第37話 攻めてきませんと妹ちゃんは言った

 ヴァンが単独でゼロス王国の王城に侵入して、隠し通路を使って王女エルダーナを拉致してきた。

 おまけに、その際に居合わせた第二王子ジークオッド・ゼロスを刺している。

 急所は外れていたためにジークオッドは命を落とすことはなかったが……これにより、ゼロス王国との激突は必至。

 両国の全面戦争の幕が開いたのである。


「なんて……そんなことは起こらなかったんですけどね」


 アーレングス王国王城。

 国王の寝室にて、モア・アーレングスがのんびりとした口調で言う。


「こちらの予想通り……ゼロス王国は泣き寝入りしたようですね。まあ、ジークオッド王子はこちらの策略に引っかかっているだけの気もしますけど」


 モアがベッドの上に座りながら、誰にともなく説明する。


「お兄様がジークオッド王子を刺すのに使った剣には、とある刻印が彫られています。それは第三王子であるジェイコブ・ゼロス王子を示す刻印です」


 ヴァンはジークオッドを刺しはしたが、あえて殺さずにいた。

 もちろん、その指示を出したのはモアである。


「ジェイコブ王子の刻印入りの剣は現場に置いてきてあります。そして、お兄様はエルダーナ王女を連れ去る際にあえて目立つ白馬に乗り、ジェイコブ王子が所有している屋敷の傍を経由して逃げてきました。まるでジェイコブ王子がジークオッド王子を殺害しようと企み、さらにエルダーナ王女を攫わせたように見えるでしょう」


 とはいえ……これはあからさまに過ぎている。

 わざわざ刻印入りの剣を暗殺に使用する意味はないし、白昼堂々と白馬に乗って逃げるわけがない。

 明らかに、ジェイコブに罪を被せようとしているのが丸見えだった。


「もちろん、普通は信じないでしょう。とはいえ……ジークオッド王子はジェイコブ王子を政敵として憎んでいるようですから、感情に流されて騙されてくれたら儲けものですね」


 冷静に考えれば、ジェイコブがこんな馬鹿みたいなやり方で暗殺をしようとするわけがない。

 ただ……人は時に誰の目から見ても、愚かなことをするものである。

 今回のことが原因で、ジークオッドがよりジェイコブを憎んでくれたらラッキーな話だった。


「仮に失敗しても良いんですよ。だって、ゼロス王国は絶対にこの国を攻めてはこれませんから……何故ですって? それは先んじて攻め込んできたロット殿下の軍勢が全滅しているからですよ」


 モアがクスクスと笑いながら、愉快そうに説明を続けた。


「ロット殿下が率いていた軍勢は表向き、アーレングス軍によって殲滅されたことになっています。しかし……実際には敗走して祖国に戻ったところを、ジークオッド殿下によって滅ぼされたのです。おそらく……いえ、間違いなく、ジェイコブ王子を始めとした王族・貴族はそのことに感づいているでしょう。自国の内部で起こったことですから、ある程度の身分がある人間ならば気づいて当然です」


「…………」


「だから……彼らは思うでしょう。もしもアーレングス王国に攻め込めば、同じように同士討ちで背中を刺されるかもしれないと」


 悪意を持った人間は、他人も同じように悪意を抱いていると思い込むものである。

 第二王子ジークオッドは自らが騙し討ちで自国民を殲滅したがゆえに、同じ目に自分が遭うかもしれないと警戒する。

 第三王子ジェイコブ、他の王子達もロットがやられたように、ジークオッドに攻撃されると警戒する。


 だから、誰もアーレングス王国に攻めてこられない。

 今のゼロス王国にとって、最大の敵は自分の身内なのだ。

 敵である兄弟に背中を見せてまで、他国に外征する余裕はなかった。


「百歩譲って、アーレングス王国がやったことが明らかであるならば話は別でしょう。しかし、お兄様は何一つ証拠を残してきていない。現場に残っているのは、デタラメではあってもジェイコブ王子がやったという証拠のみ。アーレングス王国がエルダーナ王女を攫ったことに感づいた人間がいたとしても、表立って攻め込むことはできないのです」


「…………」


「だから、そんなに落ち込まないでくださいな……愛しい愛しいお兄様」


「…………妹ちゃん」


 国王の寝室、ベッドの上に座ったモアの膝にはヴァンが縋りついており、スンスンと泣いている最中だった。

 自分のせいでゼロス王国と全面戦争になるかもしれないと不安がって、いつものように妹に泣きついていたのである。


「仮に私の読みが外れて戦争になったとしても、指示をしたのは私です。お兄様には何も責任はないのでご心配なく」


「そんな……妹ちゃんのせいにはできないよお……」


「私が悪くないというのであれば、指示に従ったお兄様も悪くはない……それではいけませんか?」


「……それでいい」


 ヴァンがようやく泣き止んで、モアの腰のあたりをギュッと抱きしめた。


「ありがとう、妹ちゃん……元気出たよ」


「はい、それは良かったです……それよりも、お兄様。これからのことはわかっていますね」


「えっと……本当にやるのかな、妹ちゃん」


「もちろんですわ。お兄様」


 怖々と見上げてくるヴァンに、モアが慈母のような優しい笑顔で告げる。


「せっかく、他国の王族を二人も手に入れたのです……しっかりと抱いて、子供の一人でも仕込んじゃってくださいね?」

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