翌朝から待避壕から天幕の部材を搬出して、野営地の再設営が始まる。ハイランダー卿が無理に動く気配はない。また普通の探検の再開となった。


 野営地の夜間警備も楽なものに変わっていた。混沌の軍勢が、この地の混沌を吸い上げて、実体化していた部分もあったのだろう。相対的に秩序の力が増して混沌の怪物はほとんど出現しなくなっていたのだ。


 測量は順調に進み、1週間後には野営地がぐるりと島の周囲を一周した。火山はきれいな円錐形を描いているお陰で、らせん状に標高を上げることができ、良い感じで測量は火口付近一帯を残すだけとなっていた。


 また、蒸気艦から観測用の熱気球が下ろされ、観測に使われた。熱気球単体では移動手段がなく、また島の周囲の風の流れが不明のため、地面にロープでつながれての運用だったが、高度を稼いで周囲を観察できるのは大きなメリットだった。シンシアも1度乗せて貰って上空から島を眺めたが、火口部分は厚い雲がかかり、何も見えなかった。それでも混沌でもなく秩序でもなく、魔法の力に頼らずに人間が空を舞う装置を発明したことに、シンシアは感激した。


 また、秩序の力が増したからか、緑が芽吹き始めた土地があり、海鳥が羽根を休めるような場面も幾度か見かけるようになっていた。気球に乗っている間も、海鳥が興味津々に寄ってきて、シンシアに挨拶をした。


 このまま無事に探検が終わればいい、そうシンシアはそう思わずにはいられなかったが、火口に至れば古代遺跡――おそらく外神の神殿を見つけられるはずだ。外神とはこの世界の神ではない存在の総称であるが、火口には既に魔法装置が設置されているのだからなんらかの組織が関わっていると考えるべきだろう。探検隊の中にもいるであろう外神信者がそれを用いた何かの準備を進めているはずだ。ハイランダー卿が外神信者なのか、それとも外神信者を利用しているだけなのかは定かではないが、関わっていないはずはない。


 少なくともこのまま斥候隊として火口に行き、みすみす罠にはまる展開は避けたかったが、代案は浮かばなかった。


 ただ、いいニュースはあった。騎士団が他のS級ダンジョン制覇者にあたりをつけ、協力または不干渉の確約をとったのだ。外神がらみであれば協力は得られるがそれ以外は不干渉ということになる。何かトラブルがあっても不干渉なのは探検隊の契約の外なので当然のことだが、外神となると沽券に関わるわけだ。ただそれすらどこまであてにして良いのかは分からない。ただ騎士団が潜入していることを敵に知らせてしまっただけの可能性もある。


 考え続けている内に、翌日は火口へ斥候隊を出すことが決まり、ひと段落したということで、屋外パーティを催すことになった。暴風の後、海は安定したため、大型の貨物船であればこの島まで来られるようになっていたから、パーティのためにケータリング会社が来てセッティングし、マスコミまで来ることになった。17海里という通常では考えられない近距離での探検である。『宴』を退けたという話題性も十分だし、マスコミとしては来ない手はない。スポンサー的にも宣伝効果抜群だ。


 浮桟橋の前の広い平坦な土地に移動式のガス灯が幾つも立てられ、無人島に似つかわしくない丸テーブルには真っ白なテーブルクロスがセットされ、一流ホテルのケータリングの準備が整う。料理が並べられ、スープが温められ、ワインクーラーではシャンパンが冷やされている。


 夕日が西の空にかかり、空を赤く染めた頃、パーティが始まる。


 探検成功の前祝いにはもってこいのシチュエーションだ。


 とはいえ、パーティといっても隊員たちはドレスアップできるようなものを持ってきていないし、マスコミ的にもそれは求められていない。探検隊の非日常を画像に収めたいのだからそれでいいのだ。


 パーティはスポンサーを代表して海運会社の代表取締役の挨拶で始まり、無難に探検隊長のハイランダー卿がこれまでの成果を発表、サブスポンサーの港湾工事で有名な会社の代表取締役の乾杯となった。


 マスコミの注目を一番集めたのは『従神みともとのかみ』を封じた『灰色キツネのお姫さま』だった。シンシアはいつも通りの茶褐色のローブでパーティに出席し、久しぶりのスイーツに舌鼓をうっていたが、新聞記者に呼びかけられてはエッジが追い返すの繰り返しで、辟易とした。探検隊の事務局からは特に対応を求められなかったから、応じる義務もない。ただ、エッジと2ショットを撮りますと言ってきた新聞社があり、それには喜んで応じた。あとでパネルにしてお送りしますね、とまで言ってくれて嬉しかった。


「マスコミの対応が違うね」


 アンバー少佐は他人事ながらも嬉しそうだ。エッジが言葉を継ぐ。


「探検家に適性があるなんて新聞には書かれていたみたいだね」


「マスコミは勝手だ」


 シンシアはスイーツを食いだめする。先の戦いでやはり体重は減っていた。今度のために身体にエネルギーを蓄える必要がある。クリームの油で胸焼けしそうだが、ここはお腹を壊さない程度に頑張る。


「ところでお2人さん、フル装備なのはマスコミ向け?」


 シンシアだけでなく、エッジもまた、腰に2本のナイフを装備し、いつでも戦闘ができる格好だ。そういうアンバー少佐も帯剣こそしていないが、実戦的な格好をしている。


「この方がマスコミが嬉しいでしょう?」


 シンシアはそう言うが、実際は想定外の出来事に対応するためだ。アンバー少佐は確認のために言っているに過ぎない。エッジもアンバー少佐もアルコールの類いは一切口にしていない。アンバー少佐はエッジに聞く。


