空は厚い雲に覆われ、闇の中、途切れることのない稲妻で海と島が照らし出される。あまりの明るさに暗視魔法を使う必要性を感じないほどだ。


 海が見えるところまでくると、北東の海に分厚い雲でできた広大な絨毯がかかり、その上を混沌の軍勢と思しき蠢くものが進軍しているのが目の当たりにできた。


 ひときわ大きな小山のような影が軍勢の中心にいる。12頭の8本脚の骸骨の馬に引かれた戦闘用馬車チャリオットに乗っている、ボロ布のようなローブと部分鎧をまとい、背中から無数の腕を生やしている骸骨の王だ。骸骨なのは混沌の中でもひときわ強力な『死』の眷属である証だ。『死の従神みともとのかみ』とでも呼べば良いのだろうか。頭蓋骨の上の混沌の最高神官の烏帽子は、核となった魂の主のイメージの投影だろうか。死した後も混沌に仕えられるのであれば、本望に違いない。


 稲光を浴びる度、烏帽子と部分鎧の金色の部分が照らし出され、影と光沢のコントラストを作り出す。


 周囲には同じく骸骨の軍勢がいるが、そのほとんどがプレートメイルをまとい、強大な大刀を手にした骸骨だ。戦闘力は分からないが、おそらく古代の戦士の魂を核にして実体化した上級魔人である。その上級魔人が30体以上、かちで、または8本脚の骸骨の騎馬にまたがって、『死の従神みともとのかみ』に付き従い、進軍をしている。


 上級魔人の平均的なサイズは8メートルから10メートル。『死の従神みともとのかみ』の大きさはその4倍はある。もはや怪物と呼べるサイズではない。この世に出現した大災害の具現化だ。


 厚い雲は沸騰と消滅、そして生成を無限に繰り返しながら海の上に道を作っている。その道は一直線に島に向かっている。


 嵐の強風が無数の骸の間を吹き抜けると高低入り交じった不協和音が生じ、混沌の軍勢が笛のような音楽を奏でているような錯覚をエッジは覚える。


 この強大な軍勢が宴を開いた場所は、秩序が拓いた土地であっても再び混沌に戻る定めにある。従神とはいえ、『第12火山島』を消し、混沌と秩序のバランスを復活させるためにいずこから降臨してきた混沌の神の1柱だ。


 暗黒の雲の道はついに島に至り、混沌の軍勢の上陸が間近に迫ってきた。


 上陸しなければ、人類は攻撃しない。空を自由に駆けられたとしても、人類が海の上で混沌の軍勢と戦うのは愚策である。海上は混沌の領域である。少しでも優位にことを進めるのであれば、やはり安定した大地の上というのがセオリーだ。


 上陸の直前になって、口笛が響き渡った。ハイランダー卿の合図だ。


 稲光を便りに、雷の轟音の中、20名の戦士は混沌の軍勢へ向かって一斉に駆け出す。


 残る3名は遠距離攻撃を得意とする混沌の魔道士と地形操作を得意とする混沌の魔道士、そして結界師だ。先の2名の射程は長い。


 暗黒の雲の道を駆け抜け、複数の骸骨の上級魔人たちが上陸し、先陣を切る。


 上空から稲妻が走り抜け、彼らを瞬時にして焼く。混沌の魔道士の放った自然の雷を誘導した攻撃魔法だ。


 しかし焼かれながらも骸骨の上級魔人たちは太刀を振り上げて迫り続ける。


 これは想定内。


 次に彼らの行く手を遮るように彼らの身長を遙かに上回る壁が次々と生成され、混沌の軍勢は分断される。探検隊は数に劣る。そのため、敵を分断し、囲まれないように注意して戦わなければならない。


 そして直接戦闘が得意な特殊技能習得者スペシャルたちが3人一組になって骸骨の上級魔人に次々と攻撃をしかける。大きい敵は脚を狙うのがセオリーだが、魔法でできた壁を器用に駆け上り、急所である頭部に直接打撃を加える者もいる。


