第11話:商会と会長




 薄暗い店内に目が慣れてくると、いつもとは全然様子が違うのが見て取れた。

 整然と並んでいるはずの小物は雑然としており、何よりも数が少ない。

 食器類は、下に落ちて壊れてしまっている物まである。

「やっぱり泥棒か!!」

 店内を確認したマルティンは、急いで来た道を戻って行く。


 建物を出て周りを見回すが、護衛が居ない以外はいつもと変わりなかった。

 店内が荒らされ、在庫もかなり持って行かれている。それほど大規模な泥棒が入ったのに、周辺が静か過ぎた。

 何かがおかしい。

 そもそも家族は何をしているのか。

 会長である父親や、商品の在庫管理をしている母親は、今、どこに居るのか。


 マルティンは当初の予定通り、自宅への扉を開けた。



「もう駄目だ。もうおしまいだ。叙爵どころの話では無い。父が立ち上げて大きくした商会が!」

 扉を開けた瞬間に聞こえてきた父親の嘆きの声に、慌てて自宅内へ足を踏み出し……滑って転んだ。

「いってぇ!!」

 思いっ切り転んだマルティンは、尻もちを突いた姿勢で悲鳴を上げた。


「何なんだよ! クソ!!」

 余りの痛さに立ち上がれないマルティンは、自分を転ばした原因を確かめようと床を見た。

「へ?」

 散らばっていたのは紙。

 細かい文字がビッシリと書かれた紙、紙、紙。


 扉を中心に放射線状に広がっている紙は、纏めて積んだら10センチは軽く超えるだろう。

 近くにあった紙を1枚適当に手に取り、内容を確認する。

「契約書?」

 商売人の命とも言える契約書だった。



 相変わらず立ち上がる事の出来ないマルティンは、四つん這いで近くの書類を集めた。

 1枚ずつ中身を確認する。

「まだどれも期限の来ていない契約書じゃないか」

 まだ学生の身ではあれど、商会の跡取りとしての勉強はしているので、契約書を正しく読み取る事は出来た。


「え? これなんて、この前やっと契約が取れた隣国の商会との契約書だ!」

 商会長である父親が直接現地まで何度も行き結んだ、まだ自国には輸入されていない果物酒の納品契約書だった。

 マルティンの記憶が正しければ、来月から輸入が始まるはずだった。

 契約が決まった時には、家族だけでなく役職に付いている商会員も一緒に祝杯をあげた。


 こんな玄関に無造作に散らばせて置いて良い物では無い。



 マルティンは痛い体を叱咤して、情けなくも四つん這いのまま家の中を移動した。

 いつも誇りに思う広い家に、長い廊下。玄関に近い所は使用人の部屋があり、1番奥が目指す家族用の居間である。途中横に逸れると厨房や浴場があるが、今は関係無い。

 中々進まない歩みとは違う進み方には、目的地がとても遠い。


「絨毯が柔らかくて助かったな」

 幼子のようにハイハイで進みながら、マルティンは苦笑する。

 疲れて廊下に寝転がった。

 帰宅してから、まだ誰ともすれ違っていない。一人の使用人とも。異常な事である。

 焦る気持ちと裏腹に動かない体。

 移動途中で何度か立とうとしたが、上手く力が入らなかった。


 とにかく家族の元へ急ごう、と移動を再開すると、通り過ぎたばかりの右側の通路から、父親の言葉にならない嘆きと言うか叫び? が聞こえてきた。

「そうか。玄関に声が届くんだから居間じゃない。執務室だ」

 移動距離が少し短くなり、マルティンは頬を緩める。

 ゆっくりと方向転換をし、執務室のある方向の廊下を進み出した。




「うるさい! どうせ契約解除の連絡だろう!?」

 声と共に何か硬いものを壁にぶつける音がした。

 初めて聞く父親の理不尽な怒声に、マルティンは扉の前で動きを止めた。


 やっとたどり着いた執務室。

 四つん這いでの移動で、顔と言わず全身が汗だくだった。

 父に会ったら、まず使用人に水を用意してもらい、その後に医者を呼んでもらおう。そう自分を励ましながら、長い道のりを移動して来たのに、だ。

 しばらく扉の前で逡巡しゅんじゅんしていたが、一度大きく深呼吸してから、マルティンは扉をノックした。



 一瞬の間の後、返事は無いが足音が扉の方へと向かって来た。寝転んでいるからか、いつもよりも足音が大きく聞こえる。

 近くまで来た足音が止まると、勢いよく扉が開けられた。

 立ち上がれず、床に伏していたマルティンの顔を掠る勢いで移動していく扉。扉が動く事で起きた風が顔を撫でる。

 扉を開けたのは、メイドでも執事でも無く、会長であるマルティンの父親だった。


 真正面を向いていた顔は、誰も居ない事に眉間に皺を刻んでから、下へと向いた。

「……何を遊んでいる」

 汗だくで床に転がる息子マルティンに掛けられたのは、心配する声では無く、酷く冷たいものだった。



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