第2話 占い師

「男が店に入ってきたとき、一目でヤバいと感じました。だって、右手に血塗れの包丁を握り締めてたんですよ? 包丁を持ったメタボ体型の男を取り押さえるなんて、私の力では無理です。だから咄嗟に、占い師のトークで男の注意を引きつけて、他の誰かが取り押さえてくれるか、警察を呼んでくれるかするのを待とうと考えたんです」

 私のその説明を、警察は信じてくれた。あまつさえ、「肝が据わっておられる。さすがは役者さんだ」などと、お褒めの言葉まで頂戴した。

 私は、占い師の紫門マヤ——を演じる、女優の南万帆みなみまほである。


 中学生だったころ、私の劇団入りを後押ししてくれた両親には、本当に感謝している。その後必死に努力した甲斐あって、順風満帆とまではいえないにしろ、二十五歳となった今、ローカルなテレビドラマで台詞つきの役を演じられるところまで漕ぎ着けたのだから。

 今回のドラマでは、将来に戸惑うヒロイン……ではなく、その相談を受ける占い師を演じることになった。

 ロケを行う喫茶店は、普段は子供たちを支援するボランティア活動を行なっている。そのボランティア団体に謝礼として金を落とす目的もあって、ロケ地に選定されたと聞き及んでいた。

 まさか、撮影当日の朝、あんな招かれざる客が現れるだなんて、思ってもみなかった!


 その男は、ジャージ姿で、メタボ体型で、体臭がキツく、体臭を上回る血臭をも漂わせていた。そもそも、血塗れの包丁なぞ握り締めていたのだから、大まかな状況を察するなというほうが無理だろう。


「簡単に死なれちゃうよりさぁ、無様に生き恥晒してくれるほうが、末永く生暖かく見てられて、いいじゃん」


 一声掛けたら食いついてきた。予想通り、言葉の通じぬ相手というわけではなかった。

 店内には、何人かのテレビクルーや、ロケの見物を希望するボランティア団体の人々もいた。

 男が彼らに危害を加えることで、ロケが中止になるばかりか、ドラマがお蔵入りになるような事態だけは、私は避けたかったのだ。

 男はまるで、私以外の人間のことなぞ目に入らぬかのように、近寄ってきて腰をおろした。そういう精神状態だったのだろうか? それとも、そもそも目が悪いのだろうか?

 私は、すかさず誰かが取り押さえるなり通報してくれるものと思ったが、テレビクルーは、まずは身の安全を確保することに奔走し、ボランティア団体の皆さんに至っては、リハーサルでも始まったのかと呑気に見物しておられたらしい。最終的には、防刃チョッキを装備した警察官たちが私の視界に現れて、男の背後に忍び寄って取り押さえてくれたのだが、その瞬間まで演技を続けた私にとっては、随分と長い時間に感じられた。


 警察に取り押さえられた男は、特段抵抗することもなく連行されていった。占い師から望み通りの言葉を得て、もう気が済んだとばかりに、「ありがとうマヤさん」などと、白くもない歯を剥き出して笑ったのが気色悪かった。


 彼は最後まで「私」に気づかなかった。

 ベールで顔の大半を覆い、役名である紫門マヤを名乗ったのだから、無理もない。芸名の南万帆でも気づかなかったろう。もしも本名を名乗ったら、どうだったのか……


 私は、幼いころからプロのバレリーナを目指して、レッスンを積んでいた。中学生になるころには、ちょっとしたバレエコンクールに推薦してもらえるとのことで、もうそのことしか頭になかった。

「足、なげーっ! マジ、うぜーっ!」

 そんなふうに絡んでくる同級生がいたが、ただただ距離を置いていた。


 ある日の放課後、日直の勤めを終えた途端、私の頭の中には、コンクール用のバレエ音楽が鳴り響いた。

 一際高く跳躍する自分をイメージした、その瞬間——

 私の体は、本当に宙に舞った。背中を突き飛ばされた感触があった。

 校舎の階段を転げ落ち、踊り場でようやく止まって見上げた私の目には、しょっちゅう私に絡んでいた武内たけうち有璃子が走り去る姿が焼きついた……


 足を骨折した私は絶望した。コンクールに出られなくなっただけではすまなかった。

 犯人を告発しようとした私や両親を、「客観的な証拠がない」「でっちあげだ」と、担任教師や校長までもが恫喝した。たった一人、有璃子の兄だけは、警察による介入を求めて、職員室に乗り込んだらしいが、程なく不登校になった。

 ここはそういう町なのだと、私の身を案じた両親は、告発を諦めた。


 やがて骨折の治療は終わり、主治医は私に微笑みかけた。

「日常生活に支障はありませんよ」と——

 それはつまり、バレエはもう無理だという意味だった。


 劇団に入り、女優という新たな目標を得たところで、気持ちの整理が簡単につくはずもない。

 私は独り、夕闇に紛れて、武内家の周囲をうろつくようになった。

 武内家は、小さな一戸建ての二階建て。そして、いつ偵察しても、兄妹喧嘩の声が聞こえてくるような家だった。

 あのころの私は、どこかストーカーじみていた。あれだけ繰り返し喧嘩の声を聞けば、私だろうが、AIだろうが、有璃子のモノマネをできるようになるだろう。

 そして、ある日を境に、私はもう二度と武内家には近寄るまいと決心した。


 喫茶店に現れた男を見たとき、私は、有璃子の兄だとすぐに気づいた。

 中学生だったころと比較して、体重は随分と増えたようだが、容貌から当時の幼さが抜けていなかった。

 そんな彼が、血塗れの包丁を握っていた。それは誰の血なのだろうと、私の胸は高鳴った……


 男は、裁判にて、妹を刺殺したことを、あっさりと認めた。

 動機として、事件当日の朝、有璃子から、自転車のブレーキに細工をして森村蛍子を死に至らしめたという告白を受けて、憤慨したためと証言したという。

 ニュースで見た私は、ゲラゲラと笑い転げた。

 あいつは阿呆だ。鳥の雛は生まれて初めて目にしたものを親だと思い込むというが、あいつのおつむには、私のアドリブの台詞が刷り込まれてしまったらしい。

 有璃子がそんな告白をするはずがないのだ。

 だって、彼女の通学用の赤い自転車に細工をしたのは、この私なんだから!


 ところで、男は逮捕された際、急激な視力低下を訴えた。採血によって、その体内から高濃度のタリウムが検出された。

 タリウムは市販の毒薬で、飲食物に混入され続けると最終的には死に至るが、それ以前に視力に異常をきたすこともある。

 そして、彼にも、有璃子にも、いつの間にやら高額な生命保険が掛けられていたことが判明したのだった。

 

 ここは、そういう町なのだ——

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アリスの自転車は赤い 如月姫蝶 @k-kiss

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