内部スクリーンのタイムカウンターは14秒を表示していた。


展開解除アンデプロイ


了解コンセント


 深紅の潜むものダイバーは装甲を展開させ、内部からエッジを放出する。 


 エッジは空中でも臆することなく姿勢を保ち、まだプスプスと煙を上げている火口の底に着地する。そして火口の縁の方で未だに絶対防御魔法ワールドクリフを発動させているシンシアに向き直り、全力で走っていく。


「姫!」


「エッジ!」


 シンシアは魔法を解除し、エッジを迎え入れる。


 エッジはシンシアの目の前に立つとすぐに跪き、その手を取って手の甲に接吻をした。


 そして得意げに彼女を見上げた。


「14秒でした」


「最初に言うのがそれかー!」


 シンシアは笑った。


 元の漆黒の鎧姿に戻った潜むものダイバーも着地するとゆっくりと2人に歩み寄ってくる。


「まだ魔法は維持できたのに」


 シンシアは茶目っ気たっぷりで婚約者に言う。


「いやいや。これでもひやひやものだから」


「もっと維持できるようにスタミナつけるの頑張るね!」


 シンシア姫の輝くばかりの笑顔でエッジの疲労は吹き飛ぶ。


「いやーもーかわいい~」


「嘘だ! 今の私、たぶん、すごい顔してるよ!」


 魔法力を使い果たし、綱渡りの数多の戦闘を経たシンシアの顔は疲労の色が濃く、やつれている。それでもエッジには芯から輝くような彼女の笑顔が眩しい。


「世界の誰もがそう思わなくても、僕だけが姫のことをかわいいと思っていれば、それでいいんだ」


「それはそれで嬉しいけど、複雑だなあ」


 シンシアはプイと横を向き、拗ねた顔をしてみせる。


「大丈夫、きっとみんな、君のかわいさに気づくから」


「そんなことがあるはずが……」


 そこまでシンシアが言いかけて、エッジは彼女を抱きかかえる。


「さあ、オンポリッジに帰ろう」


 しかしエッジが麓の方を見ると、複数の灯火がちらちらと動き、揺らめき、探検隊が火山に登り始めているの分かった。アンバー少佐が指揮をとっているのだろう。


「いや、疲れたから、待つか。どうせ説明しないとならないし」


「じゃあ、降りるか」


 シンシアはそう言ってエッジを促し、その場にしゃがみ込む。


「お腹減った~」


「もう少しの我慢です」


「なんて、補給食を食べようかな」


 シンシアは腰の小袋から銀紙に包まれた細長いビスケットを取り出し、エッジにも渡した。パーティで並べられていたものだと思い出し、エッジはクスリと笑う。


「姫はこんなにお腹が減ることを予想していたんだね」


「少しでも魔法力の足しになるかと思って。負けられないじゃない、絶対」


 シンシアは銀紙をめくり、細長いビスケットを食べ始める。エッジも真似して先からかじっていく。少し塩味がして、美味しかった。


『私はそろそろおいとましましょう』


「ありがとう潜むものダイバー


『またいつでもお呼びください。それではご機嫌よう、シンシア姫』


「本当に助かったよ。ありがとう」


 エッジとシンシアが小さく手を振る中、潜むものダイバーは全身の機械眼を消灯させ、エッジの影の中に沈んでいった。


 これで本当に2人きりになった。


 周囲には羽根ある外神とその眷属、そして混沌の従神がいたことを示すものは何も残っていない。全て泡となり、風に乗って消えてしまった。


 火口の縁に設置されていた5基の魔法装置は、羽根ある外神の咆哮で1基は跡形もなく消え去っていたが、残り4基は潜むものダイバーの高エネルギー照射に溶けていたが、元の形状は保っている。魔法力を供給するための部品になっていた魔道士が無事な可能性は高かった。


