アンバー少佐と別れ、エッジとシンシアはキャビンに赴き、カウンターに用意されていた魔法瓶からコーヒーを注ぎ、ゆっくり飲む。外洋のため、揺れは意外とある。注意しながらカップを持ち、船窓から波が立っている海を見る。


 シンシアは『万物流転の神ヘルメスの籠手』のおとぎ話を思い出す。


 才能にあふれ、なんでもできる青年がおり、大金持ちになった。しかしその弟は遊んでばかりでなんの才覚もなく、兄の援助も食い潰すばかり。それでも兄は弟を見放さず、一文無しになった。ある日、兄は大病を患い、寝たきりに。弟は泣き散らすばかりだった。そんなとき、貧しい旅人が宿を借りようと訪れ、兄は精いっぱいもてなすよう兄に言い、弟は兄の言うとおりになけなしの食べ物でもてなした。そのもてなしに感動した旅人は兄弟になにか褒美を遣わそうと言い出した。貧しい旅人は万物流転の神の仮の姿だった。先が長くない兄は、弟に自分の全ての才能を上げたいといい、万物流転の神は黄金の籠手をもってして兄の才能を弟に移した。弟は兄の隠れた医術の才能に気づき、兄を治療し、兄は一命をとりとめ、末永く幸せに暮らした、という道徳的なおとぎ話だ。


「弟にあげたから良い話になるのであって、他人だったらただの泥棒だよね」


 カウンターの隣にいるエッジにシンシアは話しかける。

「あれは世界に不変のものはないというたとえ話だよ。『万物流転の神ヘルメスの籠手』は誰か過去のすごい魔道士がおとぎ話をヒントに作ったっていうところじゃないかなあ」


「私は聖人みたいなお兄さんじゃないから、努力して、苦労して自分のものにしたものを他人に奪われたりしたら、発狂するかもしれない。それこそ死に物狂いに守ろうとするだろうね」


 以前、最高位魔法が目的かもしれない、という仮説を立てたことがあった。『万物流転の神ヘルメスの籠手』があれば絶対防御魔法ワールドクリフを奪うことも可能になるのかもしれない。


「そもそも僕が困らせない」


 エッジは安心してと言わんばかりに微笑む。


 2人は割り当てられた個室に戻り、魔道士協会の図書館司書がまとめてくれた資料を読み込む。個室と言っても二段ベッドに荷棚が少々あるだけのうなぎの寝床だ。シンシアが下でエッジが上だ。ベッドが上下の分きっちり分かれている気がして、シンシアはスイートルームより心安らぐ。良い意味で、いつもエッジと一緒では心臓がもたない。自分には過ぎた婚約者だと思う。


 シンシアは資料を読み、『万物流転の神ヘルメスの籠手』を所有するという噂の元になった新聞記事のコピーを見つけた。極北海の遺跡でハイランダー卿がみつけたという白銀の籠手には万物流転の神ヘルメスの紋章があった。ハイランダー卿のインタビューから描かれた想像イラストだったが。資料には他にも卿が保有していると噂の、様々な伝説級の極希少魔法武具アーティファクトが記載されており、どこまで信じていいのかさっぱりだった。


 ここまで来てしまったら根を詰めてもいいことはない。


 廊下から伝声管を通したアナウンスが聞こえてきた。どうやら島に接近しているらしく、ボートを下ろして上陸準備に入るようだ。


「あっという間の航海だったね」


 上のベッドからエッジが顔を出した。


「びっくりした!」


「だって僕が上にいるのは分かっているでしょう」


「たとえ婚約者であっても乙女の部屋をノックなしにのぞき込まないでください。お着替えしているかもしれないし、心の準備ができていないかもしれないし」


 シンシアは膨れ、エッジは不満そうな顔をする。


「僕はいつでも姫の顔を見ていたいのに」


 シンシアは真っ赤になってエッジの頭を両手で持って、上に押し戻した。


「どうしてそういう歯が浮くようなことを平気で言えるのかな」


「本音だから」


 上のベッドから聞こえてきた声には真剣味が感じられた。


「――付き合わせてしまってごめんなさい」


「何をいまさら」


「海の上だの島だのと、逃げ場ないし」


「襲われるかもとビクビクしているよりはマシさ。領地に戻って子供たちを巻き込みたくないし、敵の懐に飛び込むのも案外、手としては悪くない」


「ドキドキを続けたかっただけかもしれないなんて今、気がついた」


「僕もかわいい姫に今もドキドキしてるよ。なにせ成り行きで婚約者になれたようなものだし。スキャンダル起こして責任とるためにワザとイブニングドレスを切ったなんて思われていたらどうしよう、なんて違うドキドキもあったりして」


