第8話 妹ちゃん、姫様を抱くよ!
「妹ちゃん、どうしよう……俺、やっぱりメディナ王女に嫌われているみたいだ……」
告白に失敗した(?)ヴァンは自室に戻ってきて、妹に泣きついた。
「メイドの子も怒っていたし……絶対に嫌われたよ。どうしよう?」
「よしよし、可哀そうなお兄様。そんなに落ち込まないでくださいな」
泣きついてくる兄を胸に抱いて、モアが幸せそうにその頭を撫でる。
「心配せずとも、王女殿下はお兄様のことを嫌ってなどいませんよ。急な出来事で面食らっているだけなのです」
「そ、そうかな? 俺ってば、嫌われてないかな?」
「はい、大丈夫です」
モアが迷うことなく断言した。
迷える兄の悲哀を受け入れ、包み込むように微笑んだ。
「メディナ王女殿下はとても聡明な方です。そして、責任感も強い。彼女はすぐに気がつくことでしょう……自分がこの国に貢献するためにはお兄様の妻になるしか道がないことを」
メディナに残されている道は二つ。
ヴァンの妻となって、新政府の安定のために尽くすこと。
あるいは……名誉ある死。
最後の生き残りとして命を絶ち、アイドラン王家に終止符を打つこと。
「おの御方は死んで責任を放棄するなどということはしませんわ。賢いので何が自分と従者にとって得なことか判断できるはず」
愚者の行動は予想しがたい。
しかし、賢人であれば正しい道筋を選ぶため、行動の先読みがしやすいのだ。
「早ければ、今夜にでもお兄様を部屋に呼び出しますよ……虜にして、傀儡にするために」
メディナが王族の誇りと権威を取り戻すためには、ヴァンを陰から支配するしかない。
理想に燃える王女であれば、自分が思い描く理想を実現するためにもそうするはずだった。
そこまで考えたところで、部屋の扉が外からノックされる。
「失礼します。アーレングス様、よろしいでしょうか?」
「入れ」
ヴァンが一秒とかからずに態度を正す。
顔に伝っていた涙をぬぐい、威厳ある佇まいで立ち上がった。
ドアが開いて、兵士の一人が部屋に入ってくる。
「メディナ元・王女が渡すようにと手紙を預かっています」
「ああ、ご苦労」
「それでは、失礼いたしました」
兵士はヴァンに便箋を渡すと、部屋から出ていった。
兵士の足音が遠ざかっていくのを確認して……ヴァンが涙目になる。
「い、妹ちゃん! 王女様からの手紙だよ! 何が書いてあるのかな!?」
「思ったよりも決断が早かったようですね……貸してくださいな」
モアが兄から手紙を受けとり、封を切った。
折りたたまれた紙を開いて視線を滑らし……やがて、満足そうに頷いた。
「どうやら、蝶が蜘蛛の巣に飛び込んできたようです」
「え?」
「お兄様、とてもお目出たいことが起こりましたわ」
モアが唇を吊り上げて、満面の笑みを浮かべた。
天使のような……あるいは、悪魔のような笑みで兄に告げる。
「前祝いに、お酒を飲みましょう? タップリと……浴びるほどに」
〇 〇 〇
「フウ……」
寝室のベッドに座りながら、メディナは深く溜息をつく。
昼間、ヴァンから婚姻を申し込まれた彼女であったが……その日のうちに手紙を出した。
手紙の内容は、求婚の返事をするので夜に部屋に来て欲しいというもの。
(今夜、私は抱かれてしまうのだな。あの男に、王家を滅ぼした男に……)
「ハア……」
一族の仇に抱かれることを思うと、自然と溜息が漏れてしまう。
メディナは元々、ヴァンのことが嫌いではなかった。
下級貴族の出身でありながら騎士としていくつもの武勲を挙げ、偉ぶったところもない。
民のために尽くして、大貴族に疎まれながらも自分の仕事を淡々とこなす。
そんな実直な騎士に対して、尊敬の感情すら抱いていた。
メディナもまた以前から王家に弾圧されている国民を救いたいと願っており、目指す場所も近かったはず。
(でも、ただ考えが近かっただけだった。私と彼とでは根本的に違っていた)
ヴァンとメディナが決定的に違えていたこと。
それはメディナがあくまで『アイドラン王国』という枠内で民を幸福に導こうとしていたことである。
メディナは民を虐げている王族や大貴族から権力を取り上げ、政治を立て直そうとしていた。
尊敬はできなかったが……家族として、両親や兄を愛していたのだ。
民のためにならないからといって、アイドラン王国を滅ぼそうなんて考えていなかった。
(だけど……あの男は違った。アイドラン王国は存在してはならないと、国王は死ななければいけないと反逆を起こした)
それは正しい判断だったと思う。
当事者でなければ、メディナもそう思えたはず。
メディナは国の改革を計画していたが、国王らの命を奪うつもりはなかった。
彼らには住みよい田舎に離宮を建てて、そこで生活してもらおうと思っていた。
だが、そんな甘いやり方では時間がかかる。
家族の命を
『メディナ王女、貴女が国を立て直すまでに……それまでに何人が命を落とすことになる?』
(彼はその三年間で失われる命を救うため、反乱を起こした。きっと彼は正しい。正しいはず……)
「だけど……愛していた」
ポツリと、泣きそうな声でつぶやく。
愛していた。家族を。
父を、母を、兄を……愛していた。
どんな酷い人でも、死んでもらいたくなかったのだ。
国王である父は臆病者だった。小心であるがゆえに民を信じることができず、圧政を敷いて彼らの力を削ごうとした。
王妃である母は繊細だった。傷つきやすいがために隙を見せたがらず、ドレスや宝石で自分を飾り立てて武装していた。
王太子である兄は寂しがり屋だった。孤独を恐れるがゆえに人肌のぬくもりに執心して、手段を選ばずに女性を抱き続けていた。
彼らはいずれも人の上に立ってはいけない人間。権力を得てはいけない人種。
それでも……メディナは彼らのことを心の底から、愛していた。
(ヴァン・アーレングス。貴方は正しい。後世の歴史家すべてが認めることだろう)
だけど……自分の家族を殺したことは決して許しはしない。
(だから……私は復讐する。貴方に抱かれ、貴方の妻になり、貴方を傀儡にして国を正しい方向へと導く! この手で民を幸福にする。それが私の復讐だ!)
