第35話 お姫様は口説かれているよ
大陸中央から北方に跨る国……ゼロス王国。
その国は現在、政争の真っただ中であり、いつ内乱が勃発してもおかしくない有り様となっていた。
混乱の始まりは一年前。
王太子として盤石の地位を築いていたはずの第一王子ロット・ゼロスが失脚した。
きっかけとなった事件は隣国であるアイドラン王国からの宣戦布告である。
アイドラン王国は長年の敵対国。幾度となく戦いながら、民間では交易も行われているという複雑な関係の隣人だ。
アイドラン王国の王太子であるエイリック・アイドランが自らの名声を高めるため、そして……別の下卑たる目的によって戦争を仕掛けてきた。
アイドラン王国の侵略に立ち向かったロット・ゼロスであったが……ヴァン・アーレングスの活躍によって敗北。
エイリックが無様に逃げたことで国内に敵を踏みこませることこそなかったものの、ロットの地位は大きく陥落した。
これにより……これまで表立って動くことのなかった第二王子、第三王子らが玉座を目指して暗躍するようになった。
ロットは名誉挽回のために、アーレングス王国に兵を向けるが……そこでさらなる敗戦。
おまけに、帰還してきた軍勢は待ち構えていた第二王子によって殲滅された。
血で血を洗う権力争いは苛烈さを増す一方であった。
〇 〇 〇
「シャーロットお姉様……この国はいったい、どうなってしまうのでしょう」
ゼロス王国王都。
王宮内部にある聖堂にて、一人の少女が物憂げに溜息を吐いた。
朱色の髪を背中に流して、若緑色のドレスに身を包んでいるのはエルダーナ・ゼロス。
現・国王の八番目の子供であり、『王女』の一人である。
ゼロス王国では長子継承が重んじられており、男女という性別にかかわらず王位継承権を持っている人間は『王子』という呼称が用いられる。
エルダーナが『王女』と名乗っているのは、すでに王位継承権を放棄しているという証拠だった。
「お姉様……どうか、御無事でいて……」
エルダーナは頬を涙に濡らして聖堂の床に跪き、姉の無事を祈っている。
ロットとエルダーナは殺伐とした他の兄弟とは違って、唯一、心が通じ合えている家族だった。
ゼロス王には数人の妃がいて、ロットとエルダーナは同腹の姉妹。
母親はすでに亡くなっているが……だからこそ、姉妹で支え合って生きてきた。
エルダーナが王位継承権を捨てているのも、王太子となっているロットに従うという意思表示である。
「神様、どうかお姉様をお守りください……どうか、どうか……!」
エルダーナは姉の無事を祈り、ハラハラと涙を流した。
ロットがアーレングス王国との戦に敗れ、行方不明になったと聞いてから……エルダーナはずっと祈り続けていた。
ロットの生死はわかっていない。
彼女の配下の軍勢は残らず壊滅しており、一兵たりとも王都に戻ってきていないからだ。
アーレングス王国はクーデターによって成立したばかりに新興国であり、それほど兵を割く余裕はなかったはずなのに……いったい、姉の身に何が起こったというのだろう。
「お姉様……」
「何だ、お前はまだそんな無駄なことをしているのか?」
「ッ……!」
祈り続けているエルダーナの背中に、男の声がかけられた。
慌てて振り返ると……そこにはニヤニヤと笑っている青年の姿があった。
「……何の御用でしょうか、ジークオッドお兄様」
エルダーナが警戒を込めた声音で、その男の名前を呼ぶ。
青年の名前はジークオッド・ゼロス。
ゼロス王国の第二王子であり、現在、王位にもっとも近い位置にいる一人だった。
この国の王族特有の赤い髪の持ち主。
容姿端麗ではあるものの……品性下劣な性格が顔に出ているタイプであり、どこか爬虫類のような冷血動物を思わせる印象の青年である。
「あの女が本当に生きていると思っているのか? ありもしない希望に縋りつかない方が良い」
「……『あの女』というのはシャーロットお姉様のことでしょうか?」
エルダーナがわずかに声を潜めて、不快そうに訊ねる。
