第9話:堕ちる sideエンシナル伯爵




 いつものように騎士団長に与えられた執務室で書類業務をしていたエンシナル伯爵―ファビオの父親―は、突然ノックも無く部屋になだれ込んで来た近衛兵に驚き、動きを止めた。

 騎士団長は騎士の統括者だが、近衛兵は王直属の部隊なので別に近衛兵長がおり、お互いに影響の及ばない組織である。

 それにしても突然複数人で押し掛けるなど、余りにもゆるし難い蛮行であった。


「おい! これは何事だ!」

 騎士団長らしい恫喝の声を口にしたエンシナル伯爵を物ともせず、近衛兵達は無表情で取り囲んだ。利き手は、いつでも抜けるように剣の柄を握っている。

 その中から顔見知りの近衛兵長が前に出て来て、正式な書類をエンシナル伯爵へと提示する。その内容を見て、エンシナル伯爵は目を見開いた。

「貴方には国家転覆罪と反逆罪の疑いがある。我々と共に来ていただこう」

 執務室に近衛兵長の威厳ある声が響いた。


 第二王子であるロレンソが、婚約者であるフランシスカに婚約破棄を宣言してから、まだ数時間。昼の鐘も鳴っていなかった。



 青天の霹靂。

 正しくその言葉が当て嵌まる状況に、エンシナル伯爵は追い込まれていた。

 国家転覆罪など、貴族に科せられる1番重い罪状である。

 なぜ。

 その謎は、連れて行かれた部屋ですぐに明かされた。


 筆頭公爵家であるパディジャ公爵家の護衛が、終業式前の騒動を録画した物をエンシナル伯爵へと突き付けたから。

 筆頭公爵家の令嬢をおとしめるなど、


「わ、私は何も知らな……」

 知らなかったと言おうとして、エンシナル伯爵は動きを止めた。

 自分の息子がパディジャ公爵令嬢を椅子から引き落とし、そのまま引きずって行く姿が目に入ったから。

 もう「知らなかった」とか、そういう話では無いのだ。


 息子ファビオは確実に罪人だった。




 最後まで再生された映像は、確かに国家転覆を疑われてもしょうがないものだった。

 第二王子が公爵令嬢との婚約を破棄宣言しておきながら、自分は王太子になると確信している。

 それは、公爵家の後ろ盾が無くても、王太子になれる理由が有るという事。


 筆頭公爵家の令嬢にいわれの無い罪を着せ、婚約者の挿げ替えを匂わせている。しかもその相手が男爵令嬢であり、その下賤な女を側近達皆が認めているのだ。


 後ろにいるのは敵対国か、国家転覆を図る組織でも有るのか。


「エンシナル伯爵。本日をもって、貴殿の騎士団団長の任を剥奪する」

 辞任や解任ではない。剥奪である。

 これ以上無い不名誉な辞め方だ。

「今日は帰ると良い。家族との別れをしてくるんだな」

 近衛兵長がエンシナル伯爵の肩に手を置く。

「なぜ、筆頭公爵家に喧嘩を売った」

 耳元で囁く声は、長年の同志へ向けた憐憫れんびんが含まれており、答えは求めていないようだ。その証拠に、周りには聞こえない位の声だった。




 監視付きで屋敷へと帰ったエンシナル伯爵は、妻と息子と最期の別れを済ませた。

「ヘラルド、これから大変だろうがエンシナル家を頼む」

 嫡男の手を握る伯爵の手は震えている。

 息子へ爵位を譲る事は認められたが降爵は免れず、子爵になるか男爵になるかはこれからの行いで決まるだろう。

「今までもエンシナル家を、そして私を支えてくれてありがとう」

 次いで妻の手を握り、その甲へ頬を寄せた。


「筆頭公爵家に喧嘩など売らなければ、ここまで酷くならなかっただろうに!」

 絞り出すように、呻くように紡がれたヘラルドの声。

 これからエンシナル伯爵は、有りもしない組織や他国との繋がりを調べられる為に、生涯牢獄へ幽閉されるだろう。

 冤罪だろうが関係無い。

 フランシスカを傷付けられたパディジャ公爵家当主の怒りは、それだけ凄まじいのだ。



 最期の別れを済ませ、最後の晩餐をと食堂へ移動した家族の元に、元凶の帰宅が告げられる。

 ヘラルドは同席を拒否したが、「最後だから」と言う父親の言葉に渋々折れた。

 皆が謝罪の言葉を、反省の言葉を待っていた。


 しかしファビオからは一言の言葉も無く、いつもと全く変わりの無い様子であり、今日の出来事の報告すらされなかった。

 それどころか、騎士団へ迷惑を掛けない為に、もう行かないようにと告げたエンシナル伯爵の言葉に反発さえしてきた。




 監視の近衛兵を待たせている伯爵は、食堂を出た後は何も持たずに応接室へと向かう。

 ヘラルドはその背中を無言で見送った。

 食堂へ残った母親の絶望は大きく、食事も喉を通らない様子で、ただただ食材を刻んでいた。



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