第8話:捨て駒は誰




 翌朝、ファビオはいつも通りの時間に目が覚めた。

 寝た時間はいつもよりかなり遅かったのだが、体に染み付いた習慣が寝坊を許さなかった。

 しかし、部屋の中はいつもと違い、暗い。

 早く目が覚めてしまい、まだメイドがカーテンを開けに来ないのかと思い窓辺へ行き、勢いよくカーテンを引き開ける。

 そこにはファビオの予想を裏切り、部屋の中を明るく照らす太陽が昇っていた。


「あ? 何だよ朝じゃんか」

 おかしな台詞だが、ファビオの心情を表した言葉だった。

 まだカーテンを開けるには早い時間、日の出直後の早朝を予想してカーテンを開けたのだから。



 朝はファビオが起きる前にカーテンが開けられ、ナイトテーブルに洗顔用のお湯が置かれているのが常だった。

 ベッドは窓から離れており朝日は直接当たらず、お湯は熱湯に近い温度を置いておき、目覚めた時には適温になっている。熱い場合用に水差しも置いてあった。

 ファビオが一人部屋を与えられた時から変わらず行われる、当たり前の事。


 しかし今朝は、カーテンも開いておらず、洗顔用のお湯も無い。


「ふざけんなよ」

 夜着の上にローブを羽織り、ファビオは廊下へ出る。

 ファビオは気付かなかったが、実は着替えも用意されていなかった。

「おい! 誰か居ないのか!」

 廊下に響き渡るくらいの大声を、ファビオは出した。

 だがしかし、その声に反応する者は誰も居ない。

 この時間に確実に使用人が居る場所……厨房へとファビオは向かった。




「何をしているんだ、貴様!」

 ファビオが厨房へ入ると、なぜか料理長ではなく平民のメイドが調理をしていた。

 その姿に、反射的に怒鳴る。

 しかしメイドは怪訝な顔をしただけで、作業を止めない。

「えっと……奥様に頼まれて、朝食を作っております」

 メイドの手元には、ベーコンと目玉焼きが載ったフライパンがあった。


「ふん、そうか。ならばそれが終わったら、俺の朝の支度をしろ」

 自分付きのメイドでは無いと理解していたが、他に見掛けない為に、ファビオはメイドに命令をする。

 だが、メイドの返答はファビオが予想したものと違った。

「いえ。奥様から二人分の朝食を用意したら、奥様の世話に戻るように言われております」

 完全な拒否である。

 しかもその会話も調理の手を止めず、ながら作業で交わされる失礼なものだ。


 余りの無礼さにファビオが二の句を継げずに居ると、メイドは二人分の食事をワゴンに載せて動き出した。

 そのまま部屋を出ようとするメイドに、ファビオは慌てて声を掛ける。

「おい! 俺の分は?!」

 足を止め、チラリと振り返ったメイドは、酷く冷たい視線をしていた。



「私は、奥様とヘラルド様の分を作るように言われましたので」

 ヘラルドとは、長男の事である。

 そして言うだけ言うと、メイドは前を向いて歩き始める。

「昨日、忙しくて食べられなかった奥様の為に残して置いた昼食が、ネズミにかじられて駄目になってしまいましたので、厨房に置きっぱなしには出来ないのです」

 メイドの言葉を聞いて、ファビオはあの不味い昼食が誰の物かを知った。


「あんな不味い物は食わなくて正解だ」

 フンッと鼻で笑ったファビオを、メイドが無表情で見つめる。

「あれは後で美味しく食べられるようにと、辞めた料理人が最後に、お世話になった奥様への感謝を込めて作った物でした。下味しか付いていないので、食べる時にソースを掛けて焼き直し、温かくして奥様へ出すようにと、残る私に託されたのです」

 それを汚いネズミが……とメイドが怨嗟の声で呟く。

 足を止めもせず、ファビオの方を向こうともしないメイド。


「そ、それが伯爵家の人間に対する態度か!」

 ファビオが高圧的に怒鳴りつけると、メイドはわざとらしく首を傾げた。

 そして心底不思議そうに言葉を口にする。

「私は奥様に、この屋敷にはもうご子息はヘラルド様だけだと伺いましたが。頭の黒いネズミは、手続きが済めばから、何も世話をするなとも」


 メイドは歩きながら、抑揚無く言葉を続ける。

「頭の黒いネズミが伯爵家から消える理由は、罪人落ちするからだそうですよ。何をしたら貴族から罪人になるんでしょうねぇ。存在を消されるほどの、罪人ですよ、ざ・い・に・ん」

 あははと声を上げて笑ったメイドの後を、もうファビオは追えなかった。追う気力が無かった。

 遠ざかる背中をただ呆然と見送る。


「罪人……?」

 立ちすくんだまま、何もない中空を見つめファビオが呟く。

 メイドの行動が、敬愛するエンシナル伯爵夫人をはずかしめる事になったファビオを恨みおとしてめているなどと、ファビオ本人は気付く余裕が無かった。



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