 やるなあ、と思いつつ、エッジとアンバー少佐はシンシアに先行して、次々生成される障壁を回避し、大外を回ってきた骸骨の上級魔人に攻撃を仕掛ける。


 骸骨の上級魔人は破壊力が高くても巨大な分、攻撃は大ぶりだ。エッジとアンバー少佐は軽々と太刀の攻撃を回避し、目標を外した太刀の切っ先は地面の岩盤をたたき割る。その岩の破片に当たりさえしなければ、直接攻撃に移れる。


 エッジは鎧の隙間を狙って投げナイフを放つ。ナイフは右肩の肩甲骨と上腕骨のつなぎ目に突き刺さり、骸骨の上級魔人は持っていた太刀を落とし、太刀は轟音を響かせて一度跳ねる。


 それを避け、アンバー少佐は横薙ぎに長剣を振るい、大木ほどの太さがある脛骨をたたき切り、腓骨にもヒビを入れる。自重に耐えられず骸骨の上級魔人は膝をつき、エッジが跳び、巨大な眉間に漆黒のナイフを突き立てると上級魔人の頭蓋骨が粉砕され、動きを止める。


 その間にシンシアは前に進んでいる。シンシアのローブには光学迷彩を用いた不可視の魔法がかけられている。闇夜の上、戦闘中である。視覚以外の感知能力をもつ魔人がいたとしても、捕捉は難しいだろう。ただ、叩きつけるような強い雨だけが彼女の輪郭を浮かび上がらせ、その居場所を知らせる。


 シンシアはもう結構先に行っており、エッジは焦る。今、走っている戦闘要員の中ではシンシアがダントツに脚が遅い。上級魔人の1体を倒す間くらいならどうということはないと考えていたが、甘かった。


「背中をカバーします!」


 アンバー少佐はまだ余裕があり、走ってシンシアを追いかける。エッジも負けじと追いかけ、すぐに追いつく。


 『死の従神みともとのかみ』が駆る小山のような戦闘用馬車チャリオットはもうすぐ近くにいるように見えたが、実際にはまだ少し距離があり、まだ海の上にある。


 防壁が集中する方面ではまだ戦闘が続いているため、大回りしてもエッジたちはまだ先行している方だった。


 もう1体、今度は雷の魔法を受けていない無傷の骸骨の上級魔人が迫ってきていた。


「これは任せていい? もう、行けそうだから」


 シンシアの声が雷鳴の間隙を縫って聞こえてきた。


「了解しましたよ、姫!」


 エッジは両手のナイフを大ぶりして合わせ、衝撃刃を生成する。衝撃刃は文字通り雨を切り裂き、骸骨の上級魔人を襲う。上級魔人は衝撃刃を盾で受け、エッジを攻撃目標に定めたかのように虚ろな眼窩を向ける。


 エッジは途切れることなく衝撃刃を生成し続け、盾が削れ、ついに吹き飛び、その隙をついて再びアンバー少佐が上級魔人の脚を今度は一刀のもとにたたき切った。


 バランスを崩しながらも骸骨の上級魔人は顎門を開き、『デス』の呪文を放った。エッジとアンバー少佐が携えていたタリスマンが一瞬ではじけ飛ぶ。シンシアが事前に2人に持たせていた護符だ。これがなかったら危なかったと思いつつ、エッジは倒れてきた上級魔人にとどめを刺す。


 光学迷彩のお陰か、シンシアはしばらくの間、『死の従神みともとのかみ』が駆る戦闘用馬車チャリオットへノーマークで走り続けられた。しかし上空を飛んでいた骸骨の恐鳥がシンシアを見つけ、シンシアに向かって急降下した。


