第6章 姫様、本領発揮です

 状況が一変したのは3日目の昼過ぎのことだった。


 3日目には野営地は沿岸の平坦部を抜け、もう山裾から山間部にまで到達し、天幕も分散して設営している状況にあった。測量も無事に進んでおり、これからどう進むのか、大型自動飛行機械の帰りを待つ状況になっていた。


 大型の自動飛行機械が戻ってきて、データを抜き、一応現場でも解析しつつ、1番艦に送る。そのデータを元に隊員に更に詳細な地形図と混沌の活動予報が配られたが、まだその時点では方針は固まっていなかった。


 混沌の活動予報図は天気図と重ねられている。沸騰海ボイリングシーでは自然現象である天候と混沌の活動は密接に関わっているためだ。各地に設けられた気象台から有線電信器でオンポリッジに情報が集められて天気図は作成されているが、それが自動飛行機械で送られてきたものだ。


 シンシアは混沌の活動予報を読むのはお手の物だ。睡眠をとった後で、エッジとアンバー少佐にのぞき込まれつつ、予報図を見る。


「暴風雨と混沌の活発化予想が重なっている。このタイミングで反動がくるんだ――安定化が進んでいる予報だったのに」


 シンシアは言葉を選んで2人に言う。アンバー少佐が小さく嘆息する。


「混沌の反撃か。この島を消そうとしているんだな」


「自然の摂理ではあるけど。混沌だってバランスを取ろうとする。一方的に秩序が広がるのを許しはしない」


 シンシアはそう言いつつ、少々考える。


 『第12火山島』は混沌から見たら新しく突き出てきた杭だ。打ちたくなるのも当然のことだろう。ただそれが混沌側の魔道士による人為的なものである可能性は否定できない。だとするとこの探検隊の誰か、ということになる。


「おそらく『従神みともとのかみの宴』級の反動だ。ハイランダー卿はどうされるつもりなのかな」


 エッジが思案する顔をするタイミングで伝声管を通し、1号艦で作戦会議が開かれる旨の説明が流れた。招待隊員と各部門の責任者級が呼ばれており、シンシアとエッジは1号艦と2号艦に渡された板を通り、1号艦の食堂に赴く。


 そこには既にハイランダー卿以下、探検隊の主要メンバーが揃っていた。しばらくして上陸している該当隊員を除いて集合し、概要説明が始まる。


 予報を読み解いた結果はシンシアの読み通りで、この島が消滅する可能性がある規模の混沌の活動が想定されていた。ハイランダー卿は設営地を撤収し、鉄甲蒸気艦をオンポリッジの港まで避難させることを決めたと語った。


「なにせ港まで17海里しかなくて、予報では暴風域に入るのは1日以上あるときている。時間的余裕は十分だ。避けられる危険は避ける」


 経験豊富な探検隊長といった物言いだった。


「しかし私の経験から言わせて貰えば、この程度の暴風雨で逃げ帰るようではどんな辺境探検も成功しない。かといってスポンサーの手前、無用な消耗は避けたい。そこでだ、私を含め、島に残る人員を募りたいと思う。なに、『従神みともとのかみの宴』くらいよくあることだよ。我こそはと思う者は手を挙げて欲しい。島が消えるのを防いで探検事業を継続しつつ、無用な消耗も避けられる」


 なるほど。筋は通っている。どよめきが起きる食堂の中で、シンシアは感心する。何が目的なのかははっきりしないが、ハイランダー卿の手の内が少し見られるかもしれない。


「オブシディアン男爵はもちろん参加してくれると思っているぞ」そしてハイランダー卿はエッジを見て笑顔を作った。「従神みともとのかみを倒せたら、ボーナスははずむからな」


 これでエッジが島に残らないという選択肢は消えた。S級ダンジョン制覇者としては、無傷にも関わらず『従神みともとのかみの宴』から逃げ帰ったという悪評がつきまとうのは今後かなりのマイナスだ。それにしても何かハイランダー卿はエッジに絡むと妙な感じがしてならない。胸騒ぎだろうか、とシンシアは思う。