「今夜くらい?」


「明日だしねえ」


 明日、火口に向けて出る斥候隊にはハイランダー卿が直々に出るだけでなく、3人ともエントリーされている。


 給仕がシンシアにハイランダー卿からの伝言を伝えた。


 ハイランダー卿は直接、彼女に話をしたいとのことだった。


「行かないわけにはいかない」


「僕も同行しよう。ダメと言っていたわけではないなら、想定の内だろう」


 エッジはシンシアを安心させるように言う。アンバー少佐は部下を集め、距離をおいて様子を伺うことにした。


 シンシアは貴族の姫君らしからぬお行儀悪いことにシュークリームを頬張りながら、ハイランダー卿がいるテーブルに向かう。


「ここで始まる?」


 口の中にクリームがあるのにシンシアはエッジを見上げ、言った。


「そうはあって欲しくない」


 ということはエッジも戦闘開始を想定しているのだった。


 ハイランダー卿のテーブルは浮桟橋から一番遠い場所に置かれていた。上座ということなのかも知れないが、宴の端になる。


 テーブルは人払いが済んでいて、ハイランダー卿が1人でグラスを傾けていた。彼もシンシアたちと同様に何故か戦闘準備が整った格好をしている。マスコミ向けだと思いたかった。


「シンシア姫、よく来てくれた。オブシディアン男爵もご足労痛み入る」


 ハイランダー卿は椅子に腰掛けるよう促したが、2人は座らない。いや、座れない。何かあったとき確実に1テンポ遅れるからだ。


「私はお話があるそうで」


 シンシアはハイランダー卿を見据えた。アルコールが入っている割にはしっかりしたまなざしで見返してきた。その後、自嘲気味に笑った。


「上手く例えられないのだが、まだ何も知らない者を見ていると口を挟みたくなる、というのに似ているかな」


 似ている、ということは違うと言うことだ。


「どういうことでしょうか」


 ハイランダー卿は白ワインを手酌した。


「人間は未来を知らないから先に進める。己の未来が見えてしまった老人は先に進まず、どのようにかして死を受け入れる。君はまだ未来を知らないのかな」


 そしてグラスを2人に向ける。


「年老いた者であっても未来は見えないでしょう。1日1日を生きていくしかない」


 シンシアはごく当たり前のことしか答えられない。


「――オブシディアン男爵は、どうなのかな」


「未来は知りません」


 エッジは首を横に振る。


「しかし運命は知っている。君はそういう存在のはずだ」


 シンシアはエッジを見上げ、顔色を窺った。エッジは顔色を変えず、応じる。


「運命など、自分の力で切り開くものです。そのために人間は足掻くのです」


「足掻く。いい言葉だ。まさにその通りだ。足掻けなくなった人間は死を待つしかない。それだけのことだ。だが違う。足掻けなくなったその瞬間、時に溺れ、必死に空気を求め、浮かび上がろうと藻掻く」


 エッジは頷いた。


「そうだろうと感じていました。あなたも同類ですか」


「同類だなんて生ぬるい。


「足掻くのを止めた者を自分とは思えません」


「足掻いているよ。ただ、その足掻きが君と私では異なるだけだ」


 2人が何を話しているのか、シンシアは全く理解できない。


「『呪われし者』」


 エッジはハイランダー卿を見据える。見据える以外、応えられることはないと言わんばかりだった。


「この永劫にも思われる魂の輪廻から逃れ、解脱することこそ、人間が求める真理だ。呪われているのは変わらぬ運命に縛られている君の方だろう。まあいい。ここで言い合っても埒があかないことくらい分かっている。私もかつて『呪われし者』に同じことを言ったからな。『女神の永遠の騎士』よ」


「僕にはまだその資格がない。その名で僕を呼ぶな」


「いいや。十分だよ。あの最終階位魔法は、世界を亘る力にふさわしい。シンシア姫は君の存在を得て初めてこの世界の『月の女神シンシア』になった。君が生まれ育った地方では『|泣き虫女神ナキサワメ』だったか。何故その名なのか興味があるが、今はそれが目的ではないな」


「あなたの『女神』は?」


「とうに亡い。なのに老体を晒し、生きている。理由が分からぬ。新たに現れた『女神』には君が――新たな『女神の永遠の騎士』がついた。これはどういうことなのだろう。いろいろ考えた。何故私の『女神』ではなかったのか、と」


「魂の輪廻を経れば、あなたの『女神』がまた現れる。僕のように」


「永劫に続けてきたそれで、世界を救えるとは、思わん」


 ハイランダー卿はワイングラスを空にすると立ち上がった。


 シンシアは会話に入れないまま考え続けていたが、思い至った。


 エッジは最初から私を自分の『泣き虫女神ナキサワメ』だと言っていた。


 そしてその女神はこの世界そのものだとも言っていた。


 おそらくエッジはどのくらいかは分からないほどの昔から、自分を知っていたのだ。


「それ故に外神の力を使うか」


「外神の力を使うのは我らの常套手段ではないか」


 ハイランダー卿は激高したが、すぐに己を取り戻した。


まかり通る」


 宣言の後、ハイランダー卿が瞬速の蹴りで丸テーブルを蹴り倒し、エッジとシンシアの視界を遮った。


 テーブルクロスと料理が舞う中、シンシアはそれらを回避、エッジは無視して腰のナイフを抜き放つ。ハイランダー卿から目を離すのはたとえテーブル越しでも危険だということはわかりきっている。


 その刹那の間の後、ハイランダー卿の左拳がテーブルを突き破ってエッジを襲った。




 こうして無数の未来と過去、そして数えきれぬほど数多くの世界で繰り返されることになる『女神の永遠の騎士』と『呪われし者』の戦いの火蓋がこの時間軸で切って落とされたのだった。

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