第19話 ロイカルダン平原の戦い 前編

 大陸中央にある二つの国……アイドラン王国とゼロス王国は長年の敵対国だった。

 これまで領地を巡って幾度となくぶつかり合っており、けれど決着がつくことなく現在にまで至っている。


 しかし……どんなものにだって終わりはある。

 その日、その時に起こった戦いは両国にとって、最後の戦争であった。



     〇     〇     〇



 時はヴァンが王となる一年前までさかのぼる。


 両国の国境付近にあるロイカルダン平原にて。

 南にアイドラン軍、北にゼロス軍がそれぞれ陣を張っており、にらみ合いを続けていた。

 二つの国の兵数は拮抗している。

 正面からぶつかり合えば、どちらにも多大な被害が出ることだろう。

 だからこそ、お互いに迂闊に動くことはできない。

 先に動いた方が負けだとでもいうのだろうか……広い大地を挟んでにらみ合いながら、その時を待っていた。


「突撃いいいいいいいいいいいいいいいっ!」


 先に我慢の限界がやってきたのは、南のアイドラン軍である。

 指揮官である王太子……エイリック・アイドランが自軍に突撃を命じた。

 若き王族であるエイリックにとって、これが初めての戦い……つまり初陣である。

 エイリックにとっては、王太子としてのはくをつけるための戦いでもあった。

 やる気をみなぎらせており、それ故に焦れてしまったのだろう。


「「「「「オオオオオオオオオオオオオオオオッ!」」」」」


 指揮官である王太子に命じられた以上、兵士達も動かないわけにはいかなかった。

 兵士達が平原を駆けて、ゼロス軍の陣地を目指して突撃していった。


「今だ! 撃てえええええええええええええっ!」


 しかし……それはゼロス軍にとって待ち構えていた展開である。

 ゼロス軍の陣地から大量の弓矢が放たれて、アイドラン軍に降りそそいだ。


「うわあああああああああああっ!」


「馬鹿な……この距離から弓矢が届くのか!?」


 アイドラン軍は知らなかった。

 ゼロス軍が研究により、新型の弩弓を開発していたことを。

 風の魔法が組み込まれたその弩弓は通常の二倍の射程距離があり、それゆえに警戒の外からアイドラン軍を攻撃することができたのだ。

 射程距離が長い分だけ重くて移動が遅くなってしまうため、アイドラン軍が先に動くのを待っていたのである。


「よし……敵が崩れたぞ! 今こそ勝機である!」


 叫んだのは……ゼロス軍の司令官。

 ゼロス王国の王太子であるロット・ゼロスだった。

 アイドラン王国の王太子であるエイリックよりも一つ年下であったが、指揮官としての器量はずっと上のようだ。

 ここぞとばかりに配下に突撃を命じて、自分自身も馬を駆って前線へと進み出た。


「この機を逃すな! 一気にアイドラン軍を叩き潰すのだ!」


「「「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」」」」」


 勇敢な王子に引き連れられて、ゼロス軍が一気呵成に突撃した。

 まんまと罠に嵌まり、弓矢の雨を浴びて動揺しているアイドラン軍に襲いかかる。


「クッ……迎え撃て! 持ちこたえろ!」


「敵を通すな! この先にはエイリック殿下がいるんだぞ!」


 アイドラン軍も必死になって抵抗する。

 前線の指揮官が兵士の動揺を抑え込み、突っ込んでくるゼロス軍をどうにか迎撃しようとした。


 戦いの始まりは完全にゼロス軍の勝利である。

 しかし……戦争はまだ始まったばかりだった。

 弓矢と突撃による被害は無視できないものの、勝敗が決するほどではない。

 まだまだ、挽回が可能な段階だった。


「う……ウワアアアアアアアアアアアアアッ!」


 しかし……そこでアイドラン軍にとっても、ゼロス軍にとっても予想外の事態が生じた。


 平原の南側に設置されたアイドラン軍の本陣。

 そこに構えていた指揮官……エイリック・アイドランが突如として馬に跨り、戦場から逃げ出したのである。

 自軍の兵士が罠にかかり、敵軍が迫って来るのを見て……恐慌に駆られて逃亡してしまったのだ。


「なっ……殿下! お待ちください、殿下!」


 副官の男性が追いすがる。

 エイリックの補佐として付き従っているその男の名前はモルテガ・ブラック将軍。

 初陣であるエイリックを支えるように王命を受けており、未熟な王太子に代わってアイドラン軍の実質的なトップを務めている古参の将だった。


「どこに行かれるのですか! まだ戦いは始まったばかりですぞ!?」


「ウルサイ! 敵があんなに近くまで迫っていたんだぞ!? 僕が殺されてしまったらどうするんだ!」


 追いすがるブラックに、エイリックが怒りの叫びを放つ。


「軍は任せた! 僕は王都まで引き返す! 絶対に敵軍を通すんじゃないぞ。ここで囮になって死ね!」


「なっ……!」


「行け! 走れ! 逃げろおおおおおおおおおおおおっ!」


 エイリックはわずかな側近だけを引き連れて、戦場から去ってしまった。


 重ねて言うが……まだまだ決着はついていない。

 序盤で罠にかかり、手痛い損害は受けてしまったものの……勝敗は依然として遠い場所にある。

 敵軍が接近してきているといっても、すぐに本陣が襲われるような場所ではなかったはずなのに。

 それなのに……怯えて、配下の軍勢を置いて逃げたエイリックに失望の念が湧き上がってくる。


「お、おい! 王太子が逃げたぞ!?」


「そんな……俺達はどうすれば良いんだよ!」


 エイリックに失望して、動揺を深めたのはブラックだけではない。

 前線で戦っていた兵士もまた、指揮官が逃げ出してしまったことに気がついたのだ。


「ま、負けだ! 逃げるぞ!」


「やってられるか……退け退け!」


「おい、待て! 撤退の許可は出てないぞ!」


「戦え、逃げるな!」


 部隊長が押しとどめようとしても、もはや混乱は収まらなかった。

 総大将が真っ先に戦場から消えてしまったのだから、無理もないことである。


「クッ……やむを得まい! あの甘ったれのクソガキが!」


 ブラックは王族に対してあるまじき暴言を吐き捨てて、戦場に馬を向ける。

 このままでは軍が瓦解する。そうなれば、勢いをつけたゼロス軍が国内までなだれ込むだろう。

 最悪でも、すぐに進軍はできないくらいのダメージを与えなくてはならない。

 それこそ……命がけで。


「ここが我が死に場所だ……兵士達よ、我に続けええええええええええっ!」


 アイドラン王国の護国の将……モルテガ・ブラックはこの戦場で死ぬことになる。

 しかし、それと引き換えにアイドラン軍は決定的な崩壊を免れることになった。

 そして……一人の男が形勢を覆す時間を稼ぐことができた。


「……進め。行くぞ」


 ヴァン・アーレングス。

 その時はまだ英雄になる以前、中隊を率いていた部隊長の一人に過ぎなかった男が動き出す。

 後に『ロイカルダン平原の人喰い鬼』と呼ばれることになる男が、混乱する戦場の中で淡々として部隊を進めていったのである。

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