第42話 悪夢と後悔
『お前のせいだ……この裏切り者め……!』
地獄の底から響いてくるような怨嗟の声。
恨み、憎しみ、妬み、嫉み……あらゆる悪意を内包した低い声が、その女性……メディナ・アイドランの耳朶を震わせる。
『どうして、貴様だけが生き残っているのだ……』
『愛していたのに、私達のことを売ったのね?』
『何で、助けてくれなかったんですか? 王女殿下……!』
「みんな……許してくれ……」
メディナが弱々しく、呻いた。
細い手足を掴んで地の底に引きずり込もうとしてくるのは、メディナがこれまで助けられなかった者達だ。
処刑された父親。暴君と呼ばれた男。
同じく、処刑された母親。贅沢の限りを尽くして国の財政を傾けた悪女。
そして……圧政によって犠牲になった民衆。メディナがもっと早く行動を起こしていれば、救えたはずの人間達。
「許してくれ……許してくれ……!」
メディナは必死になって懇願する。
しかし、手足を掴む力はいっこうに弱くなる様子はなかった。
愛していた。
父のことを。母のことを。
心の底から、愛していた。
彼らが酷い人間であるとわかっていた。
許されない感情だったのかもしれない。
それでも……家族だった。彼らもメディナのことを愛してくれていた。
だから、本気で彼らを排除することはできなかった。
もしもメディナが情を捨てて行動していれば、あるいはもっと早く国を立て直すことができたはずなのに。
暴君の圧政によって虐げられている民衆を救うことができたはずなのに。
メディナにはできなかった。
民衆を選んで家族を排除することも。
苦しんでいる人々から目を逸らして、暴君の仲間になることも。
どちらも選ぶことができず……そして、どちらもメディナの手から零れ落ちていった。
『許してくれ……ごめんなさい、ごめんなさい……』
『許すわけないだろうがあっ!』
「ヒッ……!」
絶叫と共に組みついてきたのは、激しい憎悪に歪んだ顔の持ち主。
処刑された兄……エイリック・アイドランだった。
『どうしてだあ! どうして、お前は生きているうっ!』
「おにい、さま……」
『僕達を殺した男に股を開いて、命乞いをしたのか! 家族の仇の妃になって一人だけ助かるなんて、貴様には人の心がないのか!』
「ッ……!」
兄が首を絞めてくる。
それは窒息させようなどという生温いものではなく、そのまま首の骨をへし折ろうとしているかのようだった。
『死ね……死んでしまえ! 貴様が、貴様に嫉妬なんてしなければ、僕は死なずに済んだんだあ! お前のせいで僕達は死んだんだあ!』
「ア……グッ……」
『死ねえ!』
ギリギリと、ギリギリと首が絞められる。
メディナの瞳から涙が零れ落ち、地面に落ちて……やがて、世界が反転する。
「あ……」
黒が白に。白が黒に。
死者が土に還っていき、メディナの身体が宙に浮きあがる。
純白の光に包まれて、メディナがその先に見たものは……?
○ ○ ○
「ハッ……!」
ベッドに横になっていたメディナが目を見開いた。
「ハアッ、ハアハア……!」
荒い呼吸を繰り返しながら、メディナが身体を起こした。
周りを見回すと……そこにあるのは見知らぬ部屋。
自分の部屋ではない。アイドラン王国の……否、アーレングス王国の王宮ではない。
「そうか……私は……」
「姫様、どうされましたか?」
「アン……」
部屋の扉が開いて、メイド服を着た女性が部屋に入ってきた。
メディナの専属メイドであるアンという少女だった。
「どうされましたか? 体調でも悪いのですか……!?」
「いや、大丈夫だよ。朝から騒がせてしまったね」
心配そうにベッドに駆け寄ってくるアンに、メディナが微笑みかけた。
全身が汗でビッショリと湿っているが……体調が悪いわけではない。
メディナがそっと首に触れるが、そこにはすでに痛みも残っていなかった。
「ちょっと夢見が悪かっただけだよ。心配はいらない」
「やはり、ベッドが悪かったんですね……これだから、辺境の村に泊まるべきではなかったのです!」
「コラコラ、そんなことを言ってはいけない。ここも我らが王国の一部なんだからね」
メディナがいる場所は王宮ではない。
アーレングス王国の南部にある農村に来ていた。
国王であるヴァン・アーレングスの第一妃であるメディナが、こんな辺境にやって来ているのには理由がある。
この土地を治めていた領主が北方のゼロス王国と内通しており、処分されてしまったからだ。
新しい領主が決まるまでの間、支配に空白ができてしまう。
そこで……メディナが一時的に預かることになり、わざわざ赴いてきたのである。
「こんな土地……代官に任せればいいでしょうに。わざわざ、姫様が来るべきではんなかったのです」
「そんなことを言わないでくれ、アン。私はこの国のために全力を尽くしたいんだ」
メディナがわずかに両目を伏せながら、そんなことを言った。
「かつて、私は暴君である父達を諫めることができず、民が虐げられるのを見逃してしまった。その罪滅ぼしをしなくては」
だからこそ、人任せすることなく自ら南の辺境に赴いた。
一つ一つの村を巡って、メディナが知っている限りの農法や治水の知識をフル稼働させ、昨日も町に戻ることなく村の空き家に泊めてもらったのだ。
「さあ、今日も仕事だ! 着替えて食事を摂ったら、村を見て回ろう!」
「姫様……」
「すまないが、汗を拭くための水を持ってきてもらえるか?」
「……畏まりました」
悲しそうな表情をしているメイドに、メディナが精いっぱいの笑顔を浮かべたのであった。
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