民はヴァン・アーレングスの手ではなく、メディナ・アイドランによって幸せになるのだ。
人々を幸福にするという誉れを奪うこと、王たる人間の義務を奪うこと……それがメディナにできる唯一の報復。
(さあ、いつでも来なさい! 私は貴方に抱かれる覚悟ができている……!)
本来であれば、婚前交渉など許されるわけがない。
しかし、メディナには時間がなかった。
メディナがヴァンとの婚姻を受け入れたとしても、婚儀が行われるのは新政府が戦後処理を終えてから。
その頃には、国中から志ある者が集まっているはず。
ヴァンの周囲が隙間なく固められてしまえば、メディナが意見を通しづらくなる。
メディナがヴァンを思い通りに動かすためにも、早急に虜にしなければいけないのだ。
(大丈夫……自分で言うのもなんだけれど、私は美しいはず)
メディナは美しい。国一番の美女と呼べるほどに。
金色に輝く艶のある髪。宝石のように煌めく青い瞳。肌の色は真珠のように白くて、スベスベとしている。
メディナが全力で誘惑して、落ちない男などいない。
(絶対に落とす。絶対に……!)
「あ……」
ガチャリと扉が開いて、一人の男が部屋に入ってきた。
ノックも無しに侵入してきたのは想像通りの人物。
屈強な体躯の騎士。国内最強の武人であるヴァン・アーレングスである。
「……お待ちしておりました。ヴァン様」
メディナはベッドの上で正座になり、三つ指をついた。
豊満に実った身体を包み込んでいるのは白のネグリジェ。下着同然の格好である。
「このようなお越しいただき、時間にありがとうございます。昼間の申し出の返答をさせていただきたく、お呼びいたしました」
「…………」
ヴァンは無言。
頭を下げているメディナにその表情は窺えないが、メディナの艶姿に面食らっているはず。
「まずは返答ですが……とても光栄なことです。是非とも……」
「…………」
「受けさせて……キャアッ!?」
メディナが悲鳴を上げた。
ヴァンの両手が細い肩を掴み、強引にメディナの身体をベッドに押し倒したのだ。
「そ、そんな乱暴ですわ……お願いですから、優しく……」
「…………」
「扱って…………へ?」
そこでメディナはようやく気がつく。
ヴァンの瞳に。そこに浮かんでいる激しいまでの渇望に。
実直で真面目。自分の成すべきことを淡々とこなす真っすぐな騎士。
それがヴァン・アーレングスという男に対する評価だったはず。
しかし、現在進行形でメディナに跨っているのは別人のような野性的な男である。
「……お前を抱く。抵抗するな」
「…………!」
雄々しい言葉に貫かれ、メディナは身じろぎすらもできなくなる。
圧倒的な強者。一騎当千の英雄。
戦に出れば負け知らずの騎士。『ロイカルダン平原の人食い鬼』。
誰よりも強い最強の『牡』が自分という『牝』を求めている。
本能的な優越感を身体が満たしていき、メディナは愕然とさせられた。
「あ、アーレングス卿! 落ち着いてくださいまし!」
どうにか言葉を搾りだす。
このままではいけない。
処女以上の大切な何かを奪われてしまう。
「お前を抱く。抵抗するな」
しかし、ヴァンは乙女の制止に応じない。
同じ言葉を愚直に繰り返して、乱暴な手つきでネグリジェを破り捨てる。
「ヒッ……!」
メディナはようやく理解した。
ヴァン・アーレングスが傀儡などという立場に収まる男ではないことを。
民を思いやり、世の中を良くしようという願望を抱いているのはヴァンの一面に過ぎない。
この男は同時に全てを蹂躙するような支配欲と闘争心も持っているのだ。
(甘かった……どうしようもなく、甘かった……!)
三百年続いた国家を滅亡させれる男が、色仕掛けごときで落ちるわけがなかった。
落とされるのは自分の方。蹂躙されるべき獲物はメディナだったのだ。
「あっ……」
メディナは短い悲鳴を上げて、男の暴力に飲み込まれた。
ハッキリと記憶に残っているのはそこまで。
すぐに嵐のように襲いかかる快楽の渦に飲まれ、意識を無くしてしまうのであった。
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