「その点は大いに期待してます」


 エッジは冗談めかしつつ、答えた。


 その後、鉄甲蒸気艦2隻の乗員で島に残る者を募り、腕に覚えがある戦闘要員21名と待機所を守る結界師と地形操作が得意な混沌の魔道士の計23名が残った。その中にはシンシアとエッジ、そしてアンバー少佐も入っている。


 物資と人員を島から下ろし、ボートと浮き桟橋は鉄甲蒸気艦に曳航されて島から離れる。その間に切り立った崖を選んで混沌の魔道士が横穴をうがち、中に巨大な待避壕を設け、残りの隊員がその中に物資を運び込んだ。ガスタンクも持ち込んで、食料も豊富。ガス灯にくわえt温かい食事が作れる装備まで待避壕内に持ち込んでいたから快適そのものだ。並の暴風雨では全く問題がないと思われた。


 エッジとアンバー少佐は一目を避け、海が見えるところまで歩いていった。シンシアも気になり、ついていく。歩きながらエッジが言う。


「ご経験は?」


「残念ながら。この職業をしているとなかなかなくて、良い機会だと思う」


 アンバー少佐は肩をすくめる。


「無理せず。上級魔人の1体でも倒したら退いてください。それでハイランダー卿の見る目も変わるでしょうから」


「過分な高評価をいただき、光栄ですよ」


 上級魔人はダンジョン以外で出現するのは希な、明確な意思を持ち、魔法を用いる最上級に位置する怪物だ。運が悪く並のダンジョン探索者たちが遭遇した場合、パーティ全滅も珍しくない。もし仮に上級魔人を1対1で倒せるような手練れであればS級ダンジョンに挑戦する資格があると言える。


「ご謙遜を。一度相対すれば、そのくらいは分かります。私はパイプがなくなるのが惜しいのです」


「正直だなあ」


 男2人は笑う。立場は違っても同じ目的で一緒に行動をしている分、距離が近づいているようだった。


「残って欲しくなかった」


「ああ、さがです」


「そう思ったので止めませんでした」


 北東の方の水平線を見ると、雨雲が高く、黒く湧き立っているのが見える。風はないのであと半日以上あるのも間違いないだろう。ただ、暴風雨が始まるのは夜中になる。


 『従神みともとのかみの宴』とは混沌の主神に直に仕える『従神みともとのかみ』が数多の混沌の軍勢を引き連れ、混沌の海と言っても良い沸騰海ボイリングシーの向こう側からやってくるこの世界の『自然現象』である。意思を持つ亜神たちの軍勢であっても、『自然現象』なのはそれは世界のバランスを保とうとする世界の作用が具象化したものだと考えられているからだ。


 これまで数え切れないほど多くの街や時に国が『従神みともとのかみの宴』に蹂躙され、戦場に現れたときは両方の軍隊を壊滅させたこともある混沌最大級の災厄の一つである。その宴の後は秩序が失われ、大地は常に沸騰し、生成される混沌の場となる。


 人類は『従神みともとのかみ』に対抗する術をほとんど持たない。だが、この探検隊には『従神みともとのかみ』に匹敵する驚異的な存在を調伏したS級ダンジョン制覇者が10人もいるのだ。戦力に不足はない。しかしその彼らでさえ、今回は出番がないかも知れなかった。


 エッジはシンシアを振り返る。シンシアは最高位魔法習得者にして、混沌の神の1柱、虚無のイシュヴァラの力の顕現である。エッジは彼女が心を決めたことを見て取ったのだろう、聞いてきた。 


「姫、どうしました?」


「考えを変えました。絶対防御魔法ワールドクリフを使おうと思います」


「姫にお考えがあるなら、それでいいと思います」


 エッジは即答する。少し、考えを変えるだけでまた別の手が浮かんでくるのは不思議だった。


「それは心強い。是非、拝見させていただきますよ」


 アンバー少佐は安堵していた。少し不安だったのかも知れない。その点でも方針転換して良かったとシンシアは思う。


 暴風が吹き荒れ、宴が始まるまで時間がある。そうと決まれば英気を養おうと、3人は待機壕へ戻った。

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