大商会の跡取りの場合

第10話:ルエダ商会の三代目



 を受けて酷く憂鬱な気分で帰宅したマルティン。

 馬車の扉が馭者により開けられたのを確認してから、溜め息をいて立ち上がった。

 足元を見ながら馬車を降り、玄関の前まで歩いた。


 大通りに面した一際大きな建物は、ルエダ商会であり、会長の自宅も兼ねている。1階と2階が店舗であり、3階が商会事務所、そして4階がマルティンも住む会長宅になっている。

 商会の裏口の隣に、自宅の玄関がある。

 自宅玄関の扉の先には小さめの部屋があり、4階への転移魔法陣が設置してあった。


 馬車を降りたマルティンは扉を開けようとして、違和感に足を止めた。

 視線は玄関ではなく、商会の裏口。

 いつもならば警護に雇われた者が二人、扉の両脇に立っている。

 今、その二人が居ないのだ。

 朝、マルティンが学校に行く時には居たはずだ。


 何か事件でも起きたのかと、商会の方の扉へ足音を忍ばせて近付き、ノブをゆっくりと回す。

 何の抵抗もなく、扉は開いた。

 なるべく音を立てないように、そっと、静かに、扉の隙間を開けていく。


 いつもならば店内の物音がかすかに聞こえてくる筈なのに、恐ろしく静かだった。

 扉を開けて泥落とし場があり、すぐまた扉となっている。その先が店員の休憩室兼私物置き場で、店の制服に着替えるのもここだ。

 更に扉をくぐると在庫置き場となり、その先の重い両開きの扉の先が店内となっている。


 いつもなら休憩室での会話や、在庫確認の大きな声が聞こえていた。

 それなのに、今は、まるで音が聞こえない。

 内側の扉の開閉により聞こえてくる店内のざわめきも、一切聞こえてこない。


「え? 臨時休業?」

 マルティンは休憩室へと歩みを進めた。

 よく見ると、私物を入れられるようになっている小型の洋服箪笥の扉が何個か半開きになっている。

 一番手近な扉を開けてみたが、中身は空だった。

「やはり臨時休業なのか?」

 首を傾げながら足を進め、在庫置き場への扉を開けた。



「な、なんだこれ」

 いつもはきちんと整理整頓されている在庫が、滅茶苦茶で雑然としていた。まるで手当たり次第に開けて、中身を取り出したかのようにも見える。

「泥棒!?」

 それが一番正しいように思える。

 もしやまだ店内に立て籠もっているのでは、とマルティンはきびすを返し出口へ向かう。


 そして、また目に入った扉の開いた洋服箪笥。

 もし外部の泥棒ならば、店員用の洋服箪笥の中身よりも、在庫を盗むだろう。

 そもそもこのような裏まで泥棒が入るだろうか?

 持ち物を奪うにしても、店内には裕福な貴族がいくらでも居たはずだ。


「内部犯行?」

 口に出すと胸にストンと落ちてくる。それ以外には無いような気がした。

 恐怖よりも怒りが先に立ち、もう一度踵を返す。

 在庫置き場の扉をくぐり、今度は店内への扉も開けた。




 いつもなら多くの客が押し寄せて賑わっている店内には、誰も居なかった。

 客どころか、店員も一人も居ない。

 明かりすらいておらず、シン……という静寂を表す音が耳に痛い。

「静か過ぎて耳が痛い……」

 呟いた自分の声が予想以上に響いて、マルティンはビクリと体を揺らした。


 生まれた時から大商会の跡取りであるマルティンは、自室以外で一人になるなど初めての経験だった。

 そして気付く。

 いつもなら絶対に側を離れない専属の護衛が、馬車を降りた時に居なかった事に。

 学校では? と、馬車に乗り込む時の事を思い出そうとするが、徒労に終わった。


 王族とそれに準ずる身分の者以外は、たとえ護衛であっても学校内を連れ歩く事は出来ない。

 普段は一緒に行動している護衛でも、昼間は屋敷へ戻っており、送迎時は馭者と一緒に行動していた。

 送迎時の護衛は、マルティンが馬車に乗ると、馭者と一緒に馭者台へ乗って周りを警戒しているはずである。


 彼にとって護衛は、勝手について来るモノで、自分が気に掛ける対象ではなかった。だから今まで、居ない事にも気付かなかった。

 職務怠慢で父に報告しなくては、と怒りを覚えながらも口を開いた。



「あ……」

 専属護衛を呼ぼうとして、名前を知らない事に自分で驚く。紹介はされたはずなのに、常に側に居たので名前を呼ぶ必要性を感じず、いつの間にか忘れていた。

 マルティンはいつも「おい」とか「ねえ」と声を掛けていた。

 いつも一緒には居たが、相手は仕事であり賃金を貰っているので、マルティンが感謝する必要など無い存在だった。


「ねえ、居ないの? 居るよね?」

 扉の外へ声を掛ける。

 誰の返事も無く、誰かが姿を現す事も無い。

「おい! 本当は居るんだろ?! 早く出て来いよ!」

 かなりの大声をマルティンは出したが、物音一つ返って来なかった。



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