「王太子であるシャーロットお姉様に対して、無礼ですよ!」
「王太子ね……その称号は名ばかりのものになっているだろう?」
「それは……」
「間抜けなあの女はとっくに失脚している。一年前は無様に敗北して軍勢の半分を失い、そして……またしても敗北だ。万が一に生きて王都に戻ってきたとしても、すぐに王太子の地位を剥奪されるだろう」
「…………」
エルダーナが悔しそうに黙った。
ジークオッドの言葉は的外れではない。
むしろ……正鵠を射ているとすらいえるだろう。
エルダーナの敬愛する姉、王太子であるシャーロット・ゼロスは完全に失脚している。
どう足搔いたところで、ここから這い上がってくることはないだろう。
「お姉様は生きています……」
「ああ、そうだな。生きているんだろうな……今のところは」
「……どういう意味ですか?」
「聞いていないようだな。お前の姉はアーレングス王国に囚われている。そして、あの国との交渉は打ち切った。いずれは処刑されることだろう」
「なっ……!」
エルダーナが愕然とする。
どうやら、彼女まで情報が届いていなかったようだ。
ロットが率いていた軍勢が壊滅したという話は聞いていたが……アーレングス王国の捕虜になっていたのか。
「父上は病床で身動きが取れないからな。私とジェイコブ、大臣達との話し合いで解放のための交渉はしないこととなった」
「何故……そんなっ……!」
「我が国にとってはすでに価値のない女だ……まあ、女としての使い道はあるかもしれないがな」
ジークオッドがクチャリと表情を歪めて、視線を落とす。
エルダーナの身体に舐めるような視線を這わせ……下品な笑みを浮かべる。
「ッ……!」
「あの女もお前と同じで、顔と身体だけは上等だからな……血のつながった姉妹でなければと何度思ったことか」
「じ、ジークオッド、お兄様……」
「まあ、血がつながっていても関係はないな! 俺が王になれば、誰も文句は言えないからなあ!」
ジークオッドの目には隠すことのない情欲が宿っている。
ロットも美麗な顔立ちをしているが、ここにいるエルダーナはそれを上回る美女だった。
一年前にアイドラン王国との間で起こった戦争も、エイリック・アイドランがエルダーナに妾になるように求めて、拒絶されたことが一因となっていた。
「見ないでください……そんな目で、私を……!」
「ああ……あの女がいなくなったということは、お前を押し倒しても文句を言う相手がいないということだな! ハハハッ、最高じゃあないか!」
「嫌っ!」
ジークオッドが手を伸ばしてきて、エルダーナの腕を掴む。
声を上げているというのに、聖堂に兵士が現れる様子はない。すでに人払いをしているのだろう。
「おっと……抵抗しても良いのか?」
手を振り払われたジークオッドであったが、腹を立てることもなく意地悪そうに喉を鳴らして笑う。
「俺の言うとおりにするのであれば……ロットが解放されるように、改めてアーレングス王国と交渉しても良いのだぞ?」
「そん、な……」
「あの女の命はお前にかかっている……さあ、どうする?」
「ッ……!」
エルダーナが顔を青ざめさせる。
姉の命を救うためには、目の前のゲスに身をゆだねなくてはいけない。
「…………」
エルダーナは震えながら、心底軽蔑している男に身を差し出そうとして……。
「え?」
「ひぎいっ……」
驚いて、パチクリと瞬きをした。
姉の無事を祈るために聖堂にいたエルダーナ。
彼女の後ろには祭壇があったのだが……その一部が開いて、そこから剣が突き出ていた。
「本当に出た」
そして……端的な言葉を口にして、祭壇にあった隠し通路から一人の男が現れる。
ヴァン・アーレングス。
王位簒奪を成し遂げた若き竜。
アーレングス王国の国王である男が、鋭い刃でジークオッドを突き刺していたのである。
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