第5章 ロマンスには困難がつきものです

「雲がなくなればもうすぐ見えるはずだ。たった17海里だからね」


 鉄甲蒸気艦の舳先で船の進路を見ていたシンシアとエッジは、声をかけられて振り返る。聞き覚えのある声だった。それもそのはず、説明会のときに登壇した、探検隊の隊長ハイランダー卿だったからだ。危険信号が知らせた対象なのかは分からないが、シンシアは慎重に言葉を選ぼうと自分に言い聞かせた。


 シンシアとエッジは深々と頭を下げ、自己紹介した。


「レセプションを欠席されていたのでね。ご挨拶が遅れて失礼した」


 ハイランダー卿は笑顔で2人の自己紹介に応えた。


「とんでもない。高名な探検家のハイランダー卿にお出向きいただいてしまいました。こちらこそ大変失礼いたしました。ご多忙かと考えたのもあります。言い訳ですが」


 エッジは爽やかな青年そのものの笑顔と声で応じる。


「新進気鋭のお2人に参加いただけて嬉しいよ、オブシディアン男爵、クロス・ドロップエンド伯爵令嬢。ご婚約されたともっぱらの噂だが、おめでとう、で良かったのかな」


「はい」


 シンシアも笑顔で応えた。ハイランダー卿にはS級ダンジョン制覇者に似た何かを感じる。それはそうである。混沌が跋扈する極北海探検を長い間続けたのだから、相当の実力と知識、経験の持ち主に違いなかった。それこそシンシアの考えが及ばないほどの。


「今が一番楽しい時期だ」


 ハイランダー卿は心底羨ましそうな笑顔を浮かべ、シンシアは恥ずかしくなる。


「――楽しい、です」


「かわいらしい婚約者でオブシディアン男爵も幸せだろうな」


「幸せです」


「人生2度目のかわいいをいただきました!」


 シンシアはテンションが上がってしまう。


 何故だろう。


 ハイランダー卿を警戒していたはずなのにいつの間にか気が緩んでいる。不思議な人だった。


「姫、嬉しいのは分かりますがハイランダー卿に失礼ですよ」


 エッジに耳打ちされてシンシアは小さくなり、ハイランダー卿は声を上げて笑う。


「気を遣うな。探検隊は家族のようなものだ。厳格に役割を果たさなければならないときはもちろんある。しかし平時はこうありたいと思っているよ。探検を成功させる必須条件さ」


「「恐縮です」」


 シンシアとエッジは同時に頭を下げた。ハイランダー卿は真顔に戻った。


「ところで、これは参加者全員に聞いているのだが、どうしてこの探検隊に参加を決めたのかね。お2人ほどの実績の持ち主なら引く手あまたではないかな」


「報酬が良かったからです。そして何より領地から近いからです」


 エッジが即答する。これは事前の打ち合わせ通りの答えだ。


「オブシディアン男爵は新人領主だったね。わかりやすい答えだ」


「経営が軌道に乗っていないもので……」


「是非稼いでくれ。混沌の怪物が出たら、実績ポイント制で報酬が上積みされるからな。ご令嬢は……あ、言わんでいい。これ以上は砂糖吐くわ」


 どうやら自分の顔に書いてあったらしく、シンシアは顔が赤くなるのが分かった。


「1つ、質問よろしいでしょうか」


 エッジがハイランダー卿に言った。


「答えられることであれば」


「もうこの世界の探検できるところは探検し尽くしたとまで言われるハイランダー卿が何故、この探検隊に関わることを決めたのですか?」


「そんな簡単なことか。君と同じさ。金だよ。そろそろ手持ちが尽きた」


 そして笑った。


「この10年間、次はどこに行こうか考えた。でももう、どこにも行くところはない。新しくできた島は、まあ、未知だがさほどでもない。だが、意外と近くに――近くて遠いところに行きたいところがあると気づいた。それには資金が足りないというところかな」


「近くて遠いところ、ですか」


「たとえば世界の真理の探究さ。秩序の神々、混沌の神々、それぞれ世界の構成要素として必要で、解明しないことはまだまだ、山ほどある」


「ええ。それは秩序と混沌問わず、魔道士の究極命題です」


「似たようなものさ。私は沸騰海ボイリングシーの先も見てきたが、そこには深淵があるだけだった。だがその深淵の先には何があるのだろう」


「――それは世界の果てです」


 シンシアは混沌の魔道士協会が謳う世界の姿を語る。ハイランダー卿は少し、笑う。


「ご令嬢がお持ちの最終階位魔法、虚無のイシュヴァラ固有の能力発現である絶対防御魔法ワールドクリフは虚無で現実世界と隔たれる故、絶対防御との伝説だ。では、絶対防御魔法ワールドクリフの中にいるご令嬢は果たしてこの世界に存在していると言えるのだろうか。もし違うのであればそこは。ご存じであればお教えいただきたい」


