第12話:勘違い
ルエダ商会長は、床に転がるマルティンを冷たく見下ろしていた。
とても父親が息子に向ける視線とは思えない。
「三代目は
明らかに体調不良のマルティンを見ても、
「な……にを?」
父親としても、商売人としても尊敬している商会長からの、軽蔑の言葉と視線。
マルティンは体の痛みも忘れて上半身を起こした。
「僕が何をしたって言うんだ!」
叫んだマルティンの髪を掴み顔を上向かせ、殺意さえ含ませた商会長の言葉が低く響く。
「パディジャ公爵家に喧嘩を売っておいて、何もしてないとでも言うつもりか?」
予想外の父親の台詞に、髪を掴まれている痛みも忘れ、マルティンは目を見開いた。
パディジャ公爵家は、確かに国内では王家に次ぐ権力を持っているが、ルエダ商会は世界的に幅広く商売をしている家だ。
どちらが力を持っているかと問われれば、間違い無くルエダ商会だ。
マルティンはそう思っている。
それをそのまま父親へと告げた。
「だから、パディジャ公爵家など取るに足らない存在は、無視してやれば良いじゃないか! 何も買えなくなって苦しめば良いんだ!」
自論を声高に主張し、そう締め括ったマルティンの頬を、商会長は力一杯殴りつけた。髪を掴んだまま殴った為に、その手には抜けた髪がたくさん残っている。
対するマルティンは、無理矢理引き上げられていた上半身が、殴られた勢いで床に叩きつけられた。
「馬鹿かお前は」
場に不似合いな、抑揚の無い、酷く静かな声で商会長が語り始める。
怒鳴られるよりも、逆に恐怖を感じる声。
「何かを仕入れた時、それを運ぶのは何だ? 私で二代目のルエダ商会の輸送路など高が知れてる。うちが世界的に商売が出来ていたのは、パディジャ公爵家との提携があったからだ」
淡々と説明され、それが真実なのだと嫌でも理解する。
マルティンは、愚かな勘違いに
「そのように大恩ある公爵家を貶めるような行動をしたら、パディジャ公爵家だけでなく、他の貴族家からも
床に倒れ込んでいるマルティンの顔の近くへ、商会長がしゃがみ込む。
「そもそも平民でしかないお前が、なぜ筆頭公爵家に勝てると思い込んだんだ?」
純粋に疑問だとでもいうように、商会長はマルティンを見ながら首を傾げる。
「それは、ロレンソとシルビアが……」
王太子と王太子妃になるから、側近の自分も安泰だ、と言う言葉は商会長の大きな笑い声に遮られた。
何事かとマルティンが目を見開いて父親を見上げる。
気でも触れたかと、本気で心配になるくらいの激しい笑い方だ。
ひとしきり笑った商会長は、はあぁあと大きく息を吐き出し、笑いを引っ込めた。
「あの能無しと
真顔で問われ、マルティンは言葉に詰まってしまった。
今まで盲目的にロレンソとシルビアを信じてきたマルティンだったが、その二人よりも信頼していて付き合いの長い、尊敬する父親に「能無し」「阿婆擦れ」と呼ばれた二人を、このまま支持していて良いのか疑問を感じてしまったから。
少し、いや、大分、気付くのが遅過ぎた。
なぜ、大商会の跡取りとはいえ、平民の自分が第二王子の側近になれたか。
『こちらがパディジャ公爵令嬢の婚約者である、第二王子のロレンソ殿下だよ』
ロレンソとの初顔合わせの時の記憶が、マルティンの中によみがえってくる。
『パディジャ公爵閣下に、将来はお二人の為の目と耳となるように頼まれたからな。その為に世界中に販路を広げられるのだぞ』
そう父は言っていなかったか。
パディジャ公爵在りきの大商会、「ルエダ商会」だった。
マルティンがロレンソの側近候補になってすぐに、叙爵が決まった。
叙爵が決まったので、候補が取れて側近に確定した。
マルティンの仕事は、主に情報収集だった。
それは昔から、そして今も変わらない。
だから今回も、シルビアを虐めるフランシスカの情報を、マルティンは集めたのだ。
誰の為に?
ロレンソの為に。
なぜ?
フランシスカとの婚約を相手有責で破棄する為に。
「あ、あ……」
なぜ忘れていたのか。
やっと自分が何をしたのか理解したマルティンは、滝のように流れる汗を感じた。
今までの動いた事による汗では無い。
冷たい、とても冷たい汗。
指先が震えるのは、上手く血液が回っていないのかもしれない。
蒼白になった息子を見て、商会長は立ち上がった。
「今更もう遅い」
それたけを呟くと、マルティンを残したまま執務室へ戻り、静かに扉を閉めてしまった。
未だ立ち上がれないマルティンは、拳を握りしめ、自身の汗で濡れた絨毯をただ見つめていた。
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