「それは私のとどっちも違うドキドキだ。あと、ワザと切ったなんて今は少しも思っていないよ」


「ありがとう」


「ドキドキがごっちゃになっている感はある。整理しよう、うん。なにかトラブルが続いていたらね、あなたと自然に過ごせていたからだと思う。トラブルが続けば続くほど、お互いのことを知れたよね。だからだ」


「にしては今回は危なっかしい」


「ドキドキついでに全部解決しましょう」


「姫、頼もしいです」


 エッジの声にシンシアは安心する。彼の声は心地よい。いつまでも聞いていたい気がする。これは自分の顔を見ていたいという彼の言葉と同じ気持ちなのかしら、と苦笑する。


「島を見に行こうか、姫」


 エッジが階段を使わずに床に飛び降りた。シンシアも彼に続いてベッドから降りる。島が今、どうなっているのか資料にはあったが、自分の目で確かめたかった。

 甲板に出ると島はごく近くに見え、船はちょうど蒸気機関が停止し、碇を下ろすところだった。いうまでもないが島に港はなく、接舷はできない。水深があるところまで来たので上陸用の複数のボートと、ボート用の浮桟橋を下ろす準備が始まった。


 自動飛行機械を用いた上空からの調査で島の概要は山頂の空白部分を除いて判明していることになっているが、正式な上陸は今回が初めてだ。辺境伯の許可を得ない非公認の調査があったかも知れないが、領有権の主張にはなんの足しにもならない。島には混沌の残り物から怪物が生じている可能性が極めて高く、ボートには前衛となる腕利きの特殊技能習得者スペシャルと銃士隊も乗船することになっている。今回、シンシアとエッジはその中には入っていないが、騎士団精鋭からは銃士としてメンバー入りしている者がいる。あとで話を聞けるだろう。


 エッジは双眼鏡を用意しており、島を眺め、物欲しげな顔をしてしまったのだろう、あとでシンシアにも貸してくれた。新しい岩肌も多くあるが、中には風化しているものもある。それは風化した状態の岩が形成されたことを示し、ここが通常の造山活動でできた火山島ではないことの証拠だ。もっとも火口も存在するのでややこしい。


 島の向こう側の数海里先は、沸騰海ボイリングシーの名の通り、混沌と秩序が生成と消滅を繰り返し、沸騰を続ける世界の果てだ。気候も変動し、常に入道雲が湧き立っているからそれはすぐに分かる。この島は人類の生存圏最前線の1つと言える。


「世界の果てに来たの、初めてだ」


 シンシアは感慨が深く、思わず言葉にする。エッジが淡々と答える。


「普通はあまり来ない」


「あなたは経験あるの?」


「むしろよく来る」


「それは心強い」


 ボートが接岸し、準備を整え、浮桟橋を設置するまで3時間以上かかった。出港してからこの島に着くまで長い時間を要した。先は長い。


 昼食の時間となり、ビュッフェ方式の食堂で軽く胃にものを入れる。蒸気機関があるので熱源は豊富なので蒸気で調理したものが多い。パスタまであるのは真水の補給が容易にできる距離だからだろう。


 昼食後も双眼鏡で浮桟橋の方を見る。天幕を設営し始めていたが、怪物が出たらしく、銃士隊が出動しているのが見えた。


「うずうずするね」


「別に姫ほどじゃなくても戦闘経験豊富な人材も上陸しているから任せないと」


「けが人がでないといいけど」


 シンシアはいよいよ探検が始まった気がするが、自分たちの出番がいつなのかも気になった。そう遠くはない気がした。

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