 しかしその嘴がシンシアを貫くことはなく、何かに弾かれ、骸骨の恐鳥は再び雷鳴のとどろく空に舞い戻っていく。


 エッジは最大速力でその戦闘エリアに至り、2度目の急降下のときには両手のナイフで両方の翼をたたき切った。


 シンシアが先に行くのはもう誰の目にも明らかになっていた。


 光学迷彩は解け、黄金の輝きが彼女の周りを覆い、雨を弾いていた。


 最終階位魔法、絶対防御魔法ワールドクリフは既に発動していたのである。


 こうなるともう、心配はその持続時間だけだった。おそらく『死の従神みともとのかみ』を葬る手段を彼女は持っているのだろう。そうでなければこの作戦を進言しないはずだ。彼女との距離は100メートル近く離れてしまっていた。


 彼女の間近まで戦闘用馬車チャリオットの蹄の音が迫ってきている。


 エッジはもうシンシアを信じるしかない。


 『死の従神みともとのかみ』が駆る戦闘馬車チャリオットは直進を続け、何頭もの巨大な8本脚の骸骨馬が厚い雲の上を歩くシンシアを踏み潰していくが、雲は四散するが彼女の姿が変わることない。シンシアは平然としたまま戦闘用馬車チャリオットの前に立つ。


 『死の従神みともとのかみ』は戦闘馬車チャリオットを止め、手勢の上級魔人と同様の虚ろな眼窩でシンシアを見据えた。


 『死の従神みともとのかみ』が顎門を開いた。呪文かと思われたが、そうではなく、シンシアに話しかけている様子だった。


 しかしシンシアはそれに当然応じなかったらしく、懐から巻物スクロールを取り出し、まっさらな面を『死の従神みともとのかみ』に向けた。


 すると『死の従神みともとのかみ』が戦闘用馬車チャリオットごと一瞬にして収縮して人形サイズにまで縮み、巻物スクロールの中に吸い込まれてしまった。


 シンシアは涼しい顔で巻物スクロールを巻いて紐で止めると、厚い雲の道を歩き、陸地にいるエッジの方に歩いてきた。


 その間に『死の従神みともとのかみ』がいなくなったためか、上空の暗雲が薄くなり、風雨が弱まり始めた。


 まだまだ骸骨の上級魔人を始めとする大小の混沌の軍勢が残っていたが、指揮官が消えたことによる影響は大きく、他の戦闘員が戦っている骸骨の上級魔人は明らかに動きが鈍くなり、他の混沌の怪物との連携は減っていた。


 こうなるとあとは掃討戦になる。


 少なくともシンシアの仕事は終わりだ。エッジとアンバー少佐が側にくると安心したのか、絶対防御魔法ワールドクリフを解き、輝きが消えた。


「どうかな。私、役に立ったかな」


 得意げにシンシアは言うが、肩で息をし続けているし、少々やつれたようにも見えた。やはり体力を消耗するような大魔法なのだ。


「俺の獲物をとりやがって、なんて文句を言う奴はいない。みんな大感謝さ」


 そしてエッジはシンシアの頭をローブのフード越しに撫でた。


 雨が降っていなかったらフード越しではなくもっともっと直接、頭を撫でてあげたかった。それでもシンシアは嬉しそうに目を細め、エッジを見つめた。


「お熱いところ質問なんだが、こんなすごい力を持っていたのに、どうして姫様には『役立たず最終階位魔法発動装置』なんて悪いあだ名が流布していたんだい? 理解できないんだが」


 アンバー少佐は理解できないと続けて言わんばかりの顔をした。


「手持ちに最高レベルの封印の巻物スクロールがあったのを思い出したの。それで無傷で封印することができたんだ。これがなかったら今も低位の攻撃魔法でちまちま攻撃していたかもしれない。だからそのあだ名はあんまり外れてもいない、かも」


