愚王子の栄光と終焉 後編

 エイリックの愚行が原因となり、ゼロス王国との雪解けの道は断たれた。

 それは歴史の転換点だった。

 アイドラン王国にとっては終焉に続く。とある兄妹にとっては始まりとなる出来事。


 アイドラン王国とゼロス王国の最後の戦い。

『ロイカルダン平原の戦い』はエイリックにとって、悪夢のような出来事だった。


「逃げろ! 逃げるんだ!」


 まだ戦いが始まったばかりだというのに、エイリックは兵士を置いて戦場から逃げ出した。


「軍は任せた! 僕は王都まで引き返す! 絶対に敵軍を通すんじゃないぞ。ここで囮になって死ね!」


 自分は選ばれた人間だ。

 栄光の下を歩く選ばれた存在。

 そんな自分が死ぬわけにはいかない。こんな場所で倒れて良いわけがない。

 傲慢かつ身勝手な思い込みに突き動かされて、エイリックは自分が原因で勃発した戦争から逃げ出した。

 順当にいけば、総指揮官が逃げ出した時点で戦争は敗北である。


 だが……そうはならなかった。

 一人の英雄の台頭により、アイドラン王国は勝利を飾ることになった。


「この馬鹿者ガアアアアアアアアアアアアアアッ!」


「ヒイッ!?」


「勝てる戦争から逃げ出すとは何事だ! 貴様のせいで、アイドラン王家は笑い物ではないか!」


 今さらのように、アイドラン王がエイリックを叱り飛ばした。

 これまで、エイリックがどんな馬鹿をやっても、怒ることはなかった。

 何故なら……王にとって、息子がどんな悪さをしようが知ったことではなかったから。

 民衆がいくら虐げられようと、下等国と侮っている隣国と戦争になろうと……それは王の逆鱗ではない。

 だが……今回の敗戦はいただけなかった。

 勝てる戦から逃げ出した。王族がいない戦場で自国の軍が勝利を飾った。

 おかげで王家は笑い者。虫けらでしかないはずの民に笑われているというのは、プライドの高い国王にとって許せないことだったのだ。


「まったく……どうして、こんな愚か者が私の息子なのだ。いっそのこと、メディナに王位を譲るか?」


「…………!」


 それは王にとって、単なる愚痴のようなものである。

 古い考えの持ち主である王が長男を差し置いて、娘に王位を譲るなどあり得ないこと。

 だが……エイリックはその言葉が許せなかった。


「これもこれも、全部アイツのせいだ! アイツが勝ちやがったから、こんなことになったんだ!」


 エイリックの怒りの矛先は戦争の立役者であるヴァン・アーレングスへと向かった。


「アイツが抵抗なんてするから悪いんだ! 大人しく死んでいれば何もかも上手くいったんだ!」


 それは純度百パーセントの言いがかりである。

 もしもヴァンがゼロス軍を撃退しなければ、勝利に勢いづいた彼らがアイドラン王国の王都にまで迫ったかもしれない。

 ヴァンは救国の英雄であり、持て囃されることはあっても貶されることなどしてはいなかった。


「盾になって死ねという命令を破ったんだ……処刑だ! 公開処刑にしてやる!」


「お兄様! いい加減にしてくれ!」


 しかし……そこで王女であるメディナが止めに入った。


「ヴァン・アーレングスは国を救った英雄だ! それを罰するようなことをすれば、全ての騎士から信頼を失ってしまう!」


「グッ……だ、だけどアイツのせいで僕は……!」


「それはお兄様が勝手に逃げたからだろう!? 人のせいにするんじゃない!」


「ッ……!」


 妹に怒鳴りつけられ、エイリックは憤怒の形相になった。

 どうして、自分が妹ごときに説教をされなくてはいけないのだ。

 父親が言っていた「メディナに王位を譲る」という言葉もあって、いつになくエイリックは怒り狂う。


「ウルサイ! ウルサイ、ウルサイ! 僕は王太子だ。次期国王だ……僕に指図するんじゃない!」


「お兄様!」


「黙れ! 殺すぞ!」


 喚き散らすエイリックは最終的にヴァンを辺境に左遷することにした。

 それはエイリックがヴァンへの復讐を諦めたのではなく、「北方の辺境に送れば、勝手に死ぬだろう」という家臣の意見を受けてのことである。


「僕に逆らう者は許さない! みんなみんな、不敬罪で処刑してやる!」


 怒り狂うエイリックの姿は子供が癇癪を起しているようだった。

 実際、エイリックという人間は子供がそのまま大きくなったような性格で、王族に生まれていなければ社会から淘汰されていただろう。

 もしも、どこかで自分の失敗を顧みて反省していれば……あるいは、別の結末があったかもしれない。

 しかし、そうはならなかった。

 エイリックは最後の最後まで、決して変わることはなかった。


「殺せー!」


「首を落とせ! 殺せ!」


「娘の仇だ……馬鹿王子を許すな!」


「へ……?」


 その瞬間が訪れた時、エイリックは不思議そうな顔をしていた。

 何が起こっているのかわからない唖然とした表情で処刑台に固定されており、叫ぶ民衆を見下ろしている。


「え? え? 何で、どうして?」


 エイリックにはわからなかった。

 栄光ある人生を歩いているはずの自分に、どうしてこんなことが起こっているのか。

 どうして次期国王である自分が、処刑台に乗せられているのか。

 どうして、足元に国王と王妃の首が転がっているのか。

 どうして…………傍らにいる処刑人が自分に向けて斧を振り上げているのか。


「何で? どうして?」


 恐怖でもなく、憎悪でもなく。

 無邪気な子供のような疑問の表情を浮かべたまま……エイリックは首を斬り落とされた。


 アイドラン王国の落日。

 そして……アーレングス王国の夜明けとなる日の出来事である。

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