第25話 ケンカを売られたよ、妹ちゃん!

「ど、どうしようか、妹ちゃん! お隣の国が攻めてくるよ!」


「アンッ!」


 モアが仮面を取って執務室に戻ると……いつものように動揺した様子の兄が泣きついてきた。

 モアもまたいつものように兄に抱き着かれて陶酔しつつ、現状確認のために質問を投げかける。


「落ち着いてください、お兄様……まずは隣国が攻め込んでくるにあたって、どのように宣戦布告してきたのかを教えてください」


「う、うん……えっと、こんな書状を送ってきたんだ……」


 ヴァンがゼロス王国から送られてきた書状をモアに見せる。




――――――――――

拝啓 ヴァン・アーレングス王


欲と色のアイドラン王国を打倒せし、新たなる国王へ。


まずは戴冠式に招待を受けながら、参列できなかった無礼を深く謝罪いたします。


ゼロス王国としましては新たなる国と王の誕生を祝福したいと考えております。

けれど、貴国はこの世の汚泥を集めた国であるアイドラン王国を前身としており、

国内にはその膿を残していると報告を受けております。


我が国はかつて一方的にアイドラン王国によって攻め込まれ、幾人もの将兵が命を落とした過去を持っています。

できることならば、その遺恨を拭い去りたいと考えているのですが、貴国の内側にアイドランの芽が残っているうちはそれも叶いません。


そこで、提案なのですが……貴国にはアイドラン王国の生き残りであるメディナ・アイドランを引き渡していただきたく思います。

その願いが叶った暁には、アイドランから受けたいくつもの被害を忘れて、貴国と友好な関係を結ばせていただきます。

それが叶わぬのであれば、貴国をアイドランの血と意志を継ぐ邪悪な国として成敗するつもりです。


ヴァン・アーレングス王は人徳に厚き御仁であると聞いております。

貴方様が賢い選択をしていただけることを心より信じています。


ゼロス王国より親愛を込めて。


ゼロス王国王太子 ロット・ゼロス

――――――――――




「これは……」


「妹ちゃん、これって……」


「ケンカを売られていますね」


「ケンカを売られているよね!」


 つまり、そういうことだった。

 ゼロス王国はこちらが飲むことができない要求をしている。

 彼らの要求は第一妃であるメディナ・アイドランの引き渡し。とてもではないが、首を縦に振れるわけがない。


 情に流されるわけではない。

 もし、仮に要求を受けてメディナを引き渡したとすれば……ヴァンは自分の妻を売り飛ばした最低男として、汚名を受けることになる。

 犯罪者の引き渡しとはわけが違う。

 ヴァンは多くの人間から非難を受けて、信頼を失うことだろう。


「だけど……言うとおりにするべきだという人間もいるでしょう。惚れ惚れするような絶妙な要求です」


 そうなのだ。

 正道を重んじる人間であれば、この要求を蹴るべきだと主張するはず。

 しかし、利を重んじる人間であったのなら……妃一人の身柄で戦争が避けられるのなら、そうするべきだと考える

 ましてや、引き渡しを要求されているのはメディナ……つまり、アイドラン王家の生き残りだ。

 暴君を生み出した先の王家を憎んでいる者は少なくなかった。

 彼らからしてみれば、メディナのために戦争が起こることの方が容認できない。

 ヴァンがメディナのために戦争を受け入れるような決断をすれば、それを理由に非難してくるはず。


「つまり……この要求は受けても拒否してもお兄様を貶める、嫌がらせということになります。相手の性格の悪さが窺えますね……」


「えっと……この手紙の送り主、知っているよ。確か……ロイカルダン平原で戦った人だよね? あと少しというところで逃がしちゃったんだけど……」


「……ああ、なるほど」


 モアがわずかに表情をしかめて、首肯した。


 つまり……この要求はアーレングス王国に対する嫌がらせなわけである。

 王太子であるロットが私怨と独断で……とまでは言わないものの、恨みつらみを込めて不自由な二択を突きつけてきたのだ。


「おそらく……日和見の貴族の中には、ゼロス王国に従うべきだという人間もいるでしょうね。お兄様、どう……」


「ダメだよ」


 珍しくモアの言葉を断ち切って、ヴァンが断言する。


「お姫様は……メディナはもう俺の奥さんなんだから、引き渡すのは絶対にダメ! 誰にも渡さないよ!」


「……そうですか」


 モアが満足げに兄の言葉に感じ入る。

 予想していた通りの回答だったが……予想通りに感動した。

『推し』が解釈通りの行動をしてくれた喜びに打ち震えつつ、モアは今後の行動について思案する。


「さて……問題は彼らにどう対処するかですね。メディナ様の引き渡しは拒絶するとして、それを非難してくる貴族をどう抑えたものか……」


 国内にいる貴族の過半数はヴァンに忠誠を誓っているというよりも、自分の地位や財産が大切で従属しているだけである。

 彼らはヴァンのことを信じていない。

 もしも隣国との戦いが不利になれば、平気で裏切る者だって出てくるだろう。


「いえ……すでに内通者はいるのでしょうね。お兄様に反感を持っている貴族がこの機に挙兵しないとも限りません……」


 ヴァンの台頭によって地位を失った人間などは露骨に恨んでいるだろう。

 彼らはすでにゼロス王国と密約を交わしており、ヴァンが軍勢を出したタイミングで王都を奪いにくる可能性もあった。


「……王都が容易く落ちることはなくとも、内乱が明けて間もない情勢下で攻め込まれたら、民は不安に陥るでしょう。どちらにしても、政権が揺らぐことは避けられない」


 本当に……厄介な謀略を仕掛けてくれたものである。

 ヴァンが指揮を執れば、ゼロス王国の侵攻を返り討ちにすることは難しくない。

 しかし、国内に蠢動する貴族や民の不安はどうにもできない。


「何か……そう、国内の貴族を抑え込む方法は……」


「ねえねえ、妹ちゃん。妹ちゃん」


「何でしょうか、お兄様」


 袖を引っ張ってくる兄にモアが向き直る。

 ヴァンは難しそうな顔をしながら、賢い妹に訊ねた。


「話がよくわからないんだけど……つまり、ゼロス王国が攻めてくるけど、王都の兵隊は動かせないって話で良いのかな?」


「そうですね、おおよそその通りです」


「だったらさ。俺がちょっと行ってきて、ゼロス軍をやっつけてくるよ」


「…………はい?」


 何でもないことのように言うヴァンに、モアもさすがに唖然とする。

 しかし、ヴァンの方は特に気にした様子もなく平気で断言した。


「ゼロス王国の王太子……ロット・ゼロスは俺が捕まえてくるよ。だから、妹ちゃんは何も心配しないでくれ」

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