第29話:闇 sideエスピノサ男爵家の場合




 シルビアは、エスピノサ男爵がまだ爵位を継ぐ前に、遊びで手を出した居酒屋の給仕娘が産んだ庶子だった。

 本気で一緒になろうと思ったわけでは無く、手軽な性欲処理として使っていた女だった。

 適当な手切れ金を渡し別れた後は、その存在も忘れていた位だった。

 勿論、子供を産んだ事も知らなかった。


 十年以上経ってから偶然見掛けたシルビアは、給仕娘とエスピノサ男爵の特徴を受け継いでおり、もう少し成長し男爵を知る人が見れば、すぐに血の繋がりが判るだろう見た目をしていた。

「勝手に産みおって」

 馬車の中で苦虫を噛み潰したような顔をしていた男爵だったが、ふと考えを改めた。


 シルビアの母親は、居酒屋の給仕娘をしていたくらいなので、器量良しだった。居酒屋の給仕娘は若い美人にしか出来ない、平民女性の中では憧れの高給取りである。

 それに似たシルビアは、良い政治の道具になるように思えた。上手くいけば、伯爵家に嫁がせて良縁を結ぶ事が出来るかもしれない。

 後継者は既に居るので、良い駒に出来る。

 エスピノサ男爵は、口の端をニヤリと吊り上げた。




 シルビアの母親は結婚しており、シルビア以外にも二人、結婚相手の子供がいた。

 きちんと教育をして、貴族の令嬢として扱う事を約束すると、母親も義理の父親もこころよく了承した。今までの養育費として渡した金銭に満足したのかもしれない。

 それに何より、シルビア本人が乗り気だった。


 読み書きは大して出来なかったシルビアだが、計算だけは素晴らしい才能を見せた。

 読み書きも教えられたらすぐに覚えたし、何よりも言葉遣いが綺麗だった。

「金の卵になるかもな」

 エスピノサ男爵は、自分の判断に満足していた。




 貴族令嬢として、高等学校へと入学したシルビアは、第二王子ロレンソと仲良くなっていた。

 予想外のが相手で知った時は焦ったが、愛妾ならば身分の貴賎は関係無いと、エスピノサ男爵は見守る事にした。


 愛妾ならば、問題が無かった。


 冬季休暇前の終業式の日。

 筆頭公爵家から遣わされた使者は、第二王子が婚約者に婚約破棄を宣言した事、その後釜にシルビアを据えるつもりでいる事を報告してきた。

 寝耳に水である。


「わ、私は何もあずかり知らぬ事でして」

 エスピノサ男爵の言葉に、使者は満足そうに頷く。


「それでは、これからもその姿勢を崩さずにいてください。何が起きても、そちらは全てを受け入れる。良いですね?」

 不思議な事に、パディジャ公爵家からの使者は、シルビアを罰する必要は無く、今まで通りに過ごすようにと念を押して帰って行った。




 新学期が始まり、日に日にシルビアの機嫌が悪くなり、学校に行くのに憂鬱な顔をするようになった。

 昼食に何やら自作の料理を持って行っているようだが、パディジャ公爵家の指示通り、素知らぬふりをした。


 そしてある日、シルビアは帰って来なかった。

 馭者と馬車は無傷で帰って来たので、エスピノサ男爵は、その事実をそのまま受け止めた。



 シルビアが攫われてから暫くすると、なぜか王家からの勅命ちょくめいが届いた。

「シルビア・エスピノサ男爵令嬢。第二王子ロレンソとの婚姻を命ずる」

 さすがに王家をたばかるわけにはいかず、エスピノサ男爵は素直にシルビアが行方不明である事を告げる。

 しかし、それを聞いても勅使は驚かず「知っている」と応えた。


「は?」

 思わず間抜けな声を出したエスピノサ男爵を咎めもせず、勅使はもう一度「知っている」と答えた。

 その表情は平静で、ただ事実を告げているだけである。




 本来であればシルビアが学校を卒業するはずだった日に、王宮の前にシルビアが放置されていた。

 その翌日、シルビアとロレンソの婚姻が予定通りに執り行われた。但し、書類作成だけであり、結婚式などは行われなかった。


 学校卒業と同時に王籍を廃されたロレンソは、婚姻時には単なる平民である。シルビアは後継者では無いので、ロレンソと結婚した瞬間に平民へと戻る。

 エスピノサ男爵家には、何も得の無い結婚だった。



 害は無いから良いか。

 エスピノサ男爵は、そう軽く考えていた。


 しかし、働く能力の無いロレンソは、エスピノサ男爵家の資産で寄生虫のように、贅沢な生活した。

 勅命による婚姻の為、離婚もさせられない。今は平民でも元王族である。無下むげには出来ない。


 シルビアは結婚後、誰の子か判らない子供を産んだ。それが更にロレンソを増長させた。

「こんなけがれた女と結婚してやったんだ。グダグダ言わず、さっさと金を出せ」 

 完全に落ちぶれたロレンソは、酒を飲み、賭博をし、娼婦を侍らせる。金は全て、エスピノサ男爵家から出ていた。



 筆頭公爵家であるパディジャ公爵家に楯突いたエスピノサ男爵家を助けるような、奇特な人物は居ない。

 エスピノサ男爵は、四面楚歌に陥っていた。

 爵位を売って金するか、残り少ない資産を持って他国へ逃げるか。

 毎日、毎日、寝る前……いや、一日中考えている。


 いや、いっそシルビアを……真っ黒い考えがエスピノサ男爵を染めていった。



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