 シンシアはその質問に対する答えを考えたこともない自分を恥じた。同時に己の切り札である最終階位魔法のことを何も知らないという事実に驚愕した。魔法の発動を復元して以来、絶対防御魔法ワールドクリフの研究は進んでいない。シンシアは正直に答えざるを得なかった。


「恥ずかしながら、研究は進んでおりません」


 ハイランダー卿は微笑みを浮かべた。


「ご令嬢は最終階位魔法を復元されてからまだ間もないと聞いている。一朝一夕に研究が進むはずもない。この探検で絶対防御魔法ワールドクリフを使うことになったら、その際は研究の糧にして欲しい」


 そしてハイランダー卿は2人の前から去った。


 青空を一面に覆うカモメの声が騒がしかった。


「理由は分からないけど使わないよう釘を刺されたね」


 ハイランダー卿の姿が見えなくなってからエッジがそう言った。

「どうだろう。本当は見たいのかもしれない」


 シンシアは応え、考える。ただ、これで気軽には使えなくなったことだけは間違いない。


「怒らないで聞いて欲しいんだけど」


 シンシアは先ほど感じたハイランダー卿への感覚をエッジに伝えようと思う。


「私、ハイランダー卿のこと、違和感なく受け入れている」


 エッジは顔色を変えた。


「それって僕より好みの男ってこと?!」


「いや、そうじゃないから。あなたに似ているって言いたいの。ほら、不思議なほど、私、あなたのこと受け入れるの早かったじゃない? 普通ならもっと疑うはずなのにプロポーズされた途端、あなたを昔からの恋人のように信じ始めていた。あのときの感じに、近い」


「つまり」


 エッジはイタズラっぽく笑った。


「姫はチョロいってこと?」


「なんで茶化すのかな!!! 真面目に言っているの!」


「ごめんごめん。それは危険信号として受け取っている時点で僕とは違うと思う」


「ああ、そうだね。でも、明らかに普通の人とは違うんだ」


「それは本当に伝説になろうという人だからね」


「調べよう」


 そしてまだ図書館司書から送られてきた資料を読み込んでいないことを思い出し、手を叩いた。


「とりあえず勉強する」


「アルファにも聞いてみるか――でも」


「でも?」


「ハイランダー卿もかわいいって言っていただろう。やっぱり姫、一般的に見てもかわいくなりつつあるんだよ」


「いろいろがんばります」


 シンシアは、エッジが軽い会話を始めた理由を悟る。エッジもハイランダー卿に底知れぬ何かを感じ、その標的が絶対防御魔法ワールドクリフだと宣言されたことに危惧を抱いたのだろう。そしてそれを自分が不安に思っていないか心配しているのだ。心配しないと言えば嘘になる。しかしエッジの気遣いが嬉しい。


「いろいろがんばる。大事なことなので2度言いました」


 エッジは微笑む。彼と一緒ならどんな困難も乗り越えられる。恋愛中特有のハイテンションかもしれない。それでもいい。


「見えたよ、姫」


 船の進行方向に目を向けると雲が去り、造山活動の結果である険しい岩並が遠くの水平線の上に頭を突き出していた。


 目的地『第12火山島』――『神殿の島』はもう近かった。


 しばらくするとアンバー少佐が姿を現した。ハイランダー卿とのやりとりをすっかり見ていたらしく、なんともいえない複雑そうな顔をしていた。


「アルファさん」


 エッジはこの探検隊でのアンバー少佐の偽名を呼ぶ。なお、10人乗船しているので、アルファ以下、階級順および年齢順でブラボー、チャーリーと続き、ジュリーで終わる。


「ハイランダー卿ですか。探索者として長く戦い、S級ダンジョン制覇者にもひけを取らず、探索だけでなく戦闘経験も数知れず。探検で入手した極希少魔法武具アーティファクトも多数お持ちというから」


「10年ぶりの探検っておっしゃられてましたね」


 シンシアはハイランダー卿の言葉を思い出す。行きたいところが『第12火山島』ではない、目的は金だ、と。改めてアンバー少佐から聞けば、果たしてそうだろうかと思う。極希少魔法武具アーティファクトの1つも売れば、暮らすのに困ることはないはずだ。


 アンバー少佐は声を潜めて2人に耳打ちした。


「彼が秘匿すると噂の極希少魔法武具アーティファクト万物流転神ヘルメスの籠手』のことはご存じ?」


「――現実に? おとぎ話ではなく?」


 シンシアは眉をひそめ、首を傾げざるを得ない。


「いや、でも、世界中を巡ったハイランダー卿なら、発見していても……」


 エッジがシンシアをじっと見る。


「おとぎ話なんて片付けていいことはこの世界にはないよ」


 エッジはシンシアを見つめながら言い、微笑んだ。

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