 探検隊より一足先にコウモリ1・5号が戻ってきて、シンシアに報告をしたがっていたが、今は彼のデータを読むだけの魔法力が彼女には残っていなかった。


「お前も本当に大活躍だったね。ありがとう。私が回復したら話を聞かせてね」


 コウモリ1・5号は大変残念そうに彼女の懐の中に戻った。しばらくすれば思う存分、報告できることだろう。


 シンシアはコウモリ1・5号がスリープ状態になったことを確認するとエッジの顔を正面から見た。


「さて――少しは話をしてくれるのかな。探検隊が到着するまで、まだ時間がある。あの天空から降り注いできた、神々さえも焼く膨大なエネルギーは一体どこから来たのか。潜むものダイバーは一体なんなのか。自動人形オートマタに見えるけれど、普通の、いや、第一級の魔道士による特別製の自動人形オートマタですらないことくらい、もうさすがに分かる。あなたはどうして、そしてどうやって潜むものダイバーを従え、あの強大な力を呼び出すことができるようになったのか、『女神の永遠の騎士』って、なんのことなのか――まだまだ聞きたいことはあるけど、今、言ったことは婚約者の私にも説明ができないこと?」


 エッジは首を横に振った。


「姫にも説明しないとならないとはずっと思っていた。でも、聞いても何も変わることもない。思い出してくれれば、それが1番いいと思っていた」


「思い出す? ――そうか、ハイランダー卿もあなたも私のことを月の女神シンシアだと言っていた。泣き虫女神なきめさわとも。その記憶だね。なぜ私にそんな存在でそんな記憶があるのか、本当に私が本当にそんな存在なのか、なぜ分かるの?」


 エッジは目を閉じ、少し、上を向いた。


「その記憶があるからこその『女神の永遠の騎士』だから。話せば長くなるし、信じてもらえるかも分からないから、少しだけ話すけど、『放射線外部照射』は、文字通り世界の外側から外神の手によって照射されている。それは広範囲に及ぶ無差別攻撃兵器であると同時に潜むものダイバーの緊急エネルギー充填方法でもある。そして潜むものダイバーはその外神からこの世界に送り込まれた自律型強化外骨格。そして『女神の永遠の騎士』を取り込むことによって、彼の最大の力を、最小範囲に、適切に注ぎ込むことができるようになる。『がらんどうの外神』とハイランダー卿が揶揄していたのは、そういうこと。潜むものダイバーは外神そのものと言ってもいい。あの羽根ある外神とは別の世界から来た存在、だと思う。外神は数多の異世界からやってくるからね」


泣き虫女神なきめさわを救うための外神――だから潜むものダイバー絶対防御魔法ワールドクリフを発動させた私にも攻撃するフリをすることすらできなかったのね」


「理解が早くて助かるよ」


 エッジは目を少し開け、シンシアを見た。


 シンシアは少し声を震わせながら聞いた。


「じゃあ、私と結婚しようっていったのも、その記憶から――?」


 彼女は不安げに見えた。


「それは、かわいいから!」


 エッジは両拳をガッと固めて、自信たっぷりに応えた。


「え?」


 シンシアはあっけにとられたような顔をした。


「だから、僕はもう、最初から言っていたでしょう? 順番間違えたけど、思わず心の叫びが漏れるくらい、姫はかわいい!」


「そうじゃなくって――君が私のことを愛してくれるのは、『女神の永遠の騎士』の記憶があるから。前世なのかな、前世で私のことを愛してくれたから? 今の私を、愛してくれたの? ずっと、不安だった。どうしてこんなに素直に君と自然に過ごせるのか不思議だった。その謎はとけた。覚えていないけど、ううん、今は前世にずっと一緒だったからなんだね」


 真顔になっているシンシアに対し、エッジは悩む。


「その点はアドバンテージだったと思っている」


「アドバンテージ?」


「姫の側に寄りそうことが、僕の旅の一つの終着点だったから。姫に会ったとき、旅が終わったって思った。心が騒いで、どうしようもなかった。いろいろ考えていたよ。姫の警戒心をといて、うまいことやって、きちんと社交パーティをこなして、伯爵に気に入られて、結婚コースに乗れれば、姫が泣き虫女神なきめさわだったとき、様々な魑魅魍魎から守るのに都合が良い。僕の人生の大半は『女神の永遠の騎士』であることを強いられるから、それは仕方のないことだと思っていた」


 シンシアは黙ってエッジの言葉を待っていた。


「でも、姫を一目見たとき、心が騒いだ。こんなかわいい子を守れるのなら、こんなかわいい子と一緒にいられるのなら、『女神の永遠の騎士』でいて良かったと心から思った。この気持ちは、僕の気持ちだ。『女神の永遠の騎士』としての役割じゃない、残り少ない僕自身の時間に許された大切な宝物なんだ。僕は姫に恋をした。だから、失敗もしたけど、なんとかなったし、恋をした相手が、すぐに心を許してくれるなんて、アドバンテージというしかないよ。毎日が楽しかった。姫が側にいてくれて幸せだった。僕の方こそ不安さ。姫は、姫の気持ちで、僕のこと、好きでいてくれている?」


 今度はエッジが震える番だった。


「そんな話を聞いた後じゃ、自分の気持ちに自信ないよ。でも、最初から、行かず後家一直線の身の上で、あなたみたいな好条件が揃った婚約者が現れてくれるなんて天にも昇る気持ちだった。自分の身の幸運を嬉しく思った。だからね――」


 シンシアはエッジに手を伸ばした。


「今は、ギュウ、してくれる?」


 そして小さく首を傾げて、照れながら微笑した。


「かわいい! かわいい!! かわいい!!!」


 エッジのテンションは戦闘後で疲れ切っているというのに、一気に上がりきり、全身にアドレナリンが駆け巡るのがわかった。


 エッジはシンシアの手を取って立たせるとそっと彼女を抱きしめる。


「これはギュウじゃない」


 エッジはもう少しだけ力を込める。


「よろしい」


「光栄です、姫君」


「大好きだよ、エッジ。これは間違いなく、今の私の気持ち。あなたと出会って、一緒に過ごして生まれた本当の気持ち」


「僕もだよ。だってこんなにも君に恋している!」


「帰ろう――あなたの土地に」


 エッジはシンシアが“帰ろう”と言ってくれたことに感激する。


 シンシアはエッジの腕の中で彼の顔を見上げていた。


「――帰ろう」


 エッジは小さく頷いた。


 自分のものではない流浪の記憶が、それがどれほど大切で貴重なものなのかを教えてくれる。過去と未来の無数の『女神の永遠の騎士』が得たくとも得られなかったものが、そこにある。ならば今の自分は、全ての『女神の永遠の騎士』のためにこの幸せの記憶を過去と未来に持っていかなければならないと思う。


 その記憶を糧と力にして、戦い続けなければならないから。


 どれほど時間が経っただろう。遠くから自分と姫を呼ぶ声がした。


 意外と近くまでアンバー少佐たちが来ているようだった。


 さて、彼にどこから話をしたものか。


 エッジは考える。ハイランダー卿はアンバー少佐のことを『君の介添人アテンダー』と言っていた。介添人という言葉も、彼に言われるまで全く頭になかった。全く不便だ。本当に自分の介添人だとすれば、幸運にもほどがある。今回は彼がいてくれたからこそ、何の邪魔もなくハイランダー卿と対峙できたのだろうし、他の外神信者を抑えることもできたのだろうから。


 エッジは今度こそしっかりとシンシアを抱きかかえ、眼下に見える無数の灯火の方に向き直る。


「じゃあ、まずはアンバー少佐と合流しますか」


「うん!」


 腕の中のシンシアはすっかり元気を取り戻していた。


 エッジは岩肌むき出しの斜面に飛び出し、滑り落ちるようにして、迎えに来る探検隊の方角へと下り始めたのだった。

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