第29話 羽交い絞めだよ
「よし……この戦、勝てるぞ!」
平原にある丘の上に陣地を築いたゼロス軍。
高い場所から戦場を見下ろして、総指揮官であるロット・ゼロスは近づく勝利に会心の拳を握りしめた。
戦いが始まった当初こそ、驚くべき速度のアーレングス軍の動きに翻弄されていた。
しかし、戦いが長引くにつれて徐々にゼロス軍もその動きに慣れている。
魔法によって上昇していた速度が、魔力切れによって落ちているというのも理由の一つであった。
速度に魔力を費やしている分だけ、魔法で攻撃をする余裕もないようだ。
一歩ずつではあるが、ゼロス軍の手中に確実に勝利が近づいてきている確信があった。
「周囲に敵軍の別動隊はいるか?」
「いいえ、いません! どこにも!」
もしかすると、騎兵隊によって翻弄されている隙に別動隊が攻撃してくる可能性を考慮していた。
前回のように、こちらの本陣が攻撃される可能性も。
だが……そんな様子はない。
ロイカルダン平原にいるアーレングス軍は百騎の騎兵隊で全員のようであった。
「この戦いは我らが勝利か……!」
「ロット殿下、おめでとうございます!」
副官の中年男性が気の早い祝福の言葉を駆けてくる。
ロットは顔が緩みそうになるが……慌てて、首を振った。
「いけない……油断をしてはダメだ。まだ勝っていないことを忘れるな」
前回もそうだった。
勝利を確信したタイミングで戦況をひっくり返されてしまった。
「ヴァン・アーレングスはこのような時にこそ、こちらの足元を掬ってくるような男だ……まだ勝利していないことを忘れるな!」
「ハッ!」
勝って兜の緒を締めよ……という教訓がとある島国にあるが、勝利が決まった時にこそ気を引き締めるべきである。
ロット・ゼロスは油断していない。
圧倒的に有利な情勢下でも十分に警戒しつつ、総指揮官として毅然としてその場に立っていた。
「うん、すごいね」
「へ……?」
ゆえに……これから起こる出来事は油断や過信によるものではない。
ロットに一切の落ち度はない。
悪い部分があったとすれば、運が悪かったか、あるいは……相手が悪かったと言うべきである。
「この状況でも少しも隙が無い。ここまで入るのに苦労したよ」
「「「「「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」」」」」
その瞬間である。
ゼロス軍の本陣から驚愕の悲鳴が上がり、何人もの人間が宙を舞った。
「なっ……!」
ロットが唖然として両目を丸くする。
人間が空を飛ぶ……それは不可能の比喩表現であったが、そんなあり得ない光景が眼前に広がっていた。
自軍の兵士が……本陣にいたゼロス軍の兵士が、士官が、その男によって次々と宙に投げられていったのである。
「来たぞ」
「お前は、まさか……!」
そして……ロットは気がついた。
兵士達を軽々と投げ飛ばしている男……黒髪の若い男性の正体に。
「ヴァン・アーレングス……!」
ヴァン・アーレングス。
アーレングス王国が国王。『ロイカルダン平原の人喰い鬼』。
かつてロットを敗北させて、王太子の地位を奪い去った男がそこに立っている。
「どうして、貴様がここに……!」
ロットが叫ぶ。
ヴァンと会うのは初めてだったが、憎いその男の顔は密偵によって持ち込まれた姿絵で知っていた。
ヴァンはアーレングス軍の兵士が着ている鎧ではなく、ゼロス軍の鎧を身に着けている。
「まさか……!」
聡明なロットはすぐに気がついた。
ヴァンはゼロス軍の鎧を入手して、それに着替えて本陣に近づいたのだ。
本陣の周囲は兵士で固めており、敵軍の奇襲に十分に備えていた。
後方だろうが側方だろうが、敵が襲ってきたらわかるはずだった。
だが……それはあくまでも敵軍に対する備え。たった一人の人間の侵入を阻むのは至難である。
もしも所属不明のゼロス兵が百人ほど現れたら、見張りの兵士も怪訝に思うだろうが……一人だったら潜り込むのは難しくはない。
「敵襲だ!」
「殿下を御守りせよ!」
突如として現れたヴァンに対して、ゼロス兵が慌てて壁になろうとする。
「えいっ」
「うわああああああああああああああっ!?」
しかし……彼らはヴァンによって掴まれて、陣地の外まで投げ飛ばされることになった。
丸腰で乗り込んできたこともまた、侵入を許してしまった一因なのだろう。
「クッ……!」
「遅い」
ロットが慌てて剣を抜こうとするが……ヴァンが一瞬で間合いの内側に踏み込んでくる。
そして、ロットを後ろから羽交い絞めにして拘束した。
「グア……」
「殿下っ!」
「一分あげるから降伏してくれ。向こうで走り回っている騎兵も止めるように」
ヴァンが端的に指示を飛ばす。
無駄なことは少しも口にせず、必要なことだけを告げる。
「逆らうのなら、彼は死ぬ。急いでくれ」
「ッ……!」
ゼロス兵の背筋にゾッと悪寒が走る。
ロットの死を告げたヴァンの瞳には「必ずやる」という明確な意思が浮かんでいる。
「……降伏だ。騎兵にも投降させろ」
駆け引きなど通用しない。
早々に悟ったゼロス軍の副官が悔しそうに部下に指示を出して、二度目の敗北を受け入れたのであった。
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