第7章 運命の始まり

 コットンベッドの上のシンシアが目を覚ますとすぐ横にエッジが座っていた。彼はまんじりともしていない様子だった。


「お目覚めですか」


 すぐ側にエッジの笑顔があることにシンシアはかけがえのない心のピースがはまったような、かっちりとした気持ちよさを覚えた。


「どれくらい寝てた?」


「4時間くらいかな」


 待避壕の外はもう明るくなっているのが分かった。


 巻物スクロールを使ったとは言え、神を封じるのは体力を消耗する。まだ身体の至る所が軋んでいる。ただ、魔力はやや回復していた。最終階位魔法の行使になれつつあるのが分かる。


 『死の従神みともとのかみ』を封印した巻物スクロールはすぐ側の荷箱の上に置かれていた。まだ大人しくしているようだ。神の1柱をどれほど押さえつけておけるか甚だ怪しいが、展開を変える切り札となり得る。それまでは巻物スクロールの中に鎮座いただかなければならない。


 エッジにコウモリ1・5号がもたらした情報を伝えなければならないが、どうやってハイランダー卿の目を欺くか、悩む。


 シンシアの中ではハイランダー卿が黒幕であることが確定している。何か証拠があるわけではないが敢えて言葉にするならばがその証拠だ。要は不自然と思えるのは自分のことを可愛いと言った2人目だからなのだが、心からそう言っていた様子だったのが問題なのだ。客観的な探検家としての偉大な実績はさておき、目の前にしたハイランダー卿は偉丈夫の好々爺であり、英雄に足るオーラを身にまとっていた。普通の人間ならそのカリスマに抗うことはできないだろう。今のところ探検家としての判断は何も間違っていない。自分が最終階位魔法を使わなくとも、手持ちの戦力で『従神みともとのかみの宴』を退けられたことも想像がつく。偉大な探検家の適切な判断だ。


 だが、注意しろ。エッジとハイランダー卿には何かしらの共通点がある。それは危険なものだ。


 そう頭の中にいる誰かが言うのだ。


 そして信じるべきはエッジであり、ハイランダー卿ではない、と。


 心の声を無条件に信じるわけではないが、状況証拠的には正しい。混沌が安定し、秩序の勢力が増していたからこそ探検が始められた島に突如『従神みともとのかみの宴』が来訪すること自体、不自然だ。戦闘前に予想したとおり、探検隊の誰かが召喚したと考えるのが自然だ。それを他の誰にも悟られずにできる、またはやらせられる人間がいるとすれば彼以外にいないだろう。目的は分からない。だがいろいろ考えられるのも確かだ。


 さて、どうしたものか。


 イチャイチャしながらの情報交換も限界があるが、ここで彼に伝えないと後手に回ることになる。それは避けたかった。


「外の空気を吸いたいな。つきあってくれる?」


 シンシアは少しよろめきながら立ち上がった。エッジは心配げだ。


「もう。そんなんじゃ言われなくてもついて行くよ」


 エッジはシンシアのあとを歩き、待避壕から出る。


 朝日が眩しく、空は昨夜の暗雲が嘘のように晴れ渡っていた。やりきった感がある。


 混沌の軍勢の屍は朝日に溶け、混沌の霧へと変わり、風に凪がされていく。いつかはまた何か核になるものに取り込まれ、上級魔人になる日がくるかもしれない。


 シンシアは手頃な岩に腰掛け、エッジを見上げた。


「さて、何から話そうか」


「さすがにもう無理かなあ。わかる」


 エッジも心待ちにしていたようだ。分かる範囲で索敵するが、不審なものはない。しかし聞かれている前提で話を進める。


「コウモリ1・5号くんが火口の上まで見てきてくれた」


「探検隊説明会の資料では空白部分になっていたエリアだ」


「探検隊が持ってきた自動描画機械を使うわけにはいかないから口頭で説明するけど、火口の中には古代遺跡があった。それも海底の堆積物が多く残っていて、おそらくここの海底が隆起して海面上に出てきたんだと思う。隆起そのものは秩序の力が強まったからかもしれないけど、それも人為的なものかもしれない。『神殿の島』というくらいだからその古代遺跡が神殿なのだろうと考えられる」


 シンシアは言葉を選ばないが、エッジは言葉を濁す。


「例の神殿?」


「描画してみないとなんとも分からないけどデータのイメージには、どの神とか判断できる材料がなかった」


「どの神でもある可能性を排除してはならないね」


 シンシアはエッジの言葉に頷いた。


「そして火口の縁に5つの魔法装置が立っていた。高さはそうだな――風車くらいか。中には魔道士の気配があった。たぶん、埋め込まれている」


「――ああ」


 騎士団が追っていた混沌の魔道士の行方不明事件の犠牲者だと考えられた。


「もしかしたら私たちをオンポリッジで襲った魔道士たちも犠牲になっているかも」


「召喚装置?」


「それもデータを見ただけではなんとも判断できない」


 エッジは悩む。


「探検隊の説明会の資料で空白だったのは偵察の自動飛行機械の記録装置に何者かが干渉した可能性が高いんだけど、その結果をあえてそれを一般の隊員だけでなくマスコミにも見せているその意図が分からない。罠ですよといってそれにわざわざはまる奴はそうそういない」


「でも私たちは来ているじゃない?」


「魔法装置の正体が判明するか、分からなくても妨害するかしないと危なくてとても火口まで登れない」


「試されている、と考えるのが自然だよね」


「『従神みともとのかみの宴』もその一部か。姫の力――絶対防御魔法ワールドクリフが見たかった?」


「あなたの戦闘力もおそらく」


「もし突破されて神殿まで『従神みともとのかみ』が駆け上ったら? 困るよね」


「魔法装置は『従神みともとのかみ』も止められほどの力を持っているか、または『従神みともとのかみ』そのものを神殿の神の召喚のための生け贄にできる装置、とか」


「抜かりない」


「そして私たちの力を見ても正面から対決できるだけの力がある、と確信していれば罠は罠ではなく、単なる演出になる」


「――面白がられている」


 エッジは拳を握りしめた。


「わたしの方は切り札を見せてしまったからね。君も戦闘力を見せた」


 エッジには奥の手があるが、敵にそう悟らせまいと敢えてシンシアは口にする。


「不利すぎる。蒸気艦が戻ってきたら更に不利になる?」


「でも、味方も増える」


「ハイランダー卿が動くとしたら蒸気艦が戻ってきてからだろう」


「それまでには私の魔法力は回復している。それにすぐには動かないかも知れない」


「まだ考える時間はあるか。他の特殊技能習得者スペシャルがどう動くかも大きいな。味方に引き入れる?」


「それはどうだろう。不確定要素だ」


 シンシアもその手は考えたが、エッジも自分もマークされていると考えるのが自然だ。不用意に動くことはできない。


「裏がかけないね。ぶっつけ本番かあ。嫌だな」


「でも、逃げないでしょう?」


「当然。姫が目的ならこの機会に、2度と手出ししてこないよう、ぶっ潰すだけだ」


 シンシアはエッジの言葉を頼もしく思う。


「期待している」


「頑張るしかないよねえ」


 エッジは飄々ひょうひょうと言う。彼はハイランダー卿が面白がっていると言っていたが、シンシアには彼も面白がっているように見えた。彼の奥の手潜むものダイバーがどれほどの戦闘力を持ち、どのように動いてくれるのか1度の戦闘しか見ていないシンシアには分からない。しかし上級魔人の戦いでおそらく戦闘力の大部分を見せてしまったエッジの自信は潜むものダイバーから来るものだと考えるべきだろう。


「うん。私も頑張る」


 自分も手品の種を蒔いた。その手品トリックにハイランダー卿が引っかかってくれるかどうかで、展開は大きく変わるだろう。


 2人は待避壕に戻る。そして蒸気艦の戻りを待ち、シンシアは体力の回復に努めることにした。


 鉄甲蒸気艦が戻ってきたのはその日の午後3時過ぎだった。浮桟橋を設営するまでまた時間が掛かり、シンシアとエッジが2番艦に戻れたのはもうとっぷりと日が暮れたあとだった。


 1番艦から大型の自動飛行機械が飛び立ち、オンポリッジに進路を向けて消えた。探検の進捗状況をスポンサーに知らせるためだろう。また、新聞記事にもなるに違いなかった。シンシアが混沌の神の1柱を封じたことがニュースになれば、悪評が少しは拭われるに違いなかった。


 蒸気機関が搭載されている船だけあってお湯は豊富だ。シンシアは女性の時間にシャワーを浴び、疲れと汗をきれいに拭い去る。そしてエッジや騎士団の面々と共に食事をとる。狭いが快適な環境だ。


 2段ベッドで再びエッジと上下に分かれて眠る。


 シンシアにとって、安心できるひとときだった。

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