもあった。


「あ、しまった」


 つまり……タコーケンとやらが出てきた原因はヴァンだった。

 ヴァンが四隻分の乗組員を海に葬ったことで、彼らの死骸が撒き餌になって、深海の怪物を呼び寄せてしまったのだ。


「いけない……助けなければ!」


 彼らは海賊。どこで死んだとしても自業自得。

 だが……ヴァンが呼び寄せてしまった怪物にやられたとなれば、流石に寝覚めが悪い。

 ヴァンは『海風の一味』を救助するべく、貿易船に戻ってくれるようにお願いした。


「冗談じゃない! 戻れるわけがないだろうが!」


 貿易船の船長が焦って叫びながら、両手を振った。


「アンタには感謝しているが……いくら何でも、あんな怪物との戦いには付き合えないよ。船員の命を危険にはさらせない!」


 船長の言葉が正しい。

 彼には船員の命に対して、責任があるのだ。

 海賊を助けるために危険を冒すなんて、出来るわけがなかった。


「わかった……それじゃあ、仕方がないな」


 ヴァンはしかめっ面になりながらも、船長の判断が正しいことを認めた。

 だが……それは『海風の一味』を見捨てることを意味するわけではない。

 友人を助けることに理由などない。王や海賊という立場は関係ないのだ。


「だったら……俺はこの船を降りることにしよう。そちらも達者で」


「あ、ちょ……!」


 船長が止める間もなく、ヴァンは船から飛び降りた。

 そのまま海面を走っていき……海でできた友を救うために、怪物との戦いに臨んだのである。

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