第36話 お姫様を連れていくよ


「痛いいいいいいいいいいいいいいいいっ!」


 不意打ちで肩を刺されて、ジークオッドがみっともなく床を転げまわる。


「痛いよおっ、こ、この無礼者めえ! 誰かコイツをぶっ殺せえ!」


 泣き叫ぶジークオッドであったが、聖堂には彼とエルダーナ、そして隠し通路から侵入してきたヴァンしかいない。

 エルダーナを襲うために、ジークオッドが自分で人払いをしていたのだから、自業自得な話である。


「エルダーナ・ゼロスだな?」


 剣が刺さったまま泣き叫んでいるジークオッドを放っておいて、ヴァンがエルダーナに声をかける。


「な、何でしょう……貴方はいったい……?」


 突如として現れたヴァンであったが……一応、申し訳程度の変装はしていた。

 顔の下半分を布で覆っているだけなので、完全な不審者である。

 仮に顔を隠していなかったとしても、エルダーナにはヴァンが敵国の王であるなどとわからなかっただろうが。


「お前を連れていく……姉に会いたかったらついてこい」


「…………!」


 後半、ボソリと小声でささやかれた言葉にエルダーナが目を見開いた。

 そして、エルダーナもまたジークオッドに聞こえないくらいの声量で答える。


「……会わせてもらえるんですか、シャーロットお姉様に」


「お前が望むのであれば」


「…………」


 エルダーナがちらりと床を這っている兄を見やる。


「痛い……痛いいいっ……誰か、誰か俺を助けろお……!」


「……行きます。連れていってください」


 エルダーナはそれほど考えることもなく、ヴァンの提案に従うことを決めた。

 無様に転がっている男に身を差し出して姉の救出を頼むよりも、得体の知れない男に賭けた方が良いと判断したのだ。


(それに……彼は祭壇の隠し通路から現れました。一応は王族である私だって、こんな道があると知らなかったのに)


 外れた祭壇の奥には、地下に通じる階段があった。

 察するに……緊急時のための脱出路だろう。

 エルダーナには知らされていなかったそれを把握している人間がいるとすれば、それは国王か上位の王子達のみ。


(つまり……この人物はお姉様から隠し通路のことを教えてもらい、こうして忍び込んできた可能性が高い……!)


 エルダーナは賢かった。

 ヴァンのことを知らずとも、そこにいる人間がアーレングス王国の関係者であると予想したのである。


「よし、行くぞ」


「キャアッ!」


 そして、了承を得たヴァンの行動は早かった。

 すぐさまエルダーナの身体を抱きかかえて、祭壇の隠し通路に走っていく。


「エルダーナ!」


「ジークオッド殿下! どうされましたか!?」


 背後から、ジークオッドが叫ぶ声が聞こえてくる。

 そこでようやく、兵士達が駆けこんできたようだが……もはや遅い。

 エルダーナを抱きかかえたまま、ヴァンは風のような速度で暗い隠し通路を走り抜けていく。

 地下にある隠し通路は真っ暗だったが……まるで闇を見通しているかのように迷いない足取りである。


「あ、あの……お聞きしてもよろしいですか?」


「…………」


 お姫様抱っこで運搬されながら、エルダーナが訊ねる。

 ヴァンは無言のまま、言葉の先を促した。


「貴方は……シャーロットお姉様を捕らえた、アーレングス王国の関係者ですか」


「そうだ」


 ヴァンが短く答えた。

 やはり、そうだったらしい。エルダーナは予想が当たっていたことに安堵する。


「私を助けたのはお姉様の指示……いえ、要望によるものですか?」


「そうだ」


「……本当によろしかったのですか? これでゼロス王国とアーレングス王国は完全に敵対しました。もはや、激突は避けられませんよ?」


 今さらのような気がするが……エルダーナの指摘は事実である。

 王位継承権第一位であったロットが捕縛されて、第二位であるジークオッドが刺された。

 ここまでされたら、ゼロス王国は全力でアーレングス王国を滅ぼそうとするに決まっている。

 そうでなければ、国としての誇りが損なわれてしまう。


「問題ない」


 そんなエルダーナの懸念に、ヴァンがどうでも良さそうに言う。


「え……ですが……?」


「問題ない」


「…………わかりました。余計なことを申しました」


 ここまで言っているのであれば、エルダーナに言うことはない。

 そもそも……「だったら帰って」などと言われて困るのはエルダーナである。


「お姉様に会わせてくださるのなら、どこにでも参ります。どうか連れていってください」


「…………」


 エルダーナがヴァンの首に両腕を回した。

 その瞬間、屈強な男の身体がビクリと震えた気がするが……エルダーナは気のせいだろうと指摘せずに流したのである。

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