第19話:意味がわからない




 覚束無い足取りで執務室を出たカルリトスは、壁に手を突きながら廊下を進んだ。

 誰かに意見を聞こうにも、この屋敷の中には人っ子一人居ない。

「あ……」

 カルリトスの顔が玄関へと向いた。

 一人居るではないか。

 自分と一緒にこの屋敷まで一緒に来た者が。


 急いで玄関へ戻ったカルリトスは、半開きになっていた扉を勢い良く開けた。

「なぁ! これから一緒に2階……へ?」

 馬車は変わらずそこに在った。

 本来は玄関前に置きっ放しにするなど有り得ない事だが、今の問題はそこでは無かった。

 馬車はあった。馬車しかないのだ。

 馬車を引く馬も、馭者も居なくなっていた。


「馭者はどこ行った? いや、それよりも馬がいなければ動かせないじゃないか」

 伯爵家としての体裁を保つ為に馬車は二頭引きで、人力で動くものでは無い。

 もしかして馬を厩舎に連れて行った? などと好意的に考えてみたが、馬車をここへ置いて行く意味が無い。


「盗まれたのか」

 やっと現実を認めたカルリトスは、ポツリと呟いた。



 屋敷に戻って2階もくま無く探したが、やはり誰も居なかった。

 使用人は元より、父親も母親も居ない。

 母親の部屋には宝飾品もドレスも、花瓶も文机すら無くなっていた。

 女性用で実用的というよりは、部屋の飾りという役目に近い家具は、運び出しやすかったのだろう。


 カルリトスの部屋も、いかにも売れそうな礼服と、日常に着られそうな服類は軒並み無くなっていた。

 そして、学校の教科書も。

 今の物ではなく、もっと幼い頃に使っていた物だ。誰か勉強がしたい使用人が居たのだろうか。それともやはり売るのだろうか。


 もはや何もする気になれず、カルリトスはベッドへ腰掛けた。

 そして、違和感。

「掛け布団が無い」

 ふんわりとした羽根布団だけでなく、その中にあった肌掛けまで無かった。

 シーツと枕だけのベッド。

 羽根布団は売れなくても、自分達で使うのに持って行ったのだろうか。



 ガックリと項垂れてベッドに座っていた。

 フと気が付くと、部屋の中が暗くなっていた。

 今までは何もしなくても夕方になると部屋に明かりが灯っていたが、それは使用人が点けていた。しかしその事をカルリトスは知らない。

 明かりの点け方も知らないカルリトスは、暗い部屋の中で、掛け布団の無いベッドの上で体を丸めて寝るしか出来る事が無かった。




 朝、目が覚める。

 カーテンも閉めずに寝てしまった為に、サンソンと朝日が差し込んでいる。

「カーテンは無事だったのか」

 天井から下げられているから取れなかったのか、大き過ぎて持ち出すのに向いてなかったのから、カーテンは全て揃っていた。

 延焼したのは応接室周りだけなので、2階は一部が焦げただけだった。


 クゥ。

 カルリトスの腹が鳴いた。

 昨日は帰って来てから何も口にしていない。

 昼食どころか、水も飲んでいなかった。

 脱水を起こしているのか、頭がガンガンと痛みを訴えていた。


 枕元に有る水差しから水を飲もうとして、その水差しが無い事に気付く。

 いつも当たり前のように置かれていた水差しは、使用人が用意していた物である。

 当然、顔を洗うためのお湯やたらいも無い。

 溜め息と共に立ち上がると、重い体を引きずって部屋を出た。



 階段を降りる。

 厨房へ向かうと、扉が開いたままになっていた。

 他の部屋と同じく、目ぼしい物は盗まれていた。

 水は、水瓶には入っているが、新しい水を供給するのに必要な水の魔石は無くなっていた。コンロも火の魔石が外されているので、使えない。


 当然、調理済みの食べ物も無い。

 すぐに食べられそうなパンも、果物も、野菜も、何もかも無くなっていた。


 カルリトスは、水瓶の中から柄杓ひしゃくで水を掬い、そのまま口にする。

 コップが無いのだからしょうがない。

 続けて3回飲んでから、柄杓を台の上に置いて厨房を出た。



 もう一度各部屋を見て回ろうと廊下の1番奥まで進み、目の前の扉を開ける。

 今まで一度も行って足を踏み入れた事の無いその部屋は、おそらく使用人の中でも下位に属する者の部屋だ。

 固そうなベッドと小さな机、壁に棚があるだけの部屋。しかも四人部屋だ。

 誰も居ないので、そのまま閉める。

 似たような部屋が何個も並んでいた。


 そのまま開けて行き、少しだけ立派な個室の扉を開ける。

 ベッドに膨らみがあり、驚いて、思わずカルリトスは扉を閉めてしまう。

 扉の前で一度深呼吸をして、もう一度、そっと静かに扉を開けた。


 足音を立てないように静かにベッドへ近付くと、ベッドの中に居たのは少女だった。

 カルリトスよりも少し下だろうか。スヤスヤと眠る姿は幼さが残る。

 相手が自分よりも非力な存在だと判り、カルリトスは手を伸ばした。



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