「でも、装備で攻撃力は十分補えるから、やはり不当なあだ名だと思うぞ」


 アンバー少佐はあだ名をつけた誰かに少し怒っているようだった。


「『死の従神みともとのかみ』を封印した巻物スクロールか。それこそどこかに封印しないと危なくて仕方がないな」


 エッジは少し考えたが、封印する場所の候補を1カ所も思いつかないまま、諦めた。


「最上級の巻物スクロールとは言っても相手は神の1柱だ。よく破られずに保っている」


「――その理由は、秘密です」


 シンシアは少し得意げにエッジに言った。やはり何か考えがあっての選択だろう。聡い彼女にエッジから言うことはない。


 雨が止み、海の上にあった雲の道も霧散し始めている。


 主賓を失った『従神みともとのかみの宴』はもうじき終わろうとしていた。


 防壁がもとの地盤に戻りつつあり、視界が拓ける。稲光は減っているが、その代わりに天頂の雲が晴れ、月明かりが覗きつつある。


 混沌の軍勢の屍が――もっとも、もともとが骸骨だが――累々と大地を埋め尽くし、手練れの戦闘要員たちはほぼ無傷で、勝利を確信しつつも、周囲を窺っていた。


「俄には信じがたいですな」


 アンバー少佐が嘆息する。戦闘力の差を痛感しているのだろう。


「いやいや、相方として十分戦っていただきましたよ」


 エッジは正当な評価をする。そしてシンシアがまだ肩で息をしていることに気づき、彼女に手を差し伸べる。


「姫、お疲れですね」


「さすがに」


「では、失礼」


 彼の手を取ろうと腕を上げて空いたシンシアの脇腹にエッジは腕を回し、彼女を抱きかかえる。文字通りのお姫さまだっこだ。


「軽い軽い。羽根のように軽い」


「えええ?! こうして貰うほど疲れていないよ!」


「違うよ。僕が抱っこして差し上げたいのです」


 アンバー少佐は2人のやりとりを見て微笑んだ。


 エッジはシンシアを抱きかかえたまま、ハイランダー卿のもとに集合しつつあった戦闘要員に合流する。


 ハイランダー卿はニヤニヤしながらエッジとシンシアを見て、言った。


「10年ぶりの戦闘は、姫のお陰でリハビリ程度で済みましたよ」


 エッジはシンシアを下ろし、シンシアはハイランダー卿に一礼した。


「出過ぎた真似だったでしょうか」


 ハイランダー卿は首を横に振った。


「そんなはずがあると思うかい? お陰で戦力を温存することができた。この先、何があるか分からないからね。助かるよ」


 そして茶目っ気を出したようにウィンクして笑い、シンシアも嬉しげに頷いた。彼女の笑顔が自分以外の誰かに向けられるのがエッジは面白くない。それがハイランダー卿であれば、なおのこと要注意だ。


 2人の会話にエッジは割って入る。


「船は戻される?」


「まだ海は荒れ続けている。様子を見つつだが、明日の夕方頃には戻そうと思う」


 混沌の軍勢が消え、暴風雨が弱まったとは言え、海上はまだ荒れている。当然の判断だろう。


 ハイランダー卿は、待避壕に戻り、哨戒をしつつ、休むことを決めた。


 シンシアは待避壕に戻るやいなや、体力と魔法力の回復を促進する魔法薬ポーションを4本も飲み干すと、コットンベッドにうつ伏せに倒れ込み、爆睡した。この不用心さは探索者としていかがなものかと思うが、自分が信頼されているからこそこうも眠れるのだと気づき、エッジは自分の胸が温かくなるのが分かった。


 シンシアと行動を共にし始めてまだ3週間も経っていない。しかしその信頼は一緒に過ごした時間から測ることはできない。彼女の奥底に眠る数多の記憶がそうさせていることは間違いないから。


 思い出して欲しくもあるが、思い出して欲しくもない。


 思い出して欲しいのはエッジのエゴだ。それは自分でも分かる。できれば思い出さず、今生を過ごして欲しい。それもエッジの願いだ。平凡ではなくても、心穏やかな時間を1秒でも多く姫には過ごして欲しい。


 シンシアの穏やかな寝顔を見ると、エッジは甘い血液が心臓から全身に流れ出していくのを感じる。


 それはとても心地の良